gloss over

「大佐!」
暖かな午後の昼下がり、東方司令部に呆れたリザの声が響いた。
心地好い午後の日差しの中、良い気分で船を漕いでいた彼女の上官は薄ぼんやりと目を開けると、面倒そうな様子を隠そうともせず彼女の呼びかけに答えた。
「何だね、中尉?」
「何だね、ではありません。また勤務中に居眠りをなさって」
「期限のある書類なら、すべて仕上げたはずだが」
「そういった問題ではありません。上官がこれでは、皆に示しがつかないではありませんか」
リザの小言にロイは苦笑するとぎしりと椅子を鳴らして辺りを見回し、事も無げに言った。
「そうは言うがね、君。見てみたまえ、皆きちんと己の仕事をしている」
確かにロイの言う通り、非番のハボックを除いたマスタング組の見慣れた面々は、上官のサボリをいつものことと気に留める様子もなく、適当に己の職務に勤しんでいる。
珈琲を飲みながら書類を作っている者、鼻歌を歌いながら機械を組み上げている者、過去の資料から関連書物を引っ張り出してきている者。
各々が各々の特性に準じて、勤勉、とは言えないまでも勤務中の態度としては許容の範疇の気楽さで、事件のない日の午後を過ごしている。
リザは視線を彼らから戻すと、腕いっぱいに抱えた書類をドンとロイの執務机の上に置いた。
だらしなく椅子の上で伸びをする上官を、リザは冷ややかな眼差しで見下ろす。
「ですから、そういう問題ではありませんと申しております。部下の規範となることも、上官の責務ではありませんでしょうか。きちんと働いて下さい」
彼女の小言を聞き流すロイは片手で彼女が持ってきた書類をパラパラと捲り、欠伸をかみ殺すと机上に肘をついた。
軽く握った拳に顎を載せ、ロイは如何にも何か企んでいそうな上目遣いでリザを見る。
「働くと言えば中尉、君はこんな話を知っているか?」
「何でしょう?」
この男はまた何か面倒くさい御託を並べて、自分を煙に巻いてしまうつもりに違いない。
リザは胡散臭いものを見る目つきで上官を見る。
だが、ロイはリザのあからさまな牽制の表情を気にする様子もなく、蕩々と語り出した。
「労働と言えば、動物の労働体系には面白い法則があるらしい」
「一体、何のお話でしょう?」
「だから、働くという行為についての話だよ」
まるで当たり前のことのようにそう言ったロイは、彼女に口を挟ませる隙を与えず、言葉を繋いだ。
「例えば働き蟻というものは、働くものだと皆思っているが、これが少し違うらしい」
ロイは僅かに唇の端を上げると、実に面白そうに話し出す。
「働き蟻の中には『2:6:2の法則』というものが、存在するらしい。働き蟻を観察しその行動を分類すると、次の三つに分類されるというのだ。第一が勤勉に働く蟻、第二がそこそこ適当に働く蟻、第三がサボる蟻。そして、その比率はどの群れでも同じであり、尚且つ、その中からサボる蟻を取り除いたとしても、今まで働いていた蟻の一部がサボリだし『2:6:2の法則』が維持されるのだそうだ」
「ですから、虫の話など」
「ところが、これが虫だけの話ではないのだよ」
如何にも彼女の反論が想定の範囲内だといった体でロイはリザの言葉を途中で奪うと、したり顔で言い足した。
「人間社会にもこの『2:6:2の法則』が成り立つという説が、有力であるそうなんだ。さて、そこでこの部屋の現状を考えてみようではないか、中尉」
にこやかに自分を見上げるロイの表情に嫌な予感がしながら、リザは部屋の状況を見て、彼の言わんとすることを把握する。

『2:6:2の法則』
2:6:2、それは即ち1:3:1。
1:3:1の総和は5。

つまり、だ。

この部屋の人数は5人、そこに『2:6:2の法則』を当てはめるならば。
とても働く『1』が自分。
普通に働く『3』がブレダ、フュリー、ファルマン。
そして、サボる『1』がロイ、というわけだ。

リザは本気で頭を抱えた。
そんなリザを横目に、ロイはたいそう機嫌良く笑った。
「どうやらお分かり頂けたようだな、聡明な副官殿。大切な部下たちをサボらせるわけにはいかんから、私は敢えて『2:6:2』の最後を引き受けているのだよ」
ロイのふざけた言い分に、リザはわなわなと拳を震わせた。

まったく、この男は!

屁理屈をこねさせたら右に出るものはいないのではないかと思える小憎らしい男を睨み付け、リザは憤然と言い放った。
「大佐の言い分は十分承りました。それでは、私が『2:6:2』の先頭を引き受けるのを止めれば、この集団の中に勤勉な上官が発生する可能性が高くなるわけですね」
リザの返答に驚いた顔をする男を睨め付けたまま、リザはカツリと踵を馴らして綺麗な敬礼をしてみせる。
「先日の事件の際に発生しました代休を、本日たった今から消化させて頂きます」
「中尉!」
「本日中に必要な事務処理は、全て終わっておりますので大佐の業務に支障はないかと。それでは」
「君、待ちたまえ!」
ロイの制止を歯牙にもかけず、リザは踵を返す。
カツカツと踵を鳴らし司令室を出ようとしたリザは、扉の前で不意に立ち止まる。
そしてくるりとふり向くと、恐々と二人のやりとりに耳をすませていた部下たちに向かって、にっこりと微笑んでみせた。
「貴方たち、サボって良いわよ」
まったく目が笑っていない彼女の恐ろしい笑顔に震え上がる男四人を残し、リザはいつもより少しだけ乱暴に部屋の扉を閉めた。

そして彼女は歩き出す。
上官の屁理屈をやり込めた小気味良さと、さっき机上に置いた書類は明日の朝までに全て仕上がっているであろう予感と、何か事が起これば真っ先に駆け出す結局は『2:6:2』の先頭に属する上官の矛盾に、小さな苦笑を浮かべながら。

Fin.

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【ひとこと】
 いろいろぶっ飛ばしたくなる事って、ありますよね。

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