if【case 09】

もしも、イシュヴァール政策を別の視点で考えたなら

       §

イシュヴァール政策の進捗を報告する長い会議が終わったのは、二一四〇を少し過ぎた頃だった。
具体的な制令が引かれ、各地に散ったイシュヴァール人を迎え入れる為の準備は、どれだけ慎重になっても慎重になり過ぎることはない、非常にデリケートな問題であった。
故に、准将となったロイを筆頭にマイルズやブレダ、スカーらの初期メンバーに加え、ロイが新たに登用したイシュヴァール人僧侶や内乱を知らぬ軍人、様々な人間が知恵を絞り、日々議論を交わしていた。
意見が噛みあわず全く議論が進まぬことも多く、時に険悪にも思える空気が場を満たすこともあった。
だが、それも彼らのイシュヴァール政策に対する真摯な取り組みと思いのせいであることは、参加する皆が理解しており、その険悪な雰囲気が会議室の外にまで持ち出されることはなかった。
それでも、会議の場の空気は普段の彼らの関係にも、微妙な影響を与えることも多い。
今日も今日とて、眉間に皴を寄せた男達は難しい顔を崩さぬまま会議室を出、不毛な議論と進まぬ政策に頭を抱えながら、帰路に就くのであった。

「准将」
議事録をまとめていたせいで少し遅れて会議室を出たリザは、前を行くロイの背に向かい声を掛けた。
「どうした? 大尉」
「お忘れ物です」
「ああ、すまない。考え事をしていたせいで、うっかりしていた」
彼に向かって万年筆を差し出したリザを、眉間に深い皴を刻んだままロイは振り向いた。
リザは彼のその表情に自分を眉を顰め、いつもの調子で淡々と彼に思うところを告げた。
「それから、その眉間の皴を何とかなさって下さい。指揮官がそんなお顔をなさっていては、士気に響きます」
「士気って、君ね。戦場じゃあるまいし……、と言うわけにもいかないか。ある意味、毎日が戦場か」
リザの言葉にロイは虚を突かれた様な顔をし、それから指先で己の眉間をこすりながら苦笑した。
リザは彼の言葉に対するコメントを避け、じっと彼の横顔を見上げた。
ロイは眉間をこすりながら、遠い目をするように自分と同時に会議室を出、反対方向歩き出したスカーの姿に視線を向けていた。

「味方にしても、手強い人間は手強いものだな」
「被害者から忌憚のない意見を聞ける機会は、貴重かと」
「確かに、君の言うとおりだ。奴は熱い男だからな、逆に考えれば奴に認めさせるほどの意見を出せれば、他のイシュヴァール人を納得させられる可能性も高くなる、ということだ。まったく、骨が折れる話だがね」
リザはロイの前向きな言葉を耳に、ロイの視線の行く先を辿る。ロイはリザと話をしながら、未だスカーの姿に視線を向けていた。
マイルズと立ち話をしているスカーは先程までのロイと同じ様に眉間に皴を寄せ、難しい顔をしていた。
しかし、スカーが難しい顔をしていない時を探す方が難しく、それはやはり、彼がまだ同胞を殺したアメストリス国の軍人というものを信用していない証のようにも思えた。
「我々の所業を考えれば、仕方のないことではあるのだが、こう、毎日その現実を突きつけられては眉間に皴も寄るというものだよ」
そう言って笑うと、ロイは何かを考える時の癖で顎に指をかける。
彼の視線は、相変わらずスカーの上に留まったままだ。そのまま沈思する姿勢に入ってしまったロイの姿に、リザは以前から幾度か己の思考の端を掠めていたある推論の裏打ちを得たように思い、思い切ってロイに己の推論をぶつけてみた。

「准将」
「何だね?」
「准将は、本当に錬金術がお好きでいらっしゃいますね」
「は? 何の話だ? 今は職務中だが」
自分でも自覚がないのだろう、心底不思議そうな顔をしてみせるロイに向かい、リザは彼の視線の行く先を指摘した。
「先程からご自身が何をご覧になっているか、それを見て何をお考えになっているか、ご自身が一番よく分かっておいでの筈ではありませんか?」
ロイは彼女の言葉にハッと目を見開く。
そして、困ったような、照れたような顔をした。
「ああ、そうか。しまったな、私としたことが。これもまた、錬金術師の性かな」
リザは自分の推理が間違っていなかった事を知る。彼女はロイを咎めるでもなく、ただ笑った。
「やはり、そうでいらっしゃいましたか」
「面目ない」
「いえ、何も准将閣下を咎めだてしているわけではありません。しばらく前から、そうではないかと思っていただけですので」
「やはり、鷹の目は伊達ではないな。分かっていた筈なのに、君にはいつも驚かされる」
ロイはそう言って、彼女から再びスカーへと視線を戻した。

彼が無意識にじっと見ていたもの。
それは、スカーの右腕に刻まれた刺青であった。

「スカーの兄が考案し、刻んだ刺青だと聞いた。彼の兄は余程錬金術に造詣の深い聡明な人物だったのだろうな。もし内乱がなければ、そんな人物と話が出来ていたかもしれないと思うと、口惜しい限りだ。あれと対になる彼の兄の左手にはどんな刺青が刻まれていたのか、あの刺青の全貌がどんなものであるのか、どうにも気になって仕方がない。こんな時だと言うのに、困ったものだ」
「良いのではありませんか?」
リザはロイの言葉を逆に肯定した。
てっきり彼女にお小言を食らわせられると思っていたらしいロイは、その彼女の反応にまた不思議そうな顔をしてみせる。
「スカーに今のお言葉を直接言われれば、良いのではないでしょうか?」
ロイは今度こそ本当に驚いた顔をし、再び眉間に小さな皴を寄せると苦い声で彼女に言った。
「まさか! 国家錬金術師でありイシュヴァール殲滅戦に従事した私を、スカーは未だ許してはいないだろう。世間話すら出来んというのに、そんなイシュヴァールで死んだ亡兄の話など」
「だからこそ、ですよ」
リザはロイの言葉を途中で遮り、真面目な顔で彼を見つめる。

「それが、スカーとの会話の糸口になれば、彼との和解の道がみつかるかもしれません。准将の目指されるイシュヴァール政策の根底は、そういう小さなところにあると私は考えます。イシュヴァール人に過去の遺恨を堪えてもらい、歩み寄り、語り合い、隣人として生きていく。それこそが、准将の目指されるイシュヴァール政策ではありませんか?」
リザの言葉にロイは呆然とし、彼女を見、スカーを見、そしてまた彼女の姿を見つめた。
そして、再び眉間の皴を解くと破顔一笑した。
「君には本当にいつも驚かされる。流石に鷹の目には適わんな。私は政令だとか、区画だとか、そんな面でしかイシュヴァール政策を考えて来なかったというのに」
「いえ、准将閣下は政治という視点で大局をご覧になっていらっしゃるので、こういった小さな視点には逆にお気付きになりにくだけかと思いますが」
「いや、その両方の視点でものを考えねばならんのだ。君がいてくれて、本当に助かる。もっと私も柔軟にならねばな」
ロイはそう言うと、立ち去っていくスカーの後ろ姿をじっと見つめた。
「なかなか道程は遠そうだ」
「何を今更」
「そうだな、進むしか仕方あるまい」
リザはロイと並んで立ち去っていく、イシュヴァール人の武僧の姿を見送る。
あの背と並んで自分たちが共に歩く未来を、思い描きながら。

Fin.

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【後書きのような物】
 Blog開設七周年、記念SS。
 まさか七年も続けるなんて、思ってもみませんでした。
 八年目も迎えられたら嬉しいのですけれど、どうなることやら。

お気に召しましたなら。

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