if【case 12】

もしも、あの世界に遊園地があったなら

       §

「なんだ、これは。珍しいな」
一通の書類を目にしたロイは、それにサインを書き入れながら独り言のように呟いた。
ここ最近は黙々とデスクワークをこなすことの多い准将閣下の呟きに、リザは彼のデスクへと歩み寄る。
ついでのように決済済みの書類を抱えたリザはその書類に視線をやり、少し笑った。
「確かに」
ロイがサインをした書類は、移動遊園地の営業許可の申請書であった。
ロイはブロッターにサインの余分なインクを吸わせ、彼女に視線を移す。
「どこかから紛れ込んだか?」
「おそらく。准将の元まで回す必要のない書類ですから」
「そうだろうな。どんな国家機密レベルの遊園地がやってくるのかと驚いたよ」
おどけた表情でそう言ったロイに、リザは肩を竦めてみせる。
「この一団は毎年来ているのではないでしょうか。楽しみにしていて毎年遊びに行く人も多いと聞きます」
そうなのだ。
ここ、イーストシティにはセントラルのような遊園地はない。
その代わりに、年に数回巡業のサーカスや移動遊園地がやってくるのだ。
ロイのところにその営業許可の書類が回ってくることは珍しいが、移動遊園地そのものは珍しくはない。

ロイは本来は己の仕事ではない移動遊園地の営業の為の書類をしげしげ眺め、何かを考えるようにオールバックの前髪をすっとなでた。
「移動遊園地なんてものが巡回するようになったのは、いつからだ? 私が子供の頃には、こんなものはなかった気がするぞ」
「三〇年以上前のお話を引き合いに出されるのは、いかがなものかと、准将閣下」
リザは彼の手から移動遊園地の営業許可証を受け取り、澄ました顔でそう返した。
ロイはわざとらしく拗ねた顔をすると、次の書類を手元に引き寄せた。
「どうせ私は年寄りだ、そう苛めるな」
まぁ、確かに四十を出て目尻の皺も増えたが、彼もまだまだ働き盛りの年齢だ。
自身でも、そうは思っていないに違いない。
だが、彼は年下のリザに対する時、わざとそんな風に言って彼女の反応を待っている。
大人の莫迦な甘えに付き合って、リザはいつもの台詞を口にする。
「誰もそのようなことは申しておりません」
「だが、どうせ君が子供の頃にはあったというのだろう?」
「さぁ、どうでしょう? あったとしても、我が家は娯楽とは縁のない家でしたから」
リザは笑みを苦笑に変える。
そう、彼女の家は厳格な父親のおかげで、とても窮屈であったのだから。
そして、それはロイも知っている事実であるのだから。

だが、ロイは彼女の言葉の含む微妙な陰のニュアンスを笑い飛ばすように、話題を曲げる。
「確かに。あの師匠がメリーゴーラウンドに乗っている姿など、想像もつかないな」
リザは彼につられて、黒のローブ姿で陰気な顔をしてくるくる回る木馬に乗る父の姿を想像し、思わず笑い出しそうになってしまう。
しかし、彼女は鋼の意志でいつものポーカーフェイスを貫いた。
莫迦おっしゃってないで、さっさと書類の続きを」
そう言いさした彼女に向かい、ロイは悪戯な表情をするとひょいと彼女の手から話題の種になっている移動遊園地の営業許可証を取り戻してしまった。
「准将!」
形ばかりにリザは声に険を含ませる。
だが、ロイは全く気にする様子もなく、彼女の手から取り上げた書類をしみじみと見た。
「メリーゴーラウンドに、ティーカップに、人力の観覧車。ほぅ、お化け屋敷まであるのか」
「准将、お仕事を」
更に棘のある声を出すリザの言葉を途中で遮り、ロイは彼女のお小言を無視して笑いながら言う。
「君、お化け屋敷なんかは意外に怖がりそうだな」
「ええ、怖いですよ」
リザはおざなりに彼の言葉に返事をする。
「背後からお化け役に忍び寄られたら、うっかり撃ってしまいそうで怖いです」
本当はお化け屋敷など入ったことはないから、自分がどんな反応をするかリザには分からない。
だが、人から伝え聞くお化け屋敷というものから連想するに、自分にぴったりな反応はそんなものな気がした。
「そっちの意味か」
ロイは彼女の当意即妙な答えに感心したように笑うと、とんと万年筆の尻で書類を弾いた。
そして、少しだけ目元に笑みを残したままの男は、彼女の方へと目線を流し思いもかけないことを言った。

「君、一緒に行ってみないか? 遊園地」
「は?」
いきなりの話題の転換にリザは思わず間抜けな返事をしてしまう。
「いや、君、子供の頃は縁がなかったと今言ったろう? それ以降も内乱や何やで行く機会もそうはなかっただろうから」
「何故、いきなりそうなるんですか」
「私も行ったことがないから、行ってみたいと思ってね。君、今までの人生で遊園地に行ったことは?」
「ありませんが、別に生きて行く上で支障はありません」
「堅いことを言うな。お化け屋敷だって、付き合うぞ?」
莫迦なことを」
そう言って嘆息するリザに向かい、ロイは意外なほど真面目な顔をした。
「そうかな? 果たして莫迦なことだろうか?」
彼はリザに移動遊園地の開業許可証を再び手渡し、言葉を続ける。

「人生はさほど長いものではない。イシュヴァール政策さえ、完遂出来るかどうか分からぬ程に。ならば、過去のやり直しは出来る時にやっておいてもいいのではないだろうか」
意外に真面目なロイの言葉に、リザは目を見開いた。
「イシュヴァール内乱が我々の青春だった。向き合うにはエネルギーがいるが、それを償うことが我々の為さねばならぬ使命だ。ならば、同様に失われた我々の時を取り戻すくらいの息抜きがあっても構わないとは思わないかね? ストイックであり続けて途中で折れるよりは、余程その方が建設的だ」
ロイの論理に、リザは微かに笑った。

イシュヴァール政策に取り組むようになって数年。
彼らの日々は今まで以上に忙しく、余裕のない日常を過ごしている。
東部の最高責任者となったロイに至っては、いつ休んでいるのか分からぬほどだ。
それなのに、何故だろう。
リザはかつて無いほどの余裕をロイから感じるのだ。
雁字搦めに目を三角に吊り上げて走らずとも、一歩一歩進んでいく丁寧さ。
その為のゆとりを許容すること。
それは、己の人生を懸けた信念を貫くことを得た彼の心の余裕なのかもしれない、とリザは思う。

そんな彼の言葉を噛みしめる彼女をからかうように、ロイは言い足した。
「たとえそれが生きて行く上で必要はなくとも、ね」
リザは彼女の言葉尻を捉える男に反撃する。
「お化け屋敷が、ですか?」
「何ならメリーゴーランドも付けるぞ?」
ふざけたロイはクシャリと手の中で、オールバックを崩した。
マスタングさんであり、中佐であり、大佐であった彼の過去が崩したロイの髪形の上に甦る。
そう、彼等の共に歩んだ年月が。

彼女は両手を広げて、降参の意を表明する。
「今日中に仕事をきちんと終わらせられたら、考えて差し上げます」
「君は相変わらず、私を餌で釣るのが上手いね。私は君の思うままだ」
ロイの軽口に、リザは憮然として答える。
「ご冗談を、いつも思うままになさっていらっしゃるのは准将のほうではありませんか」
「冗談は君の方だ。お陰で、私は馬車馬のように働かざるを得ないじゃないか」
そう言ったロイは両手で前髪をなで上げると、再び准将閣下の顔を彼女の前に作り上げた。
「では、スケジュールの調整を頼む。君と私の二人分の、な」
気障なウィンクを彼女に投げて寄越した男は、また黙々とデスクワークに没頭していく。
「ご健闘をお祈りしています」
リザはすました顔で彼のウィンクを受け取り、再び静寂の満ちた部屋に足音を響かせ部屋を出る。
お化けを撃たない為に、携帯する銃の数は減らした方がいいのかしらと考えながら。

Fin.

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 611! ロイアイの日ですよ!
 今年も無事に更新出来て嬉しいです。去年はストイックだったので、今年はほのぼの。いろんな可能性を持つロイアイが大好きです。
 お気に召しましたなら。

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