Vermillion

カタリ、と小さな物音が聞こえた。
それは、とてもとても小さな物音であったけれど、軍人である彼女の眠りを覚ますには十分な大きさを持っていた。
リザは心地好いベッドの温もりの狭間でうっすらと目を開き、寝ぼけ眼のまま、そっと白いシーツの中に指先を滑らせた。
指先に触れるはずの男の体温はそこにはなく、彼女の掌は未だ冷え切らぬ人肌の温もりを残したシーツを撫でるに止まった。
薄い布に僅かに残されたロイの体温を指先で味わいながら、ゆっくりとリザは眠りの淵から意識を浮き上がらせる。
そして、彼女は先程の微かな物音と空のベッドが意味するものへと思考を巡らせた。

彼は喉が渇いて、水でも飲みに行ったのだろうか。
リザは乾きを覚える己の喉を感じながら、そう考える。
確かに今の彼ら二人には、適度な補水は必要不可欠なものであるだろう。
だが、水を飲むだけなら、彼はすぐに彼女の眠るベッドへと戻ってくる筈だ。
ベッドに残る温度は、それよりもう少し長い時間、彼がベッドから離れていることを彼女に教えてくれている。
では、一体彼は何をしているのだろう?

リザは小さな疑問を解決する為に、そっとベッドから起き上がった。
ひやりとした夜気が火照りの残るその白い肌を撫で、彼女はふるりと身を震わせると傍らにあったロイのシャツを遠慮無く羽織った。
少し生地の厚いシャツは彼女を淡い冷気から守ってくれるようで、リザは我知らず小さな笑みを浮かべる。
彼女は自分を包み込む男の体温を思い出しながら、静かにベッドを離れた。

寝室のドアを開け、彼女は足音を殺して長くはない廊下を歩いて行く。
彼女の行く先に僅かな灯りが揺らめいている。
人の気配はどうやら、台所にあるようだ。
では、やはり彼は水分を摂取しているのだろうか?
彼女は微かな光の漏れる台所の扉の隙間から、そっと中を覗き込んだ。

予想通り、彼女の探す男の姿はそこにはあった。
ロイはダイニングテーブルにロックグラスを置き、独りバーボンを傾けていた。
小さなテーブルランプが彼の手元を柔らかなオレンジの色に照らし、冷えた真夜中の台所で、そこだけが不思議なほど暖かい色に染まっていた。
黒い彼の髪もオレンジの光をその艶に反射し、冷たいはずのロックグラスまでもが柔らかな暖色の光を映し、まるで彼の前に暖炉があるような錯覚を起こさせる。
しかし、何より彼女にその温度を感じさせたのは、ロイの表情であった。

彼は穏やかに微笑んでいた。
それは、僅かな休息の時間を満ち足りたものとして享受し、魂を安らがせ己を解放する、ただの男の顔であった。
彼の手の中にあるバーボングラスにワンフィンガーにも満たない量の酒しか入っていないことが、彼が己の赦した酒量が僅かなものであることを物語っている。
それは即ち、彼がこの台所に長居する気はないことを意味していた。
恐らく彼は彼女の推測通り、喉の渇きを覚え、ぐっすりと眠る彼女を起こさないよう、密かにこの台所に足を運んだのであろう。
そして、水の代わりにバーボンを口に運びながら、彼は夜の静けさの中に心の平穏を見つけ出したのだ。
久しぶりの二人きりの時間。
銃声の響かぬ平和な夜。
穏やかに眠る彼女。
愛する酒。
彼の手の中に今この瞬間にだけ存在するすべてに彼は乾杯を捧げ、彼はあの穏やかな笑みの中に幸福を噛みしめているのだろう。
彼のシャツに包まれ、独り笑みを浮かべる彼女と同じように。

リザは不思議なものを見る思いで、しばらくロイの姿を見つめた。
まるで、彼女の胸の中にまでその温もりが溢れてくる気がした。
やがてリザはロイに気付かれないよう台所の扉から離れ、踵を返した。
互いの存在が生む幸福が彼を包んでいることに満足しながら、彼がそれを噛みしめる時間を邪魔しないように、そっと、音を立てぬように。
そして、彼女は再びベッドへと潜り込んだ。

彼がベッドに戻ってきた時に、彼女の温もりで彼を再び包み込めるように。
あのオレンジのテーブルランプの温もりと同じように、彼を幸福の色で包んでしまえるように。

  *****************
Twitterに流したやつを、ちょっと修正。短いですが、リハビリがてら。

お気に召しましたなら。

Web拍手