軍帽二十番勝負 其の四 礼装軍団 ― チーム・マスタング ―

「おい、お前、襟曲がってるぞ」
「あ、すみません」
「やっぱり、礼装は動き難いよなぁ」
「なんと言っても、礼装ですからね」
「久しぶりに持つと重いんですよね、サーベルって」
「なんせサーベルだもんなぁ」
「しっかし、俺、礼装着るの自体、ものすげー久しぶりなんだけど」
「ま、黒い徽章付けなきゃならん事態が無いだけ、よしとするべきだ」
「めでたい席で莫迦な冗談は止めてください」
 狭い控え室の中は、男たちの雑談で満ちていた。
 きちんと人数分の椅子が揃えてあるとは言え、膝をつきあわせて向かい合って座っている程、彼らはお行儀が良いわけでもなければ、大人しいわけでもない。
 厳めしい礼装に身を包んだ四人の男たちは、その威厳ある服装に似付かわしくない落ち着かなさで、ある者はそわそわと歩き回り、またある者は壁にもたれ掛かり、各々が思い思いのポーズでその時が来るのを待っている。
 まるで動物園のようだ。
 部屋のあちこちで子供のようにごそごそと動き回る男たちを眺め、リザは微かに苦笑した。

 前年度の終わり、イーストシティは数年ぶりの国賓を迎えた。アメストリスの国家としての威信をかけたその警護において、彼らマスタング組の面々は国家単位で企まれていた暗殺計画を暴き、犯人グループを一網打尽にするという大活躍をしたのだった。その時の功績が上層部に認められ、彼らは全員揃って綺麗な色の勲章を授与されるという名誉を得たのであった。
 今日はその勲章の授与式であった。普段は滅多と着ることのない礼装に袖を通し、きっちりと身だしなみを整え、彼らはこの控え室に集っていた。普段は表舞台に立つことの少ない縁の下の力持ちであるところの彼らが、このような格式張ったイベントを前にして、居心地の悪い思いでいるのは仕方のないことであっただろう。
 かく言うリザとて、こんな晴れがましい席はあまり得意ではないのだ。出来ることならスポットライトを浴びる役目は上官一人に押しつけて、自分は陰で彼の出世の役に立てれば良いと思っているくらいなのだから。
 だが、彼女は男たちの前ではそんな様子はおくびにも出さず、礼装のスカートの膝を揃え一人静かに椅子に座って式典の時間を待っていた。そんな彼女の周囲で、男たちはがやがやと喋り続ける。
「しかし、礼装は背筋が伸びますな」
「緊張するの間違いじゃねぇの?」
「まったく緊張してない人間も、約一名いるみたいだけどな」
「まぁ、こういう場には慣れておいででしょうからね。大佐は」
「流石だよなぁ」
 口々に好きなことを言いながらたむろする男たちの言葉を耳に、リザはなるべく考えないようにしていた事実を思い出さされ、頭を抱えたい思いで部屋の扉に視線を投げかけた。
 そうなのだ。今日の主役の一人であるロイが、まだこの場に到着していないのだ。
 本来ならとっくの昔にこの場にいてもらわないと困る彼らの上官は、未だ姿を現さない。表面上は何でもない顔でいつもの無表情を貫いているリザであったが、内心では彼が遅刻してくるのではないかと先程から気が気ではなかった。
 だから、昨日あれほど迎えの車を出すと言ったのに。何が、「子供じゃあるまいし、大丈夫だ」だ。全然、大丈夫ではないではないか。
 リザはやきもきしながら、壁の時計を見上げる。式典までにはまだ余裕があったが、彼自身が指定した集合時間は、既に過ぎてしまっている。
 まったく、今日、この日ばかりは遅刻してもらっては困るのだ。大掛かりな式典には、セントラルからの来賓も揃っている。未だ大佐という微妙な地位にいる彼が、上層部の心証を悪くするようなことは絶対に避けねばならないと言うのに。
 リザは時計を見上げたまま、小さな溜め息をこぼした。
 だいたいが、あの男の軽々しい「大丈夫だ」という言葉を信じて、何度リザは痛い目にあったことだろう。こんなことなら彼の言葉を無視して、朝から彼の家を急襲しベッドから引きずり出して連行するべきだった。
 リザはしても仕方のない後悔に臍を噛み、また溜め息をこぼす。そんな彼女の溜め息を、不意に皮肉屋を装った軽い声が笑った。
「中尉、もういい加減諦めましょうや。どうせ、こういう大事の時には、なんだかんだ言って遅刻したこと無いでしょう、あの人。心配するだけ、労力の無駄ってもんですよ」
 いつの間にか彼女の横に立っていたブレダは、大きな腹を揺らして笑いを収めるとそう言った。彼らしい気遣いの言葉に、リザは壁にもたれて立つ男を見上げ答えた。
「そうは言うけれどね、ブレダ少尉」
 ブレダのある種楽天的な言葉に眉間に皴を寄せたリザの反論の言葉を、珍しくハボックが遮った。
「ブレダの言うとおりッスよ、中尉。子供じゃないンすから」
 相棒同様に楽天的なハボックの方をリザは眉間に皺を寄せた顔のまま振り向くと、今度はいかにも分かりやすく盛大な溜め息をついてみせる。
「子供の方が、よほど素直で手が掛からなくていいわ。人を振り回して、屁理屈をこねさせたら敵わないんだから、質が悪いったら本当に」
 だが、そんな彼女の言葉を再び遮り、格好の暇つぶしを見つけたとでもいうように彼女の周りに集まってくる男どもは口々に好きなことを話し出す。
「中尉がそうやって世話を焼くから、ますます大佐が調子に乗るんじゃないッスか」
「だいたいが過保護なんですよ、中尉は。大佐なんか、放っときゃ一人で何でもやっちまう人なんですから」
「確かに。放っておいたら、一人で前線までお出になってしまうくらいの行動力はおありですから」
「まぁ、そうなったらそうなったで、僕たちが振り回されて困る訳なんですけどね」
 ファルマンの的確な指摘に、フュリーが可笑しそうに笑う。余りに容易く想像できる光景に、リザはますます頭が痛くなる思いがし、フュリーをたしなめた。
「笑っている場合じゃないわ、フュリー曹長
「あ、すみません」
 すっかり恐縮するフュリーに、横からブレダの助け船が入る。
「まぁ、そうは言いますがね、中尉。この部屋にこんな礼装で集まっている時点で、我々は大佐に十分振り回されている、といっても間違いじゃないと思いますよ」
 ブレダの思いがけない言葉に、リザは首を傾げた。他の男たちもブレダの言葉に興味津々といった体で、リザを囲む形で輪を作る。
「どういう意味かしら? ブレダ少尉」
 集まった面々の疑問を代表するかのようなリザの言葉に、ブレダは正帽をくるくると指先で弄びながら、淡々と答えた。
「大体が、こんな叙勲みたいなしち面倒臭いことなんざ、大佐が手柄独り占めして、ちゃっちゃと終わらせて下さりゃ済むことなんですよ。それを、まぁ、わざわざ上に掛け合って、面倒臭い手続きを幾つもこなして、部下である俺達にまで重たいメダルを増やしてくださるってんですから、物好きな話な訳でして」
 リザはブレダの言葉に驚いた。
 今回の全員の叙勲に際し、ロイが上層部に話を通す為に結構な時間と労力と金銭を使ったことを、リザは知っている。それは彼女が彼の副官として様々な書類や面会のアポイントメントの調整を手伝ったからであって、その事実を彼女はロイに口止めされていた。
 だが、そんなロイの裏での働きも、聡い部下の目には丸分かりであったのだろう。一筋縄ではいかない上官の部下は、やはり一筋縄ではいかない面々であったらしい。
 リザの驚きの眼差しに、ブレダは下手なウィンクで答えてみせた。思わず笑い出しそうになるリザの表情に、ブレダは自分も小さく笑うと更に辛辣な言葉を足した。
「まったくお節介というか、クソ真面目というか、まぁ一言で言うと莫迦でしょう」
 この場にいない上官を、すぱりと一刀両断にしてのけるブレダの舌鋒に、リザは苦笑するしかなかった。
 確かに、ブレダの言うとおりなのだ。軍内部を見渡してみても、部下の功績を横取りしてでも出世に固執する軍人や、部下など使い捨ての踏み台だとしか思っていない軍人はごまんといる。そんな中で、こんな青臭い理想を引きずって、部下と共に歩んでいこうというのだから、ロイという存在そのものが、軍の中では異端なのだ。こんな上官に見込まれた時点で、彼らは一様にロイの特異性に巻き込まれていることになる。
「からいわね」
 上官に対する弁護の余地もなく苦笑するリザに、男達は口々に言いたてる。
「確かに言われてみりゃぁ、そうなんだよな。こんなお人好しで、部下に功績分け与えてどうするんスかねぇ」
「まぁ、我々にとっては、邪魔にはならないものではありますが」
「むしろ、ありがたいですけれど」
「けど、大佐がまず上行ってもらわないと、俺達の立場も微妙なわけッスよ。変なとこで目ぇ付けられても、逆に困るというか」
「それに、礼装着る面倒は、こっちに回さないでいただけるとありがたいですね。肩が凝って仕方がない」
「サーベルも重たいし、な」
「むしろ、俺達はビールでもたらふく飲ませてもらう方が、ありがたいッスからね」
「ああ、良いですね、冷えたビール。上官の奢りだと尚良い」
 口々にやっぱり好き放題なことを言う、いかにも彼の部下らしい彼らの言葉に、リザは上官が遅刻するかもしれないという事態を憂えていた自分を忘れ、思わず声を出して笑ってしまった。
「本当に貴方達、容赦がないというか、何と言えばいいのかしら」
「一番容赦のない中尉に言われても、説得力ないッスよ」
 絶妙なハボックの言葉に、男達は低く笑った。会話と笑いが彼らの緊張をほぐし、リザは自分も肩の力を抜くと冗談めかして男達を睨み付ける。
「酷い言われようね」
「そりゃー、あんな人の部下長年やってりゃ、仕方ないッスよ」
「仕方ないですね」
「まったく、仕方ない」
 そのとき、彼らの背後で更に低いバリトンの声が響いた。
「そうか。で、何が仕方ないんだ?」
 その声に、彼らの笑いが一瞬で凍り付く。
「大佐!」
「いつの間に……」
「どっから聞いて」
「っていうか、扉の開いた音しませんでしたよね?」
 分かり易く引きつった顔をして、ざっと潮が引くように壁際に退避する男達を横目に、リザは怯むことなく遅刻寸前で姿を現した上官を椅子に腰掛けたまま見上げる。びしりと礼装を決めたロイは、そんな彼女を威圧的に見下ろした。
 遅刻してきた者とは思えぬロイの横柄な態度に、リザは先程の苛立ちを思い出し、キッときつい眼差しで真正面から彼と対峙した。
「おはようございます、大佐」
「ああ、おはよう、中尉。ところで、そろそろ式典の時間だと思うのだが、私の優秀な部下達は何をこんなところで油を売っているのかね?」
 どうやら自分の噂をされていたことは察しているようだが、その内容までは分からず苛立っているらしいロイは、嫌味っぽく彼女にそう言った。
 どうやら、上官に対する彼らの歪な愛情は、ロイ自身にはバレずにすんだようだ。リザはそれを確信すると、敢えてロイに対して攻勢に出た。
「油を売っているわけではありません。上官が来てくださいませんと、我々は身動きできないものですから、こちらで大佐をお待ちしておりました。その上で僅かの時間も無駄にしない為に、遅刻常習犯の上官を持つと苦労するという共通認識を語り合い、我々の結束を確認しておりました」
「遅刻常習犯とは酷い言われようだな。一体いつ、私が」
 一歩も引かぬリザのキツい一言にロイは目に見えてたじろいだ。だが、直ぐに体勢を立て直した彼は、虚勢を張るように居丈高に開き直る。だからリザは涼しい顔をして、事実だけをはっきりと彼の目の前に突きつけてやることにした。
「それではお伺いいたしますが、十七日の佐官会議の開始時間に、執務室にいらしたのは一体どなたでいらっしゃいましたでしょう? それから、その翌日の査察の出発時間を遅らせた理由もまだお伺いしておりませんでしたね。ああ、そう言えば、先月五日の演習の際も、最初の十五分はお姿をお見かけしなかったと思うのですが、あれは私の勘違いでしたでしょうか?」
「む」
 情け容赦のないリザの切り替えしに、ロイは反論の余地もなく唸り声を上げた。壁際に避難した男たちは、リザの華麗な言葉による狙撃に拍手喝采を送らんばかりだ。リザはまったく笑わぬ瞳でロイを見つめたまま、ニコリと唇だけで笑うと椅子から立ち上がり、更に彼を追い詰めるべく目の前に立つロイを至近距離で見つめた。
 凄みのある鷹の目に間近で睨み付けられたロイは、顔を引きつらせている。リザは優勢を保つべく、一気にロイに畳みかける。
「さて、大佐。ところで今何時かご存知でいらっしゃいますでしょうか?」
「さて?」
「あちらの時計が指すとおり、一三三五です。集合時刻は、確か一三一五と大佐がご自身でお決めになられたかと」
「そうだったかな」
『そうだ、そうだ』
 声にならぬ援軍が壁際からリザに加勢する。リザは味方の援護に更に攻勢を増し、一気にロイを攻略する体勢に入る。
「間に合うからと、ギリギリにいらして部下の心労を増やされるとは、上に立たれる者として感心できた話ではないかと思われますが、大佐はいかがお考えでしょうか?」
「そうは言うが、君、私も忙しい身なのだ」
 明らかに劣勢であると言うのに、往生際の悪いロイをリザは鼻であしらう。
「そうですね。ですが皆、忙しい中きちんと時間は厳守しております。上官がそれでは、示しが付きません。本日は雨も降っておりませんのに、それでは困ります」
「雨は関係ないだろう、雨は!」
「これは失礼致しました」
 リザに気迫負けしないように、額が付かんばかりの距離で踏ん張るロイの顔が目の前に迫る。リザはフンと鼻先でロイの不毛な反論を吹き飛ばし、無意味な男の威嚇を受け流すべくこう言った。
「大佐、軍帽のつばが、おでこに当たるのですが」
「ああ、すまない」
 負け戦にやけくそのような謝罪を言い捨て、ロイは礼装の軍帽を脱ぎ捨てる。勢いで彼のオールバックが乱れ、前髪が七三分けになってしまう。リザは似合わない彼の髪形に笑い出しそうになる自分を隠し、如何にも嫌そうな顔を作るとロイに対して追い討ちを掛ける。
「大佐、帽子を脱がれると、髪がぺちゃんとして変な頭になっていて気持ち悪いのですが」
「君は私にどうしろというのかね!」
 完全に白旗を揚げたロイの姿に、リザは壁際の気の良い男達にちらりと目線をくれてから、冷たい表情のままロイに要望を突きつける。
「そうですね。我々の心労を慰労する席でも設けてくだされば、遅刻の件もこれ以上は何も申し上げずに済むかもしれませんね」
「つまり、飲ませろということか」
 うんざりした様子でロイは彼女の意図を汲む。だが、そんな彼をリザは冷たく突き放す。
「大佐が快く皆を慰労してくださるというのであれば、のお話ですが。そろそろ式典も始まりますし、あまり時間もありませんから早々にご決断いただければありがたいのですが」
「ああ、もう分かった! 今夜適当なセッティングをしてやるから、好きなだけ飲め!」
 自棄のようなロイの叫びに、彼らの望む結果を勝ち取ったリザの背後で、男達の拍手喝采が起こる。リザは澄ました顔でその拍手を受け取ると、堂々とロイに勝利宣言を言い渡す。
「ありがとうございます。では、そろそろ参りましょうか。お時間です」
「分かった。行くぞ、お前ら!」
 何だかんだ言っても、結局は部下達に愛されている上官は、その愛情を知らぬままカモにされ、非常に不機嫌な顔のまま髪形を直すと軍帽を被り直した。遅刻した彼の自業自得であるのだが、少しだけ彼が可哀想になり、リザはロイに見つからないように少しだけ笑った。
 扉の方へと踵を返し、ものも言わず歩き出す不機嫌なロイの後ろには、びしりと礼装を着こなしたご機嫌な四人の男達が付いていく。その一糸乱れぬ統率の取れた集団の後ろ姿は、先程の莫迦莫迦しいやり取りを想像させぬほど、きりりと決まって見えた。
 まったく、馬子にも衣装とはこのことか。
 リザは互いに思い合う割に素直になれぬ莫迦な男達の凛々しい後ろ姿をしばらく眺めていたが、やがて小さな笑みを浮かべると、自分も晴れ舞台に立つ為に襟を正して歩き出したのだった。