if【case 10】

もしも、あの世界に映画があったなら

       §

暗闇の中から姿を現したロイ・マスタング大佐は、大変に難しい顔をしていた。
「参ったな。まさか、こんな顛末になろうとは」
そう言って嘆息した彼の後ろには、これまた難しい顔をした彼の副官が立っている。
「仕方ありません、大佐」
「仕方ない、か」
彼女の言葉にロイは難しい顔を崩すと、その頬に小さな苦笑を浮かべた。
「君の口からそんな言葉が出るとは珍しい」
「他に何と言い様が?」
リザの切り替えしに、ロイはふっと息を吐くように笑った。
「確かに。君が正しい」
「残念ではありますが」
「そうだな、だが仕方ない」
ロイの言い様に今度はリザが表情を笑みの形に崩す。
そして二人は顔を見合わせると、今出てきたばかりの映画館の看板を見上げた。

残業明けの二人揃っての休みの日、久しぶりのデートらしいデートの行き先に彼らは映画館を選んだ。
彼らを疲労させる現実を忘れ、フィクションの世界で羽を伸ばすことにしたものらしい。
だが、彼らの期待は見事に裏切られてしまった。
単純明快なヒーロー物と思われた映画は、あまりに脚本が難解であった。
推理らしい推理もないまま伏線ばかりが展開するストーリーは、彼らに複雑な思考を強いる。
余りに面倒な物語に、彼らの疲れた脳は思考を放棄してしまったものらしい。
気付けば二人は互い違いに船を漕ぎ、二人揃って目覚めた時には黒いスクリーンに出演者や脚本家の名前が白い文字で流れていたのだった。

「半分までは起きていたのだがなぁ」
ロイは何となく悔しそうな口調で言う。
別に、彼ですら眠ってしまうくらい難解な映画なのだから、疲れている時にわざわざ見なくても良いものだと思うのではあるのだが、そこは彼の負けず嫌いの精神が許してくれないらしい。
リザは微かに苦笑して、そんな彼をたしなめるように言った。
「でも、大佐はジャックが彼の誘拐を企むところはご存じないのでしょう?」
「ああ、途中で起きた時は彼は悪党の手に落ちていた」
ロイは少しばつが悪そうな顔でそう言うと、映画館に背を向け歩きだす。
リザは彼と並んで歩きながら、その言葉のシーンに関する補足情報を口にした。
「そこはもう、ラストに近いクライマックスの戦い直前のシーンです」
「では、君が彼がどうやって悪党の手に落ちたか観ていたか?」
「ジャックが三人の小悪党たちに裏切られるんです」
「じゃぁ、彼女はどこでそれを知った?」
「それは……」
歯切れの悪いリザの言葉に、ロイは自分の事は棚上げして嬉しそうに意地の悪いニヤニヤ笑いをその頬に浮かべた。
「うむ、つまり君も眠っていたというわけか」
普段隙を見せないリザの弱みを突けるのが嬉しいのだろう。
まるで子供みたいだと思いながら、リザは反論をする気もなく素直に謝罪の言葉を口にする。

「申し訳ありません」
「いや、謝ることはない」
あまりに素直なリザの言葉にロイは逆に慌てた様子を見せ、彼女の顔を覗き込むような形で首を傾げた。
「多分、眠っていた分量は私の方が多い」
職務中は必ずロイの背を見て歩く彼女にとって、この角度でロイの顔を見ることは滅多とないことだ。
少し照れくさいような、穏やかな日常を噛みしめるような気分で、リザは彼の視線を受け止める。
「そんなこと、自慢になりませんよ?」
「まぁ、確かにそうだ」
ロイはそう言うと屈託無く笑った。
あれだけ睡眠時間を削って働けば、暗くなれば眠たくなるのも仕方のないことだろう。
映画をデートに選んだのは、失敗だったのかもしれない。
或いは、彼の睡眠時間を確保できたと考えれば、それはそれでありなのかもしれないが。
そう考えて、リザはくすりと笑う。
二人の意味の違う笑いは、空気を柔らかに変えていく。

穏やかな空気にロイは目を細め、話を元に戻した。
「実はそのシーン、私は起きていたのだよ。あの時、彼女は斥候を出していた。自分の手足の存在のような」
「ああ、あの最初に出てきた!」
ロイの解説に、リザの中で断片になっていたストーリーがカチリと一つの形にまとまった。
リザの納得した様子に、ロイは満足げに頷いた。
「そう、アレが伏線だったんだ」
「よく、アレが伏線だとお気付きになりましたね」
リザはあの難解な物語を解きほぐす彼の頭脳に、感嘆の声を上げる。
彼女の滅多とない賞賛の声に、ロイは少し得意そうな、少し眩しそうな顔をした。
「君が今『三人の小悪党の裏切り』を教えてくれたから、分かったのだよ」
「少しはお役に立てたようで、光栄です」
「ああ。昨日の作戦の時もそうだった。君が足りないところを補ってくれるから、私はこうして余裕を持っていられるのだ」
少し面映ゆい思いで、それでもリザはクールな表情のまま黙って彼を見上げた。

少しでも、彼の役に立てれば彼女は嬉しい。
それが職務におけることなら、二人の目的に近付いていけるようでとても嬉しい。
こんな映画の謎解きのような小さなことでも、やっぱり嬉しい。
眠ってしまった映画のストーリーを補い合って組み立てるように、彼と人生のパーツを共に組み立てられれば嬉しい。
そんなことを考えて、リザは彼から視線を逸らすとゆっくりと歩く彼の歩幅を追う。

そんな彼女の思いも知らず、彼は優男の顔で笑う。
「君はいつだって優秀さ。職務においても、プライベートでも、ね。こんな優秀な副官は、どこにもいないだろう」
いつだって歯の浮くようなことを平気で言う彼女の上官は、こんな時でさえ彼女へのリップサービスを忘れない。
だが、彼女とてそんな彼の言動には既に慣れっこになっている。
リザはすました顔で、彼の言葉をかわしてみせた。

「おだてても、何も出ませんよ?」
「そう照れるな」
「照れてなんかいません」
あくまでも冷静な彼女は、そう言いながらぶらぶらと歩く彼の歩幅に合わせて歩いて行く。
「ふむ、そうなのか」
からかい甲斐のないリザの反応に、ロイは考える素振りを見せる。
しばらくの間の後、何かを思いついたらしいロイはスッとまた彼女の顔を覗き込んだ。
ロイは淡々と言った。
「ああ、それからもう一つ。その時に気付いたことがある」
「何ですか?」
まだ何か、映画に伏線があったのだろうか?
そう考えてロイを見上げたリザにロイはにこりと笑ってみせると、ゆっくりとこう言ったのだった。

「難解な映画を見るよりも、君の寝顔を見ている方が楽しい」

「な!」
思いがけない方向からのロイの攻撃に、リザは頬を染めた。
如何にも確信犯なロイは、思い通りの彼女の反応にニヤニヤと笑っている。
いつも通り彼にしてやられたリザは、不機嫌な叫び声を上げる。
「悪趣味です、大佐!」
「そうか? 可愛かったぞ? 少し口を開けていた無防備なところも、私の肩に無意識にもたれかかってきたところも」
「そんなことしていません!」
「君、眠っていたじゃないか。知っているわけがない」
したり顔でしらっとそう言ってのけるロイを、リザは睨み付ける。
「……卑怯です、大佐」
「何を今更」
そう言って勝利の笑みを浮かべる負けず嫌いの男は、彼女にそう高らかに言ってのけると、さっさと歩き出してしまう。
リザはぷっとふくれ面で紅くなった顔を誤魔化すと、それでも彼の後を追う。
この後のディナーで一番高いワインを頼んで、彼に報復してやろうと考えながら。

Fin.

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【後書きのような物】
 お話を作る時、鋼の世界にあるものとないものに悩みます。
 ラジオはある。TVは多分ない。写真はある。では、映画は? あったら、こんな話もありかなーと。(追記:私の読み込み不足だったようで、鋼の世界に映画はあるそうです。(Sさん、ありがとうございます−!)完全版4巻、コミックス5巻に確かに「映画」のひと言が!)
 他愛ないじゃれ合いも好きです。

お気に召しましたなら。

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