軍帽十番勝負! サンプル
この『軍帽十番勝負!』は、一四〇字SSS
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「大佐、軍帽のつばが、おでこに当たるのですが」
「ああ、すまない」
「大佐、帽子を脱がれると、髪がぺちゃんとして変な頭になっていて気持ち悪いのですが」
「君は私にどうしろというのかね!」
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より派生した短編集で、其の一から其の六まではコピー本の再録(加筆修正有り)、其の七から其の十までは書き下ろしになります。
全てのお話が少しずつ次元のずれた『もしも』の世界の物語になっています。
『彼らの関係性が変わる事で、一つの会話がどれだけの物語を生むか』という、こんなお遊びが成り立つのも、ロイアイならではかな、と思う次第です。
最後までお付き合いいただければ、幸いに思います。
【 目 次 】
其の一 ストイック・ステーション ― 切な目ストイック ― 06
其の二 夜と帽子と珈琲と ― 恋人設定静かな優しい夜 ― 14
其の三 扉の中の秘密 ― 執務室俺様エロス ― 22
其の四 礼装軍団 ― チーム・マスタング ― 30
其の五 生殺しスタンドナイト ― 酔っ払い甘め ― 40
其の六 夜明けの月 ― アイロイ風味 ― 48
其の七 嘘と噂 ― 強くてストイック ― 56
其の八 無理難題の眠り姫 ― 可愛い酔っ払いエロス ― 66
其の九 饒舌なラジオ ― 支えあう軍人の二人 ― 78
其の十 過去を呼ぶ ― 共に生きる道 ― 90
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其の一 ストイック・ステーション
わっ、と群衆の間から歓声が上がった。
駅周辺の高い建物の位置をチェックしていたリザは、人混みに揉まれながら大きな声の上がった方を振り向いた。彼女の視線の先には、綺麗にデコレーションされた御成列車が駅に到着する姿と、それを取り囲む民衆の姿が映る。
予行演習であるはずの式典の会場は、まるで本番さながらの熱気に包まれていた。駅前の広場に設置された舞台の前にいた民衆達も、彼女の耳にした歓声を合図にしたかのように、我先に駅へと向かって移動していく。まるで民族大移動のような光景に、リザは眩暈を覚える思いで式典会場から駅へ向かう人の流れを観察する。
ボトルネックになる駅の入り口が、やはり狙撃の危険が一番大きいかもしれない。そう考える彼女の背後で、興奮した親子の声が聞こえる。
「ねぇ、パパ。王子様はいつ、この汽車に乗ってアメストリスにやってくるの?」
「今度の月曜日さ」
「メアリ、ちゃんと王子様、見られるかな?」
「練習でこれだから、ちょっと難しいかもしれないな。……いや、でもメアリが良い子にしていたら、きっと大丈夫だよ」
そう、大丈夫でいてもらわないと困るのだ。
親子の会話に対してリザは胸の内でひとりごちると、自分も人の流れに乗って駅に向かって歩きだした。
隣国との国交回復の一つの布石として、皇子が国賓としてアメストリスにやってくることが決まったのは数ヶ月前のことであった。それは喜ばしいニュースであったが、その第一の到着の地にこのイーストシティが選ばれたのは、彼らにとって厄介ごと以外の何ものでもなかった。
国賓来訪のニュースが発表されるや否や、直ぐにお祭り騒ぎが街中の空気を陽気に彩り、街は歓迎のムードで明るく染めあげられた。その一方で、暗殺やテロを警戒する軍の警備態勢は最上級のものとなり、この数ヶ月の間、イーストシティは明るい民衆と殺気だった軍部の危ういバランスの間で揺れている。
狙撃手として今回の式典の警備の任を与えられたリザは、人混みが当日と同じくらいになるであろう御成列車公開のこの日に、現場の下調べをする為にひとり休みを取り、駅周辺を歩き回っていた。
私服姿で群集に紛れて現場を歩いてみると、地図上で見るのと違って、駅前の式典会場を一般市民に公開するという措置の危険性は、彼女の予測以上に高いものであった。特に群衆の存在は、その集団心理による予測のつかない動きを暗殺に利用される危険因子として最も危惧されるべきものと彼女には思えた。その際暗殺の危機に晒されるのは、隣国の皇子だけでなく己の上官も同様であることに思い至り、彼女は表情を曇らせる。
今回の式典の警護において、珍しく彼女は自分の上官と全くの別行動をとる予定になっていた。ロイはグラマン中将の供として迎賓の為の式典に出席し、リザは狙撃班の指揮下に入り、広場の警備に当たることになった。それは、たとえロイの副官という位置に在らずとも、一介の狙撃手としての彼女が有能であることを買われての措置であった。リザはその栄誉に改めて背筋を伸ばし、与えられた任務に赴いた。
別行動を取るリザの代わりにロイの身辺を守るのはハボックで、彼になら安心してロイの警護を任せられると彼女自身も納得した。
だが納得した筈のその事実は、いつもの自分の定位置を奪われたような嫉妬にも似た座りの悪い感情を彼女の胸に芽生えさせた。その上彼の傍にいられないという事実が、彼女の胸にぽかりと穴の空いたような思いを感じさせるのだ。そんな自分に、リザは微かな嫌悪感を覚える。
そんな感情は、ただの上官と部下とである彼らの間には不要なものである筈なのだ。軍人として生きると決めた彼らが命令に従って別行動を取ることも、彼の背を他の部下が守ることがあるのも、不満を言うべきことではない筈なのだから。
リザは頭を振って要らぬ考えを追い出すと、淡々と自分に課せられた任務に必要な情報を人混みの中から拾っていく作業に集中した。
駅の構内に入れば、そこに集結した群衆の密度は先程の広場の比ではなかった。イーストシティで一番大きい筈の駅でもこれだけの群集が集まれば手狭に感じられ、十メートルを移動するのに数分掛かってしまう程だった。人いきれに酔いそうになりながら、リザは壁際の比較的空いた場所を選んで歩いていく。
これでは本当に駅から会場まで皇子が移動する僅かな時間さえ、暗殺の危険が懸念された。例えばこの場所でパニックが起これば、軍の人間だけではこの群衆の暴走を止めることさえ出来ない。今の警護計画ではカバーできない死角が多いことが分かっただけでも下見の成果はあったと、リザはひとり頷くと、さっさとこの不愉快な人混みの中から引き上げようと踵を返した。
リザは駅から外に出ようと、人の波に逆らって歩き出す。だが、ごった返す構内では人とぶつからずには移動することさえ出来ず、彼女は予想以上の障害に辟易しながら駅を抜けようとした。
その時だった。
「中尉!」
不意に遠くから、彼女を呼び止める声がした。
思いがけない、だが耳に馴染んだ男の声に、彼女は反射的に足を止める。やがて彼女が探すまでもなく、人混みをかき分けてガシャガシャと腰のサーベルを鳴らしながら、黒髪の男が彼女の視界に姿を現した。
おそらく中将の代理で、式典の予行演習に付き合わされたのであろう。彼女の上官は軍の礼装に身を包んでいた。きちんとオールバックに整えた髪を軍帽で隠し、人混みでサーベルが邪魔にならぬよう身体に沿わせるように刀身を片手で引いたロイは、非常に謹厳な軍人に見えた。
こうして真面目にしていれば、この人はとても見栄えのする風貌をしているのだ。リザは少し感心して、遠くから歩み寄ってくる男の姿に見惚れた。
礼装に合わせたオールバックの髪形は凛々しく、普段の彼の童顔を隠している。服装に見合った彼の落ち着いた立ち居振る舞いと、帽子のせいで伏し目がちになる黒い瞳が、普段より彼の姿を涼やかに見せていた。軍人としての威厳に人波が割れ、彼はいつもの歩幅を崩すことなく歩いてくる。
すれ違う女たちの幾人かが、通り過ぎる凛々しい青年士官の姿に振り返った。自分もその女達と同じだと思い知らされるような気がして、リザは男の姿に見惚れてしまった自分の心を律した。
何食わぬ顔で上官に対する敬礼の姿勢をとった彼女の想いも知らぬげに、彼女の前に立ったロイは鷹揚にその敬礼に頷いてみせる。
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其の八 無理難題の眠り姫
目を開ければ、眼前には不在であるはずの男の顔があった。
「大佐、軍帽のつばが、おでこに当たるのですが」
リザはぼんやりと目を瞬かせ、状況がよく分からないままに、とりあえず現在自分が覚えている不快感を目の前の男に伝えてみることにした。折角人が気持ちよく眠っていたというのに、コツコツとおでこをキツツキのようにつつくなんてひどい話だとリザは思う。
「ああ、すまない」
ひどく浮かれた調子で謝罪の言葉を口にしたロイは、ヘラヘラと笑いながら軍帽を脱ぐと彼女が枕代わりに使っていたクッションの傍らに置いた。ギシリとソファーを軋ませてロイの体重がリザの上へと移動し、再び彼女の上にのし掛かる彼の顔が眼前に迫った
酒臭い口付けがひとつ、彼女の唇に落とされる。リザはアルコール臭の強さに辟易しながら、再び閉じようとする瞼を無理矢理に開け、ロイの身体を押し退けた。不安定な体勢のロイは彼女の軽い力にバランスを崩し、少し後ろに仰け反った。
リザは未だ眠りと現実の狭間にある意識を引きずり上げながら、前立てを開けたロイの礼装の襟元と、仄かに紅い彼の顔と、クシャクシャに乱れた彼の髪とを順番に見上げる。その姿は、どこからどう見ても立派な酔っ払いだった。
息は酒臭いし、彼女の身体の上に重たいサーベルが乗っているのにも気付いていないし、彼女がクロスワードを解いていた新聞が彼の膝の下でクシャクシャになっていることにも気付いていない。
彼女は小さく溜め息つく。だが、酔っ払いは彼女の抵抗を気にする風もなく、幸福そうに彼女の両肩を押さえつけると再びその唇を塞いだ。
「ンッ!」
熱い舌がのったりと彼女の中に侵入し、リザはその口付けの濃厚さに今度こそはっきりと目覚め、自分の肩を掴むロイの両手首を抗議の意味を込めて揺さぶった。だが、礼装のコートの分厚い生地越しでは、彼女の意志は酔っ払いにまったく伝わらなかったらしい。ロイは上機嫌な様子のまま、丹念に彼女の口中を貪り始めた。
人に待っていろと言ったくせに、男の帰宅はひどく遅かった。
セントラルから重鎮を招いた式典は、大変に面倒くさいものだった。やれ記念パーティーだ、祝賀会だと引きずり回されるロイは、上の接待に飽き飽きしている表情を表面上はしっかりと隠し、それでもリザだけは先に帰れるように手配してくれた。
『なるべく早く抜け出すから、起きて待っていてくれないか。流石に今日の接待は、私にも慰労が必要なレベルだ』
そう言って苦く笑ったロイは、彼女のポケットに己の自宅の鍵を放り込むと、有無を言わさずリザを会場から送りだしてくれたのだった。
いったん自宅に戻って着替えをすませたリザは、家に合った食材を適当に抱えてロイの家へと向かった。どうせ立食パーティーでは、ろくに食事も出来ずに彼はお腹を空かせて帰って来るであろう。そう予測した彼女は、彼の為に軽い夜食の準備を整え、言われたとおり彼の帰りを待った。
彼女は暇つぶしにソファーで新聞のクロスワードを解きながら、彼の帰りを待っていた。頭を使っていれば、眠ってしまうこともないだろうと思ったからだ。どうせ、日付が変わるまでに彼が帰ってくることはないだろうと彼女は思っていた。『なるべく早く抜け出す』とロイは言っていたが、あの状況で彼がすぐに会場を抜け出せるとは到底思えなかった。
だが、どうやら彼女のその計画は上手くいかなかったらしい。
疲労は彼女の手からペンを落とさせ、彼女を眠りの世界へと導いてしまった。
おかげで彼女は、こうして酔っ払いの急襲に叩き起こされる羽目に陥っている。
あれから、どのくらい時間が経ったのだろう。リザは息も出来ないほどの口付けの嵐に辟易しながら、ロイの肩越しに壁の時計へと視線をさまよわせる。暗くてはっきりとした時間は分からないが、おそらく彼女が最後に時間を確認した時から一時間は経っていないように思われた。
もう少し起きていたら、こんな勝手はさせなかったものを。リザは腹立たしい思いを抱え、ロイの身体を押し退けようと、己の手を礼装の袖口から内側へと潜り込ませ、直接ロイの手首を掴んで再び揺さぶった。
ダイレクトな強い力は、彼女の不服を今度はきちんと彼に伝えたらしい。ロイは彼女の唇を解放すると、いかにも不思議そうな顔で彼女を見た。
どうやら自分が彼女に拒絶される理由が、さっぱり分かっていないらしい。困った酔っ払いを困らせてやろうと、リザはわざと口付けのことには触れず、意地悪に副官の口調で彼の乱れた髪形を指摘する。
「大佐、帽子を脱がれると、髪がぺちゃんとして変な頭になっていて気持ち悪いのですが」
「君は私にどうしろというのかね!」
ひどいことを言われている筈の男は、愉快そうに笑った。彼女はあくまでも真面目な調子で、彼の笑いを受け流す。
「どうしろもこうしろも、ありません。髪形だけではありません。何ですか、そのだらしない格好は。着崩した礼装など、不格好以外のなにものでもありません。きちんと大佐という階級にふさわしい身なりをなさってください」
ロイは不服そうに眉間に皴を寄せた。
「そうは言うがね、君。礼装というものは窮屈なのだよ。女性の礼装と違って、襟元は堅いし、サーベルは重たいし、軍帽で前は見難いし、どうにもならん」
大真面目に反論しながら、ロイはもそもそと彼女の上から起きあがると、非常に素直に礼装の前釦をすべて留め始めた。襟元をきちんと直し、手櫛でざっと髪形を整え直した彼は、ソファーの端に威厳をもった様子で座り直した。
「これで不具合はないだろうか?」
どうにも酔いが回って真っ直ぐ座っていられないらしいロイは、ぐらぐらと揺れながら、それでも生真面目な様子で彼女の反応を待っている。リザは恐ろしいほど素直なロイの様子を信じられないものを見る思いで見つめ、確認の意味を込めてもう一度彼の服装の乱れを指摘した。
「軍帽はどうなさるおつもりですか?」
「室内では脱帽するのが礼儀かと思うのだが」
「でしたら、きちんと所定の場所に帽子をお片付けになってください」
「うむ、分かった」
ロイはフラフラする足取りで立ち上がると、クッションの傍らに置いた軍帽を取り上げ、よろめきながら寝室に消えた。