tempest

カーテンの向こうで、ガタガタと窓が鳴った。
日暮れ頃から吹き出した風は、夜半過ぎには家鳴りがするほどの凄まじい暴風となり、その夜はまさしく春の嵐と言って差し支えない荒れた天気となってしまった。
こまめに修理をしているとは言え、元々古いホークアイ家はその風にガタガタと揺すぶられ、窓だけではなく家そのものが、まるで地震のように揺れている。
そんな中、マスタングはダイニングの机に陣取って、何食わぬ顔でその日師匠に習った錬金術の復習を行っていた。
ひゅうひゅうと風が鳴ると机の上に置かれたティーカップがカタカタと音を立てて揺れるが、彼の頭の中は静謐に満ちた図書館と同じ穏やかな知識の海が凪いでいる。
しかし、まったく動じない彼の隣で、ギシギシと家鳴りがする度に悲鳴のような声が、彼の思考を中断するのだ。
 
びょおと風が鳴った。
マスタングさん!」
マスタングは描きかけの錬成陣から目も上げず、彼を呼ぶ声に答えてやった。
「この家は大丈夫、倒れないよ。この前の修繕で基礎にH鋼を四本錬成して入れておいたからね」
椅子の上で膝を抱えているリザは、それでも不安げに表情を強ばらせたまま言葉を重ねる。
「でも、マスタングさん」
「大丈夫、屋根も飛ばない。何に誓ってもいい」
「でも、マスタングさん」
「雨戸もちゃんと閉めたから、窓も大丈夫」
さっきから幾度となく繰り返された会話に、マスタングは構築式を描きあげながら苦笑する。
風の音で眠れないと言って起きてきたリザは、この古い家が三匹の子豚の藁の家のように風の一吹きで飛んでいってしまうのではないかとずっと心配しているのだ。
「でも、マスタングさん、もし庭のアーモンドの樹が倒れたら」
ヘイゼルの瞳が、泣き出しそうに揺れている。
マスタングは仕方ないと笑うとペンを置き、師匠に借りた本をパタリと閉じた。
今日はこの辺で切り上げるか。
彼は本を片手にリザの元へと歩み寄る。
普段決して弱音を吐かないリザが、これほど怯えているののだ。
流石にそれを放っておけるほど、マスタング人非人ではない。
 
膝を抱えて自分を抱きしめるようなポーズで縮こまっているリザに、マスタングは顔を近づけて彼女が安心できるように優しい笑顔を作った。
「ねぇ、リザ?」
「はい」
「私が『大丈夫だ』と言って、今まで何か起こったことがあったかい?」
「いえ、あの、それはそうなんですけど……」
どうやらリザの中では彼への信頼よりも、家が揺れる事への恐怖が勝ってしまっているらしい。
困った顔で言い淀むリザに、マスタングは苦笑した。
「おいで、リザ」
マスタングさん?」
差し出されたマスタングの手を不思議そうに眺めるリザに向かい、彼は暢気な笑顔で人差し指をぴんと立て、さも重大なことを伝授するような口振りで彼女に言った。
「こういう時は頭から布団をかぶって寝てしまうのが、一番の対処法なんだ。だから、ベッドに戻ろう、リザ」
リザは嫌々をするように、口を真一文字に引き結び泣き出しそうな顔で首を横に振った。
「でも、風の音と一緒に家が揺れるので眠れなくて」
「君が眠れるまで私が傍についていてあげよう。それなら、怖くなっても大丈夫だろう?」
いつもはしっかり者の顔を崩さないくせに、存外こういう時は年相応に可愛らしいものなのだな。
マスタングはそう思って、リザの不安げなヘイゼルの瞳をのぞき込む。
「でも、マスタングさんのお勉強が」
「本なんてベッドサイドででも、どこでも読めるさ。何だったら、君が眠るまで手を繋いでいてあげようか?」
そう言ってマスタングは、いつものように彼女を子供扱いしてからかう。
しかし、リザはパッと視線を上げ、不安に揺れる瞳で真正面から彼を見つめ返した。
「本当ですか? そうやって、絶対にずっと傍にいてくれますか?」
自分から言い出した以上引っ込みのつかないマスタングは、縋りつくようなリザの勢いに気圧されて、思わずコクリと頷いた。
「あ、ああ」
いつもならからかわれたら直ぐに怒り出すリザが、潤んだ瞳で恐ろしいほど真剣にマスタングを見つめている。
これで否やと言える人間がいるわけがない。
「絶対ですよ?」
「ああ、絶対だ」
マスタングは真摯に自分を見つめるヘイゼルの瞳に、力強く頷いてみせる。
リザはようやく安心したように肩の力を抜くと、目の前に差し出されたマスタングの手をギュッと握りしめた。
 
マスタングの腕に縋り付くように、ようやく自分のベッドに戻ったリザは毛布の下に潜り込むと、ぎゅっとマスタングの手を握りしめる。
マスタングはベッドサイドの椅子に座ると、小さなランプの灯りの下、片手で本を開いた。
しばしの静けさにふっとリザが眠りに落ちようとした瞬間、びゅうびゅうと風がまた強く吹き、ガタガタと揺れる窓ガラスにリザはパッと目を見開き怯えた表情を見せる。
しかし、マスタングが繋いだ手をしっかりと握ってやると、少女は少しだけ表情を緩め、固い笑みを浮かべた。
「ずっとここにいるから、大丈夫だよ。おやすみ」
こくりと頷いたリザは、しっかりとマスタングの手を握りしめる。
時刻は深夜を回っている。
余程眠かったのだろう、安心したらしいリザはあっという間に今度こそ深い眠りへと落ちていった。
 
彼女が眠った事を確かめたマスタングは、小さな寝息をたてて眠る少女のあどけない顔と、しっかりと握りしめられた自分の手を交互に眺め、苦い笑いと共に溜め息を吐き出した。
「まったく。私を寝室に招き入れる行為が、十分『大丈夫』じゃないことだとは思ってはくれないのかね」
据え膳状態を目の前に少女の信頼を裏切れず、優しいお兄さんの顔を崩せない男は、窓の外の風の音に耳を澄ませた。
 
びょおと風が鳴る。
マスタングは、静かに本のページに視線を落とした。
胸の内に吹き荒れる嵐は、掌に伝わる熱と共にますます強くなり、このまま収まりそうもない。
人騒がせな春の嵐は、一晩中ホークアイ家とマスタングを揺らし続けた。
 
 Fin.
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【後書きのようなもの】
 スパコミでペーパーにしようと思っていたSSS。いつもの若ロイ仔リザとは、立場が逆転ですかね。BGMは◯ールドの◯ートーヴェンの17番ピアノソナタで。
 HARUコミ前夜の暴風で夜中に目が覚めた時に浮かんだネタ。転んでも、ただでは起きませんよ。(笑)
 
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