甘い言葉は血に満ちて

 ハプニングはいつも、不意打ちでやってくる。
「ふざけるな! この偽善者め!」
 警備の隙を突き壇上に駆け上がった男の叫びが、広い会場にこだました。続いてパンパンという小さな二つの破裂音がその場にいる者全員の耳に届いた。
「准将は! 准将はご無事か?」
「犯人確保!」
「会場封鎖しろ!」
 厳粛な筈の就任式の演説会場は騒然とした雰囲気に包まれ、壇上には一瞬で殺気立った軍人達の姿があふれた。マイルズに取り押さえられた男は、往生際悪くじたばたともがいていたが、自分を取り押さえた者の姿を見るとその動きを止めた。
 リザはまだ手に反動の残るままの銃を構え、ロイの元に駆け寄ろうとし、はっと足を止めた。忙しなく振り向く彼女の耳に、少し離れた壇上に立つロイの苦笑を含んだ声が届く。
「あー、大事ない」
 騒ぎの中央に立つロイは、血相を変えた周囲の過剰な反応をいなすようにパンと両手を打つと、礼装の腰に手を当てその場に仁王立ちになった。
「騒ぎ過ぎだ。ただの癇癪玉だろう」
 呆れた口調の彼の暢気な言葉はスイッチが入ったままのマイクに拾われ、会場にいる者全員の耳に届き、場の動揺の空気は徐々に静まっていく。だが、主役の無事への安堵と悪質な愉快犯の正体を見ようとする野次馬根性が別なざわめきを生み、会場には別な意味でのざわめきの波紋が広がっていく。と不意にピーッとマイクに雑音が混ざり、慌てた様子のフュリーが壇上に駆け上がり、マイクのコードをいじり始めた。
 ロイは腰に片手を当てたまま、己の盾になるように立つ警護の軍人達を片手の動きで一歩下がらせた。パンと乾いた破裂音が再び会場に響き、先程までの演説中の威厳ある表情から一変した困った笑みを浮かべたロイは、近付いてきたブレダの囁きを聞くと、更にその笑みを大きくした。壇上を去るブレダを見送り、彼は民衆の前で盛大に肩をすくめてみせる。
「どうやら、私の下手くそな演説がお気に召さない悪戯者がいたようだ」
 彼のおどけた仕草と表情に、会場にさざ波のような笑いが湧き起こる。ロイはそこで表情を引き締めると、軍帽の角度を上げ会場を見渡した。
「きちんと安全確保が出来ない今の状況では、私はこれ以上喋らせて貰えんらしい。話は途中で終わるが、先程話した政策に関しては途中で終わらせる気はないので、そこは誤解の無いよう、よろしく頼む」
 ユーモアを交えた言葉で殺伐としかけた会場の空気を和ませたロイは腰に片手を当てた尊大なポーズのまま、民衆に向かい軽く手を挙げ、微笑で沸き起こる拍手に答えてみせる。
「准将、こちらへ」
「うむ」
 鳴り止まぬ拍手に背中を押されるように、リザは足早に上官を舞台裏へと急かした。リザの先導に従い、ロイは悠然と微笑みながら演壇を下りていく。

        ■ □ ■

「ああ、くそっ!」
「貴方という方は、まったく相も変わらず! 莫迦ですか!」
 控え室に入った瞬間、椅子にへたり込んだロイの礼装の前を慌しく開きながら、リザは彼の悪態に被せるようにロイを叱りつけた。蒼白な顔をしたロイは、先程までの余裕の笑みの欠片すら失っていたが、それでもテロリストに撃たれたとは思えぬ気丈さで彼女の言葉に反論してきた。
莫迦で結構。ここでイシュヴァール民族との間に波風を立てては、元も子もなくなってしまう。それに君が弾丸を逸らし、共犯者を撃ち落とした時点で、私の暗殺計画は無かったと同じだ」
「それとこれとは、話は別です。まったく無茶ばかりなさって! さっさと手を退けてください」
 リザはロイを一喝すると、彼がずっと掌で押さえていた腰の上部を隠す礼装の裾をまくった。彼女の目の前には鮮血で染まった布切れが現われ、それを取り除くと布切れの下の弾創からダラダラと鮮血が流れ出す。弾は急所を外れて貫通していて、リザは冷や汗を流しながらも安堵し、再びその布で彼の傷口を圧迫した。
 そんな二人の様子を窺いながら、ブレダが近付いてきた。
「大尉が打ち落とした狙撃手は確保しました。ペアで動いていたテロリストのようで、現在、会場に問題ありません」
「二人ともイシュヴァール人か?」
「はい。が、民衆にはその姿は目撃させていません」
「それは重畳だ。イシュヴァール人名義の犯行声明を出される前に手を打て。今、私がイシュヴァール人との間の確執の種になるわけにはいかん」
「青の団の残党名義で、適当な犯行声明をでっち上げておきました。まぁ、多少罪を擦り付けても、奴らなら問題ないでしょう」
「よし、すぐに広報を動かせ」
「犯人は」
「大尉の神業のおかげで、命に別状無く確保出来ました。マイルズが既にスカーと引き合わせています」
「よし。後は彼に任せていつものように説得を。最終局面では、私が直に面談に出る」
 傷口をリザに押さえさせたまま、矢継ぎ早に指示を出していくロイに、ブレダは皮肉な口調で言い放つ。
「出るのは良いですが、准将。さっさと傷治してからにしてくださいよ」
「相変わらず厳しいな、お前」
「准将の痩せ我慢につき合わされる、こっちの身にもなってくださいよ。あのフュリーまでが、臨機応変に雑音立ててコード直すふりで床に落ちた准将の血痕拭くほどの機転が利くようになっちまってんですから」
「ああ、すまん」
「大尉もあんまり准将を甘やかさんで下さい。抜き撃ちでテロリスト二人殺さず捕縛するなんて無茶、大尉がいなきゃ出来んのですから。まったく、テロリスト庇うトップなんざ、迷惑千万極まりないんすからね」
「諦めろ、今更だ」
 まったく反省の色のないロイにブレダは肩を竦めると、それでも上官の無茶な命令を実行する為に、その場を立ち去ろうとして振り向いた。
「とりあえず、腕の良いもぐりの医者を手配してますんで、もうしばらく、その痩せ我慢を貫き通してくださいよ、准将。大尉がそんだけ落ち着いてるってことは、命に別状はないんでしょうから」
「ああ、もうお前、喋るな。行け」
「はいはい」
 ブレダを追い払ったロイは、気力を使い果たしたかのようにぐったりと椅子にもたれ掛かった。そんな彼の止血をしながら、リザは溜め息をつく。
「どうせ手合わせ錬成なさるのでしたら、ワイシャツで止血帯を作られるよりも、傷口を塞がれた方が早かったのではないですか?」
「そうしたいのは山々なのだが、咄嗟のことに対応するには、それが精一杯だった。どうも医療系錬金術は苦手でね」
 ワイシャツを錬成の材料に使ってしまった男は、素肌に礼装という何とも不可思議な格好で荒い息を吐く。出血はさほど酷くはないが、礼装の裾に徐々に紅い染みが広がっていく。リザは苦しげな彼の表情から視線を逸らし、副官の顔で彼を叱る。
「また、こんな大怪我をなさって」
「貫通しているから問題ない」
「貴方が亡くなられては、すべてが意味をなくすのですよ?」
「優秀な部下が沢山いてくれるから、私は死なんよ」
「まったく。莫迦ですか、貴方」
莫迦で結構」
 結局振り出しに戻ってしまった会話に、リザはぶすりと仏頂面を作る。彼女がどれほど心配をしようが、この男は己の信念を貫き通す為なら、どんな痩せ我慢も飲み込んでいくのだろう。焔の錬金術の継承者としての責を全うする為に。リザとの誓いを守る為に。
 しばしの沈黙があった。すっかり黙り込んだリザの頬に、血にまみれた男の手が触れた。
「すまん、君には甘えっぱなしだ」
 リザは少し躊躇ったが、止血の為に両の手が離せないことを自分への言い訳に、その掌を受け入れた。彼女の頬を包み込む大きな手の温もりに、リザはぽつりと呟いた。
「何を今更」
 当たり前の男女の間で交わされる甘えとは、もっと他愛もなく穏やかなものであろう。だが彼らのそれは、命のやり取りさえ絡む危険極まりないものである。それでも、それを受け止め受け入れる関係を、リザはこの上なく愛しく思ってしまう。仕方がないのはお互い様だった。
 リザは彼から視線を逸らしたまま、言葉を足した。
「これからも甘やかして差し上げますから、あまり痩せ我慢をしなければならない事態を引き起こさないで下さい」
 ロイは彼女のその言葉に一瞬驚きの表情を浮かべたが、すぐにそれを幸福な笑みに変え、彼女の頬をそっと撫で言った。
「鋭意努力する」
 リザは頬に添えられた大きな手に寄り添うように、己の頭部をロイの方に傾けた。唇の端に分厚い男の掌が触れ、リザはチロリとそこに舌を這わす。
生温い血の味は甘く、リザは近付いてくる医師とブレダの足音を遠く聞きながら、ロイと同じ共犯者の笑みをその血塗れの頬に浮かべた。 

Fin.

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【後書きのような物】
 SCCで配布させて頂いたペーパーのSSです。
  オールバックで素肌に(あるいはワイシャツ前開け−の)礼装前開け肌見えエロ大佐は脳内妄想 → オールバックでワイシャツ前開け−の礼装前開け肌見え流血准将の真面目なお話に昇華の結果です。
 准将大尉は大佐中尉よりも、いろんな意味で余裕があるといいと思います。莫迦ねって、血塗れでもいろんなものを引き受けてしまえるくらいに。

 そして、イベント終わってから気付く。ハプニングが不意打ちなのは、頭痛が痛いと同じくらい頭悪い表現だと言うことに。orz

お気に召しましたなら。

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