blue-black 【前編】

夜の執務室は静けさに満ちている。
深夜の残業の効率の悪さにロイは、いったん作業を諦め仮眠を取ろうと試みていた。
疲労は彼の肉体を蝕んでいたが、頭脳は奇妙に冴え渡り、今日に限って彼の意識を眠りへと導いてはくれない。
しかし、眠ろうとすればするほど眠りの精は彼から遠のいていく。
フッと分かり易い溜め息をこぼし、ロイは眠りの力を借りて己の感情を麻痺させることを諦めた。
「仕方あるまい」
声に出してそう呟き、彼は机上に放り出した万年筆を再び手に取った。
指先に僅かに洩れたインクが滲み、湿った感触に彼は指先をそっとすりあわせる。
その動作は焔を生むいつもの一連の動作に似ていて、ロイは己の指先に昼間の出来事を思い出す。

「下がってください!」
そう言いながら、彼女の指は既に引き金を引いていた。
その迷いのない行動と眼差しは彼が危うく思う程に真っ直ぐで、自信の身の安全など欠片も考えていなかった。
その結果として、ロイを狙った刺客は彼の指先が焔を生む形を作る前に地面に倒れ伏していた。
『またか』
と、彼は思う。
彼自身、イシュヴァールの英雄と呼ばれる自分が様々な意味で“派手に”狙われることは割り切っている。
実際、彼は幾つ命を取られても足りないくらいの人間を殺めてきたし、その恨みを買うのは当然のことだと思っているからだ。
ただ、割り切っているからと言って、殺されてやろうと思うことはない。
彼は生き意地汚く生き残り、この罪を償わねばならないからだ。
彼が割り切れないのは。
「大佐、ご無事で」
息一つ切らすことなく、的を屠った彼女の存在だ。
ロイが全くの無傷であることは分かりきっているというのに、彼女は真っ直ぐな瞳でじっとロイを見つめていた。
そのあまりの一途さは痛い程に彼の胸に突き刺さり、ロイは微かな痛みを覚える。
ロイは己のざわめく内心を押さえ、何気ない素振りで彼女に答えた。
「ああ、優秀な副官がいてくれるおかげで」
「お役に立てて光栄です」
ニコリともせずそう言ったリザは、ホルスターに銃をしまうと殺さず仕留めた犯人を確保する部下たちへと視線を移した。
彼女の鷹の目から解放されたロイは、彼女に気付かれないように小さな息を吐いた。
自分より先に死地に向かうような行動をする彼女が腹立たしかった。
そして、その状況を作り出しているのは自分であることは更に腹立たしいことだった。
しかし司令官であるところの彼は、そんな私的な感情をこんな戦場でさらけ出すわけにはいかない。
だから、ロイは何事も無かったかのような顔で副官の功績を褒め、自分を狙った暗殺事件の後片付けに取りかかったのだった

あの一途な瞳から光が消えることを、ロイは恐れている。
ねずみ算の頂点にいる自分が部下たちを守る為には、まず直属の部下である彼女を守らなければならない、というのは建前だ、
それ以上に彼は彼女に対して特別な感情を抱いている。
彼女もまた同様であることも、分かっている。
果たしてそれは正しいことなのだろうか。
ロイは指先に出来たインクの染みを眺め、思う。

あの日、彼女は自身でこの道を選んだと言ったが、それもあの師匠の墓前での幼かったリザに彼が語った青臭い理想の話がなければ、そもそも彼女は軍に入ることなど思いつきもしなかっただろう。
全て、己の彼女に向かうこの想いが生んだものだ。
それは自惚れかもしれないけれど、この感情が己に彼女を縛りつけ、彼女の人生を狂わせているのかもしれない。
それは彼の望むことではない。
そんな彼女の重石になるような想いなら、いっそなくした方がいい。

疲労した頭は千々に乱れる感情を映し、とりとめもなく広がっていく。
時折彼の中で頭をもたげる罪悪感が悪い方へ暴走していく。
その時。

「失礼します」
ノックもなく執務室に入ってきたのは、彼の副官その人だった。

To be continued…

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【あとがきのようなもの】
Twitterお題より
 
あなたは『こんな感情はあの人の重荷になるだけだと決めつけて自分の中でどうにか消してしまおうとしている』ロイを幸せにしてあげてください。
 
さて、どう幸せにするか……。