overconsumption

小さな事件が起こって、五日ばかり残業続きの日々を送った。
上官と額をつきあわせ、彼の部下である仲間たちと調整を計る。
いつものルーチンワークの時とそれほど変わりはないが、そこそこ面倒な事件を片付け、ようやくお店が開いている時間に帰宅できた今日、私は食べ尽くした自宅の食料棚と冷蔵庫の補給をするつもりでいた。
それなのに。
私は何故か今、小さなじゃがいもだけがいっぱいに詰まった袋を抱えてふらふらと夜道を歩いている。

最初に八百屋に寄ったのが、失敗だったのだ。
日持ちがして何にでも合う玉葱と、不足気味の青物と、後少し何か買っていこう。
そう思っていたはずなのに、私の目は店先にぽこぽこと積まれた可愛らしい新じゃがいもの山に吸い寄せられてしまった。
気付けば私は、その山を指さして店主に会計を頼んでいた。

水分の多い新じゃがいもは美味しいけれど、重い。
山盛りのそれを買ってしまった私は無理をして他のものを買うことを諦め、大人しくじゃがいもを抱えて、家路に着くことに決めた。
まだコンビーフの缶詰がいくつか残っているし、主食にもおかずにもなるじゃがいもがあれば、まぁ、数日は困ることもないだろう。
そう考えた私は、その思考が昔の自分とまったく同じものであることに気付いた。
ふっと一番星を見上げた私は、少しだけ過去を思い出す。

幼い頃、私の家はとても貧乏だった。
清貧、と言えば聞こえは良いが、私の父は誰かさんと同じ錬金術莫迦で、生活というものに頓着しない人であった。
食べるものに困るところまではいかなかったが、当時の私は今の自分のお給料よりも少ないお金で毎月の生活をやりくりしていた。
そんな日々の中で、じゃがいもは我が家にとっての大いなる食料危機の救い主であった。
日持ちはするし、主食にもおかずにもなるし、お腹はふくれるし、近くの農家で傷芋を分けてもらえば安く手に入るし、本当にありがたい野菜だった。
代わり栄えのしない食卓で、今思えば可笑しくなるくらい幼かった頃の私のじゃがいも料理のレパートリーは幅広いものであった。
父のお弟子さんだった彼も、我が家では質素な芋ばかり食べさせられていたものだ。
毎日毎日、いも、芋、イモ。
あの口の肥えた人が、よく我慢してくれたものだ。
私は可笑しくなって、まばゆい星から目をそらして笑った。

あの頃、私が何を作っても彼は「美味しい」と食べてくれた。
今、彼に手料理を振る舞う機会はなくなったけれど、それでもそうではない部分で彼の役に立っていると思っている。
そう、当時とはまた別な意味でじゃがいもに頼ろうと思うくらい、残業を頼まれてしまうほどには。
だから、きっと私は昔を思い出して、当時とは違う理由で少ない食材をやりくりして、それに付き合うのだ。
あれだけ、我が家の経済的理由で彼にじゃがいも料理に付き合わせたのだから、今度は私が彼の目的の為にじゃがいも料理で我慢するのも一つの等価交換なのかもしれない。

私はまた小さく笑って、腕に重い紙袋を持ち直した。
こんな莫迦な考えをしてしまう程に彼の傍に居すぎた私は、じゃがいもの山一つを買うにも面倒な理由をこねくり回すようになってしまった。
彼と私の関係も様々に重く変わってしまった。
それでも、私が作る新タマネギと新じゃがいもで作るグラタンの味は変わらない。
私が彼の隣にいることも変わらない。

その程度で良いではないか。
欲張ってはいけない。

さぁ、帰ってこのじゃがいもで何を作ろうか。
私は空を見上げることを止め、家路へと足を速めた。

 Fin.

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【後書きのような物】
 珍しく一人称。
 

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