Blue Sky Blue

人の住まぬ町は朽ちていくものだと言うが、破壊と殺戮の痕跡というものは風化しないらしい。
乱雑に鉄条網が張り巡らされた区画の向こうは、あの日のまま時を止めていた。
リザは自分の記憶とそう大差のない、昔彼女たちが破壊し尽くした街を、足早に歩いていた。

立ち入りを制限された閉鎖区画ということもあり、廃墟と化したイシュヴァールには様々な過去の忘れ物が、昔のままに落ちている。
だから、彼女がザクザクと軍靴を鳴らして廃墟を行けば、足下で様々な物が踏み潰される音がする。
割れた皿。
誰かの眼鏡。
風化して粉々になったしゃれこうべ
過去の罪が彼女を糾弾するように、足下で声を上げている。
この声を鎮めるために我々はここに戻ってきたのだと、リザは一瞬だけ足を止め、声なき声に耳を傾けた。
足下に視線を落とせば、何かが彼女の視界の片隅でチカリと瞬いた。
リザはすっと膝を屈めると、太陽を反射する足下の砂に手を伸ばす。
ザラリとした表面を指先で撫でれば、半ば砂に埋もれていた大量の空薬きょうが姿をのぞかせる。
彼女の過去を責める小さな金属の筒の表面を指先で撫で、リザはふっと頭を一つ振ると過去を断ち切り、今に立ち戻る。

遠い記憶を頼りに過去の野営地を抜けたところで、彼女はようやく探し人の姿を見つけた。
野営地を囲む石の砦の遙か向こう、崩れた民家の建ち並ぶ一角に見慣れた黒コートを片手に、ロイが風に吹かれて佇んでいた。
抜けるような蒼天の下、白茶けた瓦礫の山を背景に立つ彼の軍服の青さが色のない世界に鮮やかに浮かび上がっている。
頭上に広がる空の青と、大地に色を添える軍服の青に目を焼かれ、一瞬彼の姿に見惚れていたたリザは、初期目的を思い出し彼に向かって声をかけた。
「准将閣下!」
風に吹き飛ばされるリザの呼び掛けは、それでも彼の耳に届いたらしい。
ロイは視線を上げて、彼女の方を見た。
防壁を乗り越えロイの元に駆け寄りながら、リザは散々廃墟の中を走り回らされた愚痴をぶつける。
「まったく。移動なさるなら、一声掛けて行って下されば良いものを。お探しいたしました」
「ああ、すまない」
「まだ治安も安定しておりませんし、この閉鎖地区も完全に安全が確認された訳ではありません。もう少しご自分の立場を弁えた行動をなさって下さい」
舌鋒鋭いリザの正論を受け、ロイは苦笑しながら「善処する」とだけ答えてみせた。
どうせ、その場逃れの彼のいつもの常套句だと、リザは諦めの境地で今後の警備の手筈を考えながら、彼の隣に立つ。

「何を考えておいでで?」
「うむ。この国の過去と未来を少し、な」
気障な物の言い方でリザの問いをはぐらかし、ロイは遠くアエルゴまで続く国境地帯を見つめる。
リザは彼に倣い、高台になったその場所から、クレーター状の爆破痕が点々と残る砂礫の大地を見下ろした。
きっと彼は、この景色を独りで眺めたかったのだろう。
何の根拠もなく、しかし不思議な確信を持ってリザはそう思った。
彼らが共有する最も重い過去を刻んだ土地の惨状を、もう一度その目に焼き付け、己を戒めるために。
リザは黙って彼と並んで荒れ果てた景色を見下ろした。

しばしの沈黙の後、ロイは真っ直ぐな視線を前に向けたまま独り言のように言う。
「戻ってきたな」
「はい」
「後悔していないか?」
「何を今更」
リザはいつも通りの台詞を返し、ロイを見上げる。
彼女の気配に視線を落としたロイと彼女の視線が合う。
「こんなところで後悔するくらいなら、最初からお傍におりません」
「それもそうだ」
「それに、ここで終わられるおつもりもないのでしょう?」
「ああ、全てを守る為に」
いつも通りの会話が深い意味を持つこの場所で、彼らはただ目を見交わして笑った。
しばらくリザを見つめていた彼は、不意に思いもかけない事を言い出した。
「そうだな。全てを守ると言えば、いつか私が大総統になった暁には、この軍服を廃して新しい物を作らねばならんかな」
リザは突然の彼の話の飛躍に目を瞬かせ、鸚鵡返しに彼の言葉を繰り返す。
「新しい軍服ですって?」
「ああ」
「まさか、貴方まだ、あのバカバカしい話を本気で実現なさろうとしておいでですか?」
男どもが飲み会の席で騒いでいた『軍部女性スタッフ総ミニスカート化計画』を思いだし、リザは露骨にイヤな顔をしてみせる。
そんなリザを笑い、ロイは不意に真面目な顔を作った。

「君は不思議に思ったことはないかね? 何故、アメストリス国の軍服が鮮やかなこの青い色であるのかを」
突然のロイの問いかけに、リザは鳩が豆鉄砲を食ったように目を丸くして黙り込んだ。
彼女にとってこの軍服は、生まれた時からこの国の軍の象徴とも言えるもので、当たり前にあるものに疑問を感じたことなど無かったからだ。
リザの面食らった顔にロイは少し表情を緩めると、もう少しかみ砕いた表現を使う。
「例えば、今、私がここにこうして立っているのを君は見つけてくれたわけだが、その時まず何が目に入った?」
「あ……」
そう言われてみて、流石にリザも彼が言わんとしていることを理解する。

この砂礫の大地で、青い軍服は目立ち過ぎるのだ。

彼を見つけた時、色のないこの世界に軍服の青い色がどれほど鮮やかに彼女の目を射たことか。
それは狙撃手である彼女の観点から考えれば、的として最適ということであった。
イシュヴァール内乱の頃は、デザート・ベージュのフードや防砂コートを着ていたが、確かにイシュヴァール人に見つからぬよう大地に伏せる時、彼女は無意識に軍服の青い面積を表に出さないよう注意を払っていた。
愕然とするリザに、ロイは彼女が己の言わんとするところを悟ったことに気付き、話を続けた。
「以前から、不思議に思っていたのだよ。雪のブリッグズでも、砂地のイシュヴァールでも、草原地帯の南部でも、決して景色に馴染むことなく、我々の居場所を声高に敵に告げるこの軍服の意味を」
ロイの言葉に頷き、リザは改めて自分の軍服を見下ろした。
彼の言葉は続く。
「本来なら実戦における軍服の第一義は、カモフラージュであらねばならぬ筈なのに、この軍服は最低限のそれすら果たさない。さて、考えられる理由は何だろう、中尉」
リザはほんの少し考える素振りを見せ、ゆっくりと吐き出すように彼の問いに答えてみせる。
「大量の軍人の血を流す為、でしょうか」
彼女の答えに、ロイは頷いた。
「この国の成り立ちを考えれば、自明だな」

ホムンクルスが約束の日のために作り上げたこの国は、元から血の刻印を刻む錬成陣の役割を担わされていた。
その為に、出来る限り多くの人間の命を彼らは必要とした。
軍人も彼らにとっては、錬成陣の材料だ。
死に易いに越したことはない。

リザは自分の考えに、怖気を振るった。
まさか、そんなところまで用意周到に全てが準備されていたとは、思いたくなかった。
しかし、彼女の傍らでロイはただ泰然とその事実を受け止めている。
その姿は、こう彼女に言っている。
この国が生まれた時から連綿と続いたその悪しき因果を、彼らはこの手で断ち切ったのだ。
そう、全ては今この時から、新たに彼らが作り出していけばいいのだと。

風に二人の青いオーバースカートがはためいた。
二人の間の僅かな沈黙を風が吹き飛ばし、ロイはくるりと振り向くとさっさと歩きだす。
「次は、カーキか。ベージュか。狙撃手としての君の意見も参考にさせてもらおうかな」
リザは彼の背を追って歩き出す。
「承りました」
「ああ、君にはミニスカ・バージョンを用意させよう」
「撃ちますよ? 閣下」
「これはこれは、剣呑だな」
ふざけたやり取りの最後に、ロイは笑って付け加える。
「とは言っても、まだ暫くはこの青い軍服の世話になるわけだ。もうしばらく、背中は預けて構わんかな?」
「何を今更」
リザは青空に溶けてしまいそうな彼の背中に微笑み返し、いつもの台詞を繰り返したのだった。

Fin

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【後書きのような物】
 一〇〇万回転お礼リクエストより『原作沿い、イシュヴァール政策前後、准将が副官に疑問をぶつける話』です。静かな優しい夜の筈が、屋外のお話になりました。
 漫画的見栄えから軍服が青いのには納得していますが、ミリオタ的に考えるとあの色はどうしたって有り得ないのですよね。機能的にも。というのを本編と絡めてみました。
 お気に召しましたなら。

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