軍帽二十番勝負 其の十二 彼女という名の光 ― 共闘する二人―

「五時の方角、三〇メートル。二人!」
 小さな礫のように鋭いリザの声が飛んだ。
狙撃手である彼女の指示が的確であることは、誰より長く彼女の傍にいるロイが一番よく知っている。思考より先に動くロイの身体はその言葉に弾かれ、彼は振り向きざまに指を二つ鳴らした。
 軍帽のつば越しに見る彼の視界の中に、覆面をした男の影が二つ、彼女の言った通りの距離に飛び出してくる。男らが凶器を構えることを許さず、焔の導火線の紅い舌は侵入者達の鼻先で凶暴な焔の牙へと変わった。
 ボンッ。
 狙い過たず、彼の焔は男らの眼前で弾けた。
 小さな爆発音が狭い空間に響き、襲撃者達は煤で真っ黒になった顔を押さえ床に転がった。ロイは更に立て続けに二つ指を鳴らすと、次の敵へと視線を向ける。焔の行く末をちらりと視界の片隅に確認すれば、顔面に火傷を負い、手の中の銃器を焼かれた襲撃者は唸りながら地面を転げている。
「十時! 二〇〇メートル」
 間髪入れぬリザの声が、背後から再び彼に簡潔な指示を出す。
 礼装の裾を翻し速やかに方向転換したロイは、流れるような一連の動きで再び焔の導火線を手繰る。パッと派手な焔が上がり、一瞬の遅れをもって爆発音が響く。高所で狙撃銃を構えていた男が破裂した焔に弾かれ、その手から凶器が落ちた。
「お任せ下さい」
 そんな言葉と共に、彼女のヒールの踵がカツリと小気味良い音を立てる。
 ロイとぴたりと背中を合わせたリザは、彼の体勢の変化に合わせ攻守を入れ替える。タイトスカートを着ているとは思えない機動力を発揮した彼女は、ロイの焔に焼かれた男を鳥でも撃つように射落とすと、ぼそりと彼だけに聞こえるように背中越しに囁きを寄越した。
「きりがありませんね」
「仕方ない。時間稼ぎだ」
 そう言って肩を竦めるロイに、リザは唇の端で小さく笑った。
「大佐が時間稼ぎとは。何とも豪華な囮ですね」
「そう言ってくれるのは、君くらいだよ」
 リザの苦笑を耳にしながらロイは緩やかにターンしつつ、また焔を放つ。威嚇の空打ちの焔は侵入者たちの所在地を炙り出し、慌てて飛び出した敵はロイと位置を入れ替えたリザの銃弾の餌食となった。背中合わせの二人の位置が一瞬で入れ替わり、対面する二人は視線を交わした。
 戦闘が始まって約十五分。
 堅苦しい礼装姿での戦闘にも慣れ、ようやく敵の攻撃の癖も読めてきた。それはどうやらリザの方でも同じらしい。互いの攻撃のパターンを熟知した二人は、互いの次の一手を測りながら確実に敵を屠っていく。打ち合わせもなく行われる二人のコンビネーションは、当たり前のようにぴたりと息が合っていた。
 彼らの攻撃は敵にとっては大いなる脅威となり、必然、彼らのところに火線は集まってくる。それこそが、彼らの思惑であった。
 だが、まだ足りない。
 彼らは盛大に襲撃者達の視線を引きつけ、その中心で焔と銃弾の和音を奏で続けねばならない。それが今の彼らに与えられた任務であった。
 ロイはわざとらしくならない程度の大声で、その場にいる者皆に聞こえるように叫ぶ。
「皇子の退路を確保しろ! 軍の総力を挙げて皇子をお守りするのだ!」
「サー、イエス、サー!」
 広間のあちこちから、ロイの声に呼応する部下達の声が上がった。だが、それと同時に物陰から響く足音が、新たな敵の到来を告げる。ロイはその人数を計りながら、内心で憂鬱な溜め息をこぼす。
 対応の為の時間が無いに等しい状況で立案した作戦には、圧倒的に人員が足りなかった。戦況はどう贔屓目に見ても悪いとしか言い様がない。しかしここでこの事件を食い止めねば、また新たに他国との火種を作ってしまう。それだけは絶対に避けねばならなかった。
 とにかく、この状況を何とか出来るのはロイしかいない。その為の国家錬金術師の肩書きであり、その為の大佐と言う地位なのだ。
 ロイは己を鼓舞するように、発火布の手袋をはめた手を握り締める。そして、余計な思考を一瞬で胸の奥に仕舞い込むと、多人数の敵を迎え撃つ作戦を凄まじい勢いで組み立てていった。
 ロイの軍帽の下の視線を捕まえ、リザが真っ直ぐな視線で次の作戦を問うてきた。だから、ロイは部下達を安心させる時に使う剛胆な笑みを浮かべてみせると、発火布の手袋をはめた右手で小さなGOサインを作ったのだった。

       §

 この日、彼らは隣国の皇子を国賓としてこのイーストシティに迎える記念式典に参加していた。
 アメストリスが他国から国賓を迎えるのは、数年ぶりのことであった。しかも、その第一の滞在地にイーストシティが選ばれるという名誉、リザに言わせるのなら押しつけられた面倒事、は彼らがこの地に赴任してから初めてのことであった。
 この一ヶ月というもの、街は歓迎のムードで明るく染めあげられ、お祭りムードが街中を陽気に彩っていた。その一方で、暗殺やテロに対する警戒は特A級の態勢となり、事前の予行演習や万一の際に使う避難ルートの確保など、様々な準備がとり行われてきた。
 何しろ何もかもが初めてのことであり、ロイもリザも日常の業務に加え、それら準備に振り回され、毎日胃をキリキリさせる日々を過ごした。
 勿論、そんな準備など役に立たないに越したことはない。無事に式典が済み、無事に皇子を自国へと帰し、余計な仕事が増えないのが一番だ。
 だが、残念ながら彼らのささやかな希望は、叶えられることはなかった。

 血相を変えたハボックの登場が、事態の変化を告げる第一の使者だった。
 忠犬よろしく人混みの中から一目で二人を見つけたハボックは、一直線にエントランスを突っ切ってきた。礼装に身を包み、堅苦しい行事を幾つもこなし、ようやくホッとしたところだったロイは、予定に含まれぬ部下の登場に嫌な予感を覚えた。
「どうした?」
 ハボックの緊張した面持ちにロイはその予感が現実となることを悟りながら、それでも華やかな場の雰囲気を壊さぬよう静かに聞いた。ハボックもそこは心得たもので、ロイの傍らまで近付いてから、その耳元でぼそりと囁いた。
「テロッス。テロリストの集団に会場に侵入されました!」
「何だと!」
 怒りと驚きを等分に含んだロイの声に、ハボックは自分が叱られたかのように困った顔をした。
 ロイは事前のチェックや打ち合わせを脳内で反芻し、基本的な漏れがないことを確認し直し、リザを見た。彼女の方も同様の思考をしていたらしく、彼の視線に同意の眼差しを返してきた。
「あれだけ警戒網を敷いたというのに、なぜ今頃になって……」
 彼の思考を代弁するかのようなリザの疑問に、ロイは目線でハボックに話の続きを促した。
「スリーパーっス」
 ハボックの意外な返事に、ロイは流石に驚きを隠すことが出来なかった。
「まさか! アメストリスがあの国との国交を断絶して、何十年経ったと思っている」
「その、まさかっス。親子三代目で、遂に出番が来たらしいっス」
「ほぅ。素晴らしく気の長い話だな」
 ロイは思わず感嘆の溜め息をもらしてしまい、隣に立つリザに睨まれてしまう。
 スリーパー。
 スパイの中でも特に敵国に潜り込み、有事が来るまでじっと市井に身を潜め続ける者をいう。特に事が起こらなければ、そのまま一般人として生涯を終え、その任務は孫子の代へと引き継がれていく。常人離れした忍耐と忠誠心が無ければ到底務まらぬ役目であり、故に今までロイもその存在にお目にかかったことはなかった。
 三代目ともなれば生粋のアメストリス人として、軍人になることも造作なかったであろう。となると、今回の警備計画や脱出路に関する情報も漏れていると考えるべきだった。ならば、こちらは奇策で返すしかあるまい。それにはまず、要人の避難から始めねば。それも、演習しなかった方法での避難を。
 事態を頭の中で整理したロイは、新たな避難経路を考えながらハボックを見た。
「別室に移動する。歩きながらで構わない、現状を報告しろ」
「ウッス」
 ロイは故意にゆったりと歩きながら、パーティーの場に相応しい作り笑顔でリザを振り向いた。
「君も来てくれ」
「アイ、サー」
 ロイの言葉の前に既に歩き出していた彼女は、唇の中で呟く程度の返事をし、優雅な足取りで控え室へと向かう。緊迫感を隠した三人は詳細な打ち合わせをする為に、会場を後にした。
事態の変化を告げる第二の使者、テロリスト達がその会場に現れたのは、その僅か数十分後。華やかな式典会場は、血と硝煙に塗れた戦場へと姿を変えることとなったのだった。
 
        §
 
 そして、戦闘開始から三〇分が経った。リザを背後に付かせたロイは、自分達がじりじりと後退している状況に内心の焦りを濃くしていた。
 部下達の表情には疲労の色が濃く、最終防衛線はどんどん後ろへと下がっていく。戦況は四対六の割でこちらの劣勢、というところだった。何しろ敵の総数が分からない。後から後から湧いてくるテロリスト達の相手は、はっきり言って消耗戦だった。
 突出した敵の陽動に乗せられた兵達の隊列が崩れ、ロイはもう一歩の後退を余儀なくされる。腕を振り上げ長い焔の防御ラインを作り上げ、彼は撤退する兵の安全を確保する。
 焔の壁は敵と味方をはっきりと隔て、怯んだ敵の隙を突いて自分も味方と共に後退したロイは、柱の影でようやく一息ついた。無意識に頬を撫でれば、白い発火布の手袋が煤で黒く汚れた。己の姿を見下ろしてみれば、折角の礼装は焼け焦げ、煤にまみれ、散々な有様であった。ロイは内心で溜め息をつきながら懐の銀時計を取り出し、時間を確認する。
 ハボックの報告を受けてからの僅かの間に、誰にも知られぬ新たな脱出路をロイは錬金術で作り出した。そこから、ロイは皇子を含む要人を護衛付きで脱出させた。入り口は錬金術で塞いでおいたから、テロリストが彼らを追いかけることは不可能だ。後は、本来の脱出路から彼らが逃げ出したように思わせ、皇子達が安全な場所に到達するまでの時間を稼ぐことが、彼らの務めであった。
 せめて後一〇分、この最終防衛ラインをもたさねば。ロイはそう考え、憂鬱な思いで銀時計を閉じる。
 正直言って手勢の少ない今、その一〇分さえ持ち堪えられるかどうか。人海戦術で押してくる相手に奇策で挑むにも限界がある。だが、彼はその限界さえ越えてみせねばならないのだ。
指揮官である彼は、成功すればそれだけの褒賞を得る事が出来る。だが、万が一にも失敗すれば、ロイは全ての責任を自分の地位や命で贖わねばならないのだ。それは誰とも分かつことの出来ない、上に立つ者だけが抱えていかねばならない重圧だった。
 疲弊し始めた肉体と不利な状況は、ロイの心に小さな黒い影をもたらした。ちらりとリザの方に視線をやれば、彼女は彼を見上げ、じっとその鷹の目で彼を見つめていた。
 自動拳銃のマガジンを交換する彼女の礼装もまた煤だらけで、硝煙が彼女の仄かな化粧の香りを消していた。普段とは違う彼女の明るいメイクと僅か数時間前の平和を思い出し、ロイは溜め息の代わりに小さな愚痴をこぼす。
「ああ、予定通りだったなら、今頃は君を右手に、美味い酒を左手に、優雅な晩餐会で暇を潰している筈だったのだがなぁ」
「残念でしたね」
 弱音とも愚痴とも言えぬほどにジョークのオブラートに包まれた彼の言葉に眉をひそめたリザは、さほど残念でもなさそうな口振りで律儀に返事をして寄越した。
 その時、彼らの隠れた柱に、一斉射撃が加えられた。大の大人が二人隠れるには少し幅の細い柱を盾に、銃弾を避け二人は身を寄せる。急激な接近に、狭い柱の影でロイの軍帽のつばが彼女のおでこに当たった。リザは表情を変えず彼を見上げ、抗議の声を上げてきた。
「大佐、軍帽のつばがおでこに当たるのですが」
「ああ、すまない」
 ロイは彼女の言葉を受けて、邪魔な軍帽を投げ捨てた。そして、ついでとばかりに重たいサーベルもその場に落とした。
 とにかく今は身軽になり、可能な限り敵を倒すしか道はない。そう考え臨戦態勢に入るロイの姿を横目に、リボルバーに弾を装填しながらリザは言葉を続けた。
「大佐、帽子を脱がれると、髪がぺちゃんとして変な頭になっていて気持ち悪いのですが」
「君は私にどうしろというのかね!」
 彼女の意図が分からず、敵の様子を窺いながら今度はロイが彼女に抗議の声を上げる。
カチリと回転弾倉をセットしたリザは、彼を見ると微かに笑った。二丁拳銃を構えた彼女は自分も柱の影から敵の様子を窺い、そして言い足した。
「礼装は着崩されない方が、よろしいのではないかと進言させていただきます。この場を乗り切って、戦功の授勲をお受けになるのに、礼装を着ておいでなのはちょうどいいではありませんか」
 ロイは想定外の彼女の台詞に目を瞬かせ、そして毒気を抜かれて苦笑した。
 他の部下の前では自信を持った指揮官の姿を保たねばならない彼が、唯一息をつけるのは彼女の前だけであった。その上で尚、彼女とさえ分かち合うことの出来ない指揮官の責任をロイが抱えていることを、彼女は知っている。
 そうした全てを理解し、それでも彼の弱気を受け止めて、尚且つ発破をかけてくる彼女らしい気遣いは、微妙に歪な飴と鞭であった。口下手な彼女なりのウィットなのであろうが、なかなか手厳しいその言葉は、笑うに笑えないものであった。
 まぁ、そこが彼女らしいとも言えるのだが。
 ロイは少しだけ肩の力を抜き、改めて状況を見つめなおす。
 敵が一斉射撃に転じたということは、向こうも余裕がなくなってきた証拠だった。ここを凌げば形勢は逆転する。今こそが、正念場だ。弱音を吐いている場合ではない。
 彼はきっちりとオールバックを整え直すと、気負いを自分の肩から追い出した。そして、彼女の気遣いを受け取った証に投げ捨てた軍帽を拾って被り直すと、彼女に向かって軽口を叩いてみせる。
「ああ、そうだな。さっさと事件を片付けて、胸のメダルを増やして君を惚れ直させねばならん」
 ロイの切り返しに彼女は一瞬の笑みを浮かべたが、すぐにいつものポーカーフェイスに戻るとリボルバーの撃鉄を起こした。
莫迦おっしゃってないで、十一時の方角、敵、来ますよ?」
 そんな素気無い彼女の返事と共に、焔の壁を乗り越えた敵方の戦闘再開を告げる銃声が複数鳴り響いた。その銃声に対してロイは不敵な笑みを浮かべ、銃を構えるリザに問う。
「残弾数は?」
「カートリッジが三本」
「あと一〇分、保たせられるか?」
「余裕です」
 彼の要求する無茶を当たり前のことと答えるリザの言葉と迷いのない眼差しは、真っ直ぐにロイの勝利を照らす光であった。ロイは発火布の手袋をはめた右の手首をぐっと左手で握る。そこに宿る決意が、リザと共に彼の背中を押した。
「右から回り込む。援護頼む」
「了解しました」
 そう言ってから、ロイは彼女の姿を改めて認識し、戦闘にあまりにも不適切な彼女の礼装姿に、もう一言を添えた。
「君はその後、隣の控え室まで退却して待て。負傷者の手当てでもしていてくれ」
「承服致しかねます」
 取り付く島もない冷徹さで、リザは彼の言葉を却下する。言い出したら聞かない彼女の性格を熟知するロイは、それでも首を横に振ると、諦め悪く彼女に事実を指摘してみせた。
「君、そのタイトスカートとヒールのある靴で、これ以上どう戦う気だね?」
 しかし、敵は一枚上手であった。リザは澄ました顔で銃を撃ちながら彼に言う。
「スリットでも作っていただきましょうか? 大佐のお好みでしょうし、機動性も確保出来ます」
 苛烈な戦いの場にあまりに不似合いな言葉は、ロイに心底からの笑いをもたらした。
「私ならミニスカを推奨するが」
「撃ちますよ?」
 彼のおふざけに、リザはあからさまに眉を顰めてみせる。そのやり取りは、彼らの当たり前の日常の延長で、だからこそ、彼にいつもの自信に満ちた己の姿を取り戻させる。
「それは剣呑だ。君に撃たれる前に、さっさと職務に戻るとしよう」
 そんな軽口を彼女との会話のピリオドとしたロイは、くっと表情を引き締めると先刻の自分の言葉通りに右からの攻撃ルートに走り込んだ。彼を狙った銃弾が幾つも打ち込まれたが、その弾丸を放った者たちは、ことごとくリザの銃弾の返り討ちにあうこととなった。
 彼女の正確無比な『鷹の目』を恐れた襲撃者の銃撃の隙を突き、リザは銃を撃ちながら彼の後を追いかけてくる。彼らは先程後退した距離を埋め直し、再び最前線に立つ。
 ロイは背中合わせに立つ彼女の存在を感じながら、矢継ぎ早に焔の波を生んでいく。彼の背後では、右手にリボルバー、左手にオートマチックを構えたリザが確実に敵の数を減らしていっていた。
 彼らのコンビネーションは無敵の正確さで襲撃者を薙ぎ払っていく。未だ戦況は不利なままであった。だが、彼の心は先程とは正反対の明るさを帯びていた。ロイはその明るさをくれる己の光へと声を掛ける。
「援護頼む、出るぞ」
「アイ、サー」
 頼もしい彼女の返事を背に、ロイは走り出す。迷いも不安も振り払い、ただ己の生む焔の力と、彼にそれを与えた女の力を信じて。

       §

 その数十分後、皇子は無事に脱出し、両国間の国際問題は火種のうちに消し去られた。そして僅か数時間のうちに、彼は無事に胸のメダルを一つ増やすに足る戦果を得た。
 そして、その報告を受けた時に煤だらけの彼女の顔に浮かんだ笑みが、そのメダルよりも彼の心に喜びをもたらしたことは、彼だけが知るもう一つの戦果であった。