overprotectiveness

「目標七五〇メートル。標的、射程内に捉えました」
「了解した。引き続き待機を命じる」
「ラジャー」
必要事項だけを告げる短い通信は、了承の言葉と共に素っ気なくぷつりと切られた。
「さすが、大尉ですね。簡潔にも程がある」
「状況は聞かずとも、スコープの中に全て把握しているのだろうさ」
感心したようにぼそりと言うマイルズに、ロイは苦笑と共に言葉を返した。
マイルズはサングラスを外し、何やらメモを取りながら言葉を続けた。
「鷹の目だけにですか?」
「ああ。鷹の目だけに」
ロイの笑いを片頬に感染させた新入りの部下は、地図に視線を移しリザの待機する建物の位置に青のマーカーを置いた。
地図の上にはイシュヴァラ教の寺院を中心として並べられた色とりどりのマーカーが、同心円上に幾何学模様のように並んでいる。
地図上の配置を見下ろし、ロイは懐から銀時計を取り出した。
マイルズはそんなロイの様子を窺いながら、律儀な口調で彼に問う。
「これで総員配置完了です」
「後は突入時間だな」
迷いのないロイの言葉に、マイルズは笑みを両頬へと広げた。
「相変わらず無茶な作戦ですよ、まったく。よくあの大尉がゴーサインを出されたと感心します」
雪の女王仕込みの歯に衣着せぬ部下の言葉に対し、ロイは当然のことと言い放つ。
「四の五の言っていられる状況ではないからな。せっかく建て直した物を吹き飛ばされては、堪ったものではない」
「おっしゃるとおりです」
マイルズの同意に、ロイはにやりと笑ってみせた。
「さて、私も久々に前線に出るかな」
「御冗談を」
「さっさと片付けてしまわんと、久々の明日の非番がつぶれてしまう」
冗談めかしたロイの言葉が本気であることを、マイルズは悟っているだろう。
だが、イシュヴァール政策に取りかかるようになってから以前より更に肝の据わった無茶を言い出すロイとの付き合いに既に慣れたらしく、マイルズは肩をすくめるに止めた。
「では、突入時間のご指示を。さっさと始めて頂かないと、非番がつぶれる前にまた残業になってしまいます」
真面目な顔で軽口を飛ばす部下に向けて苦笑ではない笑みを向け、ロイは銀時計を手の中にパチリと開いた。

事件の一報が入ったのは、今から約一時間半前のことだった。
昼食の後のロイの僅かな休憩時間は、けたたましい電話のベルで打ち切られた。
ひとときの休息を奪われた不愉快さを露わにしたロイは、副官の淡々とした報告に更に眉間の皺を深く刻むことになる。
報告の内容は、イシュヴァラ教の寺院が過激派の反アメストリス支配の集団に占拠されたというものだった。
その連絡と共に寺院の破壊予告が犯行グループから届けられ、東方司令部の昼下がりは一気に慌ただしい空気に満たされた。
その寺院は彼がイシュヴァール政策に取りかかった際、スカーら協力者との会合の結果を元に一番に再建を命じたものであった。
信仰の自由の保証、そしてイシュヴァール再興のシンボルとしての意味合いを込めて建てられたそれを破壊するという予告は、彼の信念に対する挑戦状以外のなにものでもない。
彼は己の政策に対する真摯さをイシュヴァールの民に示す為には、何としてもこの破壊予告を阻止せねばならなかった。
その為には多少強行ではあっても、突入作戦を敢行しするべきだと彼は判断した。
少し時間をかけて犯人グループを精神的に追い込む作戦も提案されたが、時間が掛かりすぎることで民意が傾く危険を良しとせず、彼はそれを却下した。
イシュヴァール人達のアメストリス軍人に対する不信は、未だ根深い。
不信を暴力に繋げる負の連鎖は、芽のうちに摘み取らねば。
そんな判断の元、准将であるロイは自ら現場に足を運んだのであった。

ロイは銀時計からマイルズの用意した地図に視線を落とす。
復興の始まったばかりのイシュヴァール地区の地図は、建ち始めた建物の記号と瓦礫の残る空白の記号が混ざりあっている。
以前は空白の方が多かったが今は建物の占める面積の方が広くなり、地図の更新は日々行われている。
だが、ここまで慎重に進めた復興も、小さなひび割れから容易に壊れてしまうことをロイは知っている。
そう、イシュヴァール内乱のきっかけも、たった一人の少女の事件だった。
僅かな躓きも、今の彼にとっては排除すべき大いなるリスクだ。
そう考えるロイの耳に、通信機が届けるリザの声が響いた。
「准将、突入時間のご指示を」
ロイは地図と追想から、時計へと視線を戻した。
マイルズが通信機の送話器を手渡してくる。
ロイはそれを受け取ると、砂混じりの微風に目を眇めた。
「珍しいな。君がそれほどせっかちに事を進めたがるとは」
ロイの揶揄を無視し、通信機の向こうのリザは生真面目に彼の言葉に答えを寄越す。
「我々がイシュヴァラ教を守る立場であることを早急に示さなくては、准将の重ねられた政策が無駄になります」
リザが彼と同じ思考をしていることにロイは笑みを浮かべそうになったが、指揮官として表情を引き締める。
そんなロイの内心の動きを知らず、リザは畳みかけるように言葉を続けてくる。
「それに早期に事件を解決してしまわないと、准将が最前線まで出ていらっしゃいかねませんから」
リザの言い様にマイルズが吹き出しそうに表情を歪めた。
マイルズがチーム・マスタングに名を連ねるようになって、さほど長い年月が経った訳ではないが、彼は既にこのチームの内情をきちんと理解しているらしい。
笑いを堪えるマイルズをむっとした表情で見たロイは、送話器に大人げない反論をする。
「最近はきちんと後方に収まっているだろうが」
「現場に出ておいでの時点で、何をおっしゃっても無駄です」
「そうは言うがね、君」
ロイは更なる反論を繰り広げようとしたが、リザはそれ以上彼に話をさせてはくれなかった。
「ええ、確かに准将自ら陣頭に立たれるお姿をイシュヴァールの民の目に焼き付けることは、政治的に非常に有効な策ではあります。お側にマイルズ少佐を置いておいでなのも効果的でしょう」
「君だって分かっているじゃないか。だったら」
完全にロイの思考を読んだリザに満足しながら、ロイは無駄な抵抗を再開しようとした。
だが、長年連れ添った彼の補佐官は、彼の何倍も上手であった。
リザはまったく彼の言い分を無視し、こう言ってのけたのだ。
「マイルズ少佐では、前線に出られる准将を足払いでお止めすることが出来ませんでしょう。彼では新たな火種が起こります」
澄ました彼女のふざけた言い草に、マイルズは今度こそ吹き出した。
ロイは反論する気も失せ、完全にお手上げの体で通信機に話しかける。
「ああ、分かった。分かった。君には敵わん」
「本当に分かっておいでですか? 現在の私の配置では准将が突入なさるとしたら、フォローに回るにはかなりのタイムラグが生じます」
「分かっている。任せるから。出ないから」
くどいほどにそう言うと、リザは漸く納得したらしい。
「お分かりくださったなら結構です」
ロイはげっそりして
「追って突入時間は連絡する。いったん切るぞ」
「ラジャー」
通信はやはり簡潔にぷつりと切られた。
通信機を置いたロイは、くつくつと笑い続けるマイルズを不機嫌も露わに見下ろす。
「笑うな」
「さすが、大尉ですね。お見通しにもにも程がある」
「仕方ないだろう」
「鷹の目だけにですか?」
「ああ。鷹の目だけに」
ロイが不機嫌にそう言った陰で、マイルズは可笑しそうにぼそりと呟いた。
「お見通し以上に、過保護にも程がありますが」
「何か言ったか? マイルズ」
「いいえ、何も。サ−」
雪の女王相手に鍛えられているマイルズは、何もなかった顔でロイの詰問をかわしたのだった。

Fin.

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【後書きのようなもの】
 本年もロイアイ妄想にお付き合いくださり、ありがとうございました。
来年もどうぞ、よろしくお願いいたします。