例え僅かな変化でも おまけ

リザとの僅かなやり取りをした翌朝から、ロイは髪型を変えた。

始めは何となく物珍しいものを見る目で迎えられたロイの小さな変化は、特に大きな反応もなく直ぐに周囲に受け入れられた。
とりたてて目立った事柄と言えば、たまたま雑貨の納品ついでに傷痍軍人のリハビリ適用の申請に来ていたハボックが、「准将、熟女狙いの渋い男に路線変更ですか。趣味が被らなくなって、ありがたいッス!」とふざけて、ロイに前髪と髭を少し燃やされたくらいのものであった。

別に奇抜な髪型にしたわけでもなく、以前からの彼の部下たちにとっては式典の時などに見慣れた姿ではあるわけだから、それも当然のことと思われた。
ただ、背筋を正してこの政策に取り組もうとするロイの思いは、彼が何も言わずとも伝わるものがあったようで、自然と会議の席での議論なども活発になものとなることもあった。

無論、そんなことで直ぐに何が変わるわけでもない。
リザを含む旧マスタング組の面々も、スカーらイシュヴァール政策の協力者たちも、終わらぬように見えるイシュヴァール政策の牛歩の如き進捗に振り回されている。
それでも、様々な条例を作り、中央との意思の統一を図り、各地に散ったイシュヴァール人の足跡を辿り、各人が各人に出来る仕事をこなすしかない。
そんな中で、ささやかな変化は、某かの兆しのように徐々に周囲へと浸透していった。

     §

「ああ、今日も進捗なしか」
帰宅したロイは溜め息にも似た独り言を吐き出し、足元から崩れるようにダイニングの椅子に座り込んだ。
リザはそんな彼の姿を眺めながら、キッチンに立ちお湯を沸かし始めた。
司令部内では上に立つ者として基本的には疲労は見せない彼が、少しくたびれた顔を晒す場に自分がなれるなら。
そう考えて、リザは珈琲をドリップする準備を始める。
予めひいておいた珈琲豆をセットし少量のお湯を注いで豆を蒸らすと、たちまち部屋中に強い芳醇な香りが満ちた。
その香りにふっと表情を緩めたロイは、オンからオフへの切り替えのようにクシャリとオールバックにした前髪を崩す。
ふるりと頭を軽く振った彼は、軍服の上衣を脱いでハンガーに掛けに立ち上がったついでに傍らのラジオを点けた。
リザが珈琲の準備を終えるまでの暇つぶしのつもりなのだろう。
再び椅子に腰掛けたロイは整髪料の残る髪を指で梳くように弄び、ラジオの向こうから聞こえるニュースに耳を澄ませている。

無防備に寛ぐロイの横顔を見ながら、リザは豆に細くお湯を注ぐ。
ロイはぼんやりと頬杖をついて、統制されたニュースの内容に思いを巡らせているようだった。
額に落ちる髪の房が、彼の黒い瞳の上に愁いを含んだ影を落とす。
何かまずいニュースでもあっただろうか?
帰宅しても気の休まる間もない彼の様子に、リザは胸を痛める。
だが、直ぐに彼の愁眉は開き、明日の天気を告げるアナウンサーの声に、彼は安らかな表情を作った。
その顔は彼女が子供の頃から知っている彼の表情と変わりなく、リザには一番見慣れた彼の姿であった。
司令部にいる時の年相応の落ち着いた将軍職に相応しい雰囲気が、髪を下ろすと昔通りの幼さに取って代わる。
そんな彼の落差もまた、彼女にとっては魅力の一つなのだ。
ロイの姿を愛しげに眺め、リザはふっと表情を緩めた。

髪を下ろしたロイの姿は、今となってはリザだけがプライベートでのみ見る事の出来る姿であった。
上官と部下であることを貫く彼らの間で、ロイが彼女だけに許す小さな特別。
司令部にいる人間も、飲み屋の女達も、公に立つオールバックをぴしりと決めた准将閣下の姿しか知らない。
遙か昔、彼の修業時代から見慣れたその姿を見る時だけは、彼女はロイを自分だけのものとして見ることを許される気がするのだ。

ラジオからは、最近ようやく放送を許されるようになったイシュヴァールの民族音楽が流れ始める。
小さく指先でリズムを取りながら、ロイは満足げに覚えたばかりの音楽を口ずさんでいる。
これもまた、彼らの為し得た一つの小さな変化であるのだと、リザは男の前に珈琲を差し出しながら、自分も小さく彼と同じメロディを口ずさんだ。
童顔を優しくほころばせた男は、ティーカップごと彼女の手を取った。
小さな幸福を噛みしめる彼女の手元で、琥珀色の液体が揺らぐ。
静かな優しい夜は、二人のハミングと珈琲の香りで彩られ、彼らに僅かな休息を与えてくれるのであった。

Fin

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【後書きのような物】
「例え僅かな変化でも」のご感想で、Sさんから『ロイのオールバックが定着して見慣れるようになれば、髪を下ろしている姿はリザだけが見れる姿になるから〜』というお言葉頂いて、それ、なんて素敵、頂きます! とおまけ書かせていただきました。(Sさん、ネタの使用許可ありがとうござます!)
 久々の静かな優しい夜シリーズです。
 短いですけど、お気に召しましたなら。

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