例え僅かな変化でも

もちろん、最初から何もかも順風満帆に進む訳はないことは、分かっていた。
だがしかし、これ程までに最初から何もかもが多事多難に満ちているとは。

「ここまで話を進めておいて、また振り出しに戻るのか。これは参ったな」
そう言って涼しい顔をしながら恐らく内心では頭を抱えているであろうロイの姿から目を逸らす様に、リザは視線を手元の書類に落とした。
「破壊しかないと言うのであれば、過去の貴様のやりようと変わらんと言っている」
議論の場に追い打ちをかけるようなスカーの言葉が耳に痛い。
リザは再び顔を上げると、ロイの出方を窺った。
ロイは新たな測量によって作り直されたイシュヴァール封鎖地区の地図を眺め、冷静にスカーの言葉に反論した。
「破壊ではない。区画整備だ」
「壊すという意味では同じだろう」
「既に壊れているものを更地にするだけだ。そうでないと、新しい街を築くことが出来ない」
ロイをフォローするように、横からマイルズの助け舟が入る。
サングラスを外し他意が無いことを示すマイルズのやり方に、リザは話が好転するかと淡い期待を抱く。
だが、スカーは己の同族を燃えるような紅い瞳でじっと見つめ、吐き捨てるように言った。
「まだ家の中には家具も財産も残っている。思い出の品もだ。あの内乱の時から、あの土地は時を止めたままなのだ」
怒りと言うよりは悲痛さを帯びたまつろわぬ民の言葉に、議論の場に再び沈黙が満ちた。
リザは沈黙を壊さぬよう、そっと内心で溜め息をつく。

イシュヴァール政策に取り組むに際し、北の女王から借り受けたマイルズ少尉には、何とも重い『おまけ』がついてきた。
過去『傷の男』と呼ばれ、復讐の為に国中の国家錬金術師を殺して回っていた男が、イシュヴァール復興の協力者としてロイの前に現れたのだ。
あの約束の日、ホムンクルスによる錬金術封じを破るのに鋼の錬金術師に協力したイシュヴァール人たちがいて、そのまとめ役をしていたのがスカーであったということを、リザたちは全てが終わってから知らされた。
互いに歩み寄り、平和解決の糸口を探る手があることを知った彼らは、ロイのイシュヴァール政策に彼を迎え入れる決断を下した。
幾度と無く命を狙われた相手と手を組む違和感は確かに存在したが、それは相手にとっても同じことであったろう。
違和感をねじ伏せ、イシュヴァール復興の為に進む一歩がそこにはあった。

民族復興の為には先ず、散り散りになってしまったイシュヴァール人たちがこの土地に戻ってこなければならない。
その為には、この土地が人の住める場所にならねばならなかった。
だが、イシュヴァール地区はあの内乱以降封鎖され、全く人の出入りがないままに朽ちていくに任せ放置されていた。
ロイ達は内乱で破壊された街を再生するところから、話を始める事にした。
ほぼ廃墟と化した街は、為政者にとっては再生に都合がいい。
中途半端に不具合が残ったまま部分部分を修復するよりも、更地にして街そのものを新生させた方が将来的には住み良い街になるのだから。
街の中心を決め、居住区を決め、上下水道及び道路区画などの都市計画を立てる。
その上でイシュヴァール人を呼び戻せば、帰ってきた彼らに建築という職を用意することが出来る。
仕事があれば人は定住し、人が住めば市が立ち、市が立てば更に人が来る。
その上で将来的にはこの地をシン国との対外貿易の拠点とし、アメストリスの一地方都市として栄えさせるのがロイの計画だった。
そして、それはあくまでも計画であり、概ね計画というものは立てた者の思い通りには進まないのが世の常であった。

今日もまた議論は堂々巡りの挙句、都市計画どころか残った廃墟の処理問題から一向に話は進まない。
イシュヴァール人の中でもまだ意見はまとまっていない中で、一方的にトップダウン式に結果だけを押し付ける事は反感を買うことが必至であったから、こうして話し合う事はとても重要であった。
だが、立場の違う全ての人間が納得の行く結果など無いこともまた、道理であった。
感情を合理性で説き伏せられるほど、人間の気持ちは軽くは無い。
ロイは辛抱強く、話の糸口を探る。
「しかし、持ち主の帰還を待っていては何事も進まない。イシュヴァラ教の神殿とて、このままでは崩れるに任すのみだ」
「貴様のような若造に伝統の何が分かる!」
「だが経典の散逸を防ぐにも、打つ手は早い方がいいだろう。今更かも知れんがな」
あくまでも冷静に事実を淡々と述べるロイに、スカーはハッと我に返ったような顔をした。
熱しやすく極端に走りやすい男ではあったが、それは彼の情の厚さから来ているものだと今は彼らにも分かっている。
あくまでもイシュヴァールの復興が第一義であることを前面に押し出すロイの言葉に、スカーは黙った。
しばしの沈黙の後、スカーは複雑な感情の浮かんだ瞳で静かに言った。
「少し時間をくれ。師父や皆に話をつける」
「頼む」
ロイは簡潔にそう言うと、スカーに頭を下げた。
リザは何も言わずそんなロイの姿を見つめ、少しだけ進歩した現状を議事録にまとめるべく、彼の傍らでペンを走らせる事で彼を補佐し続けた。

     §

「准将?」
食後の珈琲を入れたりザがリビングに戻ると、そこにいる筈のロイの姿が消えていた。
昼間の彼の苦労をねぎらう為に、久しぶりに焼いたタルトタタンのクリームがタルトの熱で溶けていく。
焼き立てではないが、せっかく喜ばせようと内緒で用意していたというのに。
リザはトレーを机上に置くと、台所へと踵を返した。
トイレなら直ぐに戻ってくるだろう。
そう思った彼女の予測は外れ、どれだけ待ってもロイは戻ってこなかった。
いったい、どこへ行ってしまったのだろう?
玄関のドアの開く音はしなかったから、彼はまだこの家の中にいることは間違いない。
というよりも、ここは彼の家なのだから、彼が彼女を置いて出て行くわけもない。
先程まで他愛ない話をしながら談笑していた彼が、不意に姿を消す理由が分からない。
リザは遠慮しながら、そっと彼の姿を探してリビングのソファから立ち上がった。

「准将? どうかなさいましたか?」
探すまでも無く、ロイの姿は直ぐに見つかった。
洗面所で鏡を見つめるロイは、リザの呼びかけに驚いたように振り向いた。
「あ、ああ? すまない。どうかしたか?」
「いえ、お姿が見えなかったものですから」
リザの言葉に更に驚いたように、ロイは彼女の顔を見つめた。
「そんなに長く席を外していたかね、私は。すまない」
「いえ、謝っていただくことではないのですが」
そう言ったロイの姿を改めてみたリザは、微かに目を見開いた。
リザの僅かな表情の変化に目敏く気付いたロイは、ばつが悪そうに唇を曲げた。
「おかしいか?」
「いえ、珍しいと思いまして」
「そうでもないと思うが」
「普段はなさいませんでしょう?」
リザがそう言うと、ロイはくしゃりとオールバックにした前髪を崩した。
リザは何となく不思議な思いで、滅多にない彼の正装時の髪型が崩れるのを眺めた。

彼女の視線をくすぐったそうに受け止め、ロイは独り言のように言う。
「確かに、式典の時ぐらいしか髪を上げる事はなかったか」
「そうですね。前回は確か、准将になられた際の昇進式の時だったかと」
ロイは整髪剤で束になった前髪を、再び両手でさらりと撫でつけオールバックに髪型を決める。
そして、鏡越しにリザと視線を合わせると、彼女に感想を求めるように首を傾げて見せた。
「よろしいのではないでしょうか」
「じゃぁ、これは?」
今度は、ロイはさっと洗面台に置いてあった櫛を取り、髪を七三に分けた。
「フッ」
思わず吹き出すリザに、ロイはあからさまに不機嫌な顔をしてぐしゃぐしゃと手荒に前髪を崩した。
「失敬だな、君」
「裏表のない性格なものですから」
すましてそう言ってのけるリザにロイは苦笑し、またザッとオールバックに髪を戻すと整髪剤の着いた手を水で洗い始めた。
「どうして、また急に髪型を?」
至極当然なリザの問いに、ロイは笑った。
「またスカーの奴に“若造”などといわれてしまったからな。童顔は治せんが、髪型くらいなら多少いじれる。こっちの方が若く見られにくい」
そう言って、鏡の中の自分の顔を見るロイの目は、その口調に反して笑っていなかった。

若く見られるという事は、特に男性の場合は仕事の上で不利益が多い。
なめて見られる。
経験を疑われる。
その他諸々、面倒ごとばかりだ。
特に、このイシュヴァール政策に携わるようになってから、ロイはその面倒を感じる事が多くなっているようだ。
若く見える外見で相手を油断させるのも彼が今まで使ってきた手ではあるが、流石に将軍職ともなるとそれに相応しい威厳の方が必要になってくる。
なおかつ、イシュヴァラの民は成人の証として髭を蓄える者も多く、髭の薄いロイはその点でも苦労している。
リザはほろ苦い思いで、鏡越しにロイの顔を見つめる。

こんなことにまで細やかに気を遣わねばならないほど、彼のこの土地への思いは強いのだ。
こんな休息の時間にまで、思考がそちらに傾くほどに。
当たり前の現実を改めて受け止めたリザは、敢えて彼に向かっていつものクールな態度を保ったまま、それでも少しだけ優しい声を彼の背に投げかけた。
「ところで、珈琲を淹れたのですがいかがでしょうか」
彼女の言葉に、ロイは嬉しげに振り向いた。
「ああ、それはありがたいな」
「デザートも少しですが」
「道理で良い匂いがしていると思った」
目の前でそう言って笑うオールバックのロイは、いつもと少しだけ別人に見える。
いつもなら礼装の時にしか見ない姿だから、寛いだ私服姿では違和感を感じるのだろう。
思わず鼓動が乱れ、頬に血が昇る気がした。
彼の思いや決意に対して失礼に思える自分の感情の揺れを隠す為、リザは慌ててロイに背を向けた。
「お似合いですよ、見惚れるほどに」
ロイに聞こえないようにそっとそう呟いたリザは、冷めてしまったであろう珈琲を淹れ直す為に、彼の先に立って歩きだしたのだった。

Fin.
 
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【後書きのような物】
 百万回転お礼リクより『原作後の二人とそれを取り巻く人たちの日常(シリアスでもギャグでも)』です。
 最終回のオールバック大将ロイから、「いつ頃からオールバックデフォルトなのかしらん?」というお話。イシュヴァール政策は、多分本当に大変で、毎日侃々諤々やって頑張ってるだろうなと。スカーも彼の思いを果たせる日が来ることを祈ります。なんて名前で活動してるのかなーとか、考えます。

→ おまけ、書きました〜。(110904)

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