作為の戦【前編】

見慣れたロイの背中を見つめながら、リザはパタリと後ろ手に執務室の扉を閉めた。
己のテリトリーに戻り、明らかに安堵した様子を隠そうともしない上官の背中に、リザは思わず苦笑する。
この日、一人何役もこなすような八面六臂の活躍を見せたロイは、うんと伸びをすると軍服の上衣を来客用のソファの背に放り投げた。
ワイシャツの襟元を緩めながら、彼は腹の中にため込んでいた不満をぶちまけた。
「まったく。今回の任務は、いったい何だ。イレギュラーにも程があるぞ」
「大佐、我々は軍人ですから、上からの命令には逆らえません。諦めて下さい」
「言われなくても、分かっているよ」
「それに、明日は大佐は非番でいらしゃいますから、ゆっくり休んで下さい」
形ばかりのリザの慰めに、ロイは眉をしかめてみせる。
「そうもいくまい。私は君との約束で書斎の片づけをしなければならないのだから」
大人げなくふてくされた口調のロイに、リザは自分の据えたお灸が効きすぎたらしいと内心で肩を竦めた。
 
先日、リザはロイの書斎で大人の男が好んで観賞する雑誌を発見した。
まぁ、ロイも男だしそういうものを持っていようがいまいがリザは構わないのだが、自分が仕事に家事にしゃかりきになっている時に、暢気なチーム・マスタングの男共が鼻の下をのばしていた姿を想像すると、流石に少し腹も立つ。
かくしてリザはちょっとした悪戯を敢行し、片付かない書斎をロイに片付けさせる約束を取り付けたのであった。
 
ロイはリザの返事がないことに構わず、口の中でぶつぶつと文句を言いながら、どかりとデスクの上に腰をかけた。
「大佐、お行儀が悪いです」
「誰も見ていないさ」
リザの小言を歯牙にもかけず、ロイは机上の片隅におかれた書類ボックスの書類におざなりに目を通し、バサリとそれを放り出すようにリザに押しつけ、再び立ち上がった。
その拍子に、机の上から書類ボックスの横に立てかけてあった茶封筒が落ちる。
慌てて書類を受け取ったリザは分厚い茶封筒を拾い上げ机上におくと、渡された書類にざっと目を通す。
特に急ぎの書類がない事を確認したリザは書類の束を揃え直すと、ロイが脱ぎ捨てた軍服をソファの上から拾い上げた。
自身のチェアに腰掛け直し、そんなリザの行動を見るともなく見ていたロイは、彼女が拾い上げ机の上に置いた茶封筒に目を留めた。
「中尉」
「はい、何でしょうか?」
彼の上衣を手にしたまま振り向いたリザを、ロイはちょいちょいと手招いた。
訝しげに彼の元に歩み寄るリザに、ロイは先ほど彼女が拾い上げた茶封筒を差し出した。
「また、何か急ぎの書類でも?」
いつもの習慣で我知らず返事に警戒の色が滲むリザに苦笑し、ロイは彼女の手から自分の上衣を受け取った。
「いや、仕事関係じゃない。開けてみれば分かる」
思わせぶりなロイの言葉に片眉をひそめ、リザは両手で茶封筒を受け取った。
ロイは膝の上に上衣を置いて足を組み直すと、厚さの割に軽い封筒の紐を解くリザを見守っている。
上官の視線を感じながら、リザは少し用心をしつつ封筒の中身をそっと覗き込んだ。
リザは思わず眼を見張る。
そこに入っていたのは、彼女が想像だにしないものだった。
「あ」
「懐かしいだろう」
己の思惑通りのリザの反応に、ロイは薄く笑った。
思わず声をあげるリザに、ロイは間髪入れずそう言うと、彼女にそれをデスクの上に置くよう促した。
リザは壊れ物を扱うように、そっとそれを封筒から取り出した。
「どこから、こんなものを」
「書斎の本棚だ。丁度君が例の回覧封筒を見つけた隣りにあった。どうせなら、こっちを見つけてくれれば良かったのだが」
男の言葉にリザは苦笑しつつ、それを机上に置いた。
 
『緋色の童話集』
 
陽に焼けた表紙には、くすんだセピアの文字が踊る。
ぱらりとページをめくれば、ギザギザと破れた紙の欠片が顔をのぞかせる。
百二十八ページの次には破れたページのあとが残り、そして百三十四ページのノンブルが続く。
そう、これは欠けた物語を秘めた童話集。
ホークアイ家の書庫に眠っていた、永遠に完結せぬ本なのだ。
 
リザがまだ幼い少女だった頃から、この本は既にページを失っていた。
いくつかある物語のうち、「魔法使いになりたかった少女」というタイトルのついた物語だけがクライマックスの数ページを破り取られて物語の体を為していないのだ。
魔法使いになりたい少女がおばあさんの家を飛び出し森の中を彷徨う内、様々な登場人物と出会い、自分のアイデンティティを模索する物語なのだが、少女がアヒルを連れた少年と出会った所で物語はブツリと遮られる。
そして、「そして少女は森に残り、ずっとそこで暮らし続けたのでした」という一文だけが記された最後のページだけが残されている。
少女の頃のリザは失われたページに想像力を遊ばせ、父のお弟子さんだったロイを巻き込んで様々な続きを考えて物語を再構築した。
少年と別れた少女が魔法使いと出会い、魔法使いの弟子になり森に残る希望に溢れた結末。
ヒルを連れた少年と恋に落ち、二人で森に残る夢のような恋物語となる結末。
少女を捜しにきたおばあさんと出会い、おばあさんの説得を拒み森に残る哀しい結末。
おばあさんと話し合い、二人で森に残る元の木阿弥の意味のない結末。
お話は無限のパターンで作り出された。
どれが正解か、そんな事はどうでも良かった。
それよりも二人で物語を作り出すことに、幼いリザは熱中した。
物語のパーツを変えるだけで、「そして少女は森に残り、ずっとそこで暮らし続けたのでした」という一文は哀しい結末にも、楽しい結末にも姿を変えた。
ホークアイ家のお弟子さんだった頃のロイは上手な語り部で、『想像力を養う良い訓練だ』と笑いながら、「魔法使いになりたかった少女」を小さなリザがうっとりするような物語にしてみせたり、思わず涙ぐんでしまうような物語に仕立て上げたりしてくれた。
そんな二人にとっての思い出の本が、この『緋色の童話集』だった。
 
「どこから、この本を?」
「さて、実際のところ私にも分からんのだよ」
「ご冗談を」
驚くリザに、ロイは肩をすくめてみせる。
「冗談じゃないさ。本当に気付いたらあの棚にあったのだよ。君があれを見つけた場所を確認していたら、見覚えのない封筒があった物だから、てっきり君が代わりにつっこんでおいたのかと思ったのだが、それにしては封筒が古過ぎるし、君が最近非番の日に生家に帰った記憶もない。どうしたものかと思ってね」
リザは不思議な想いで、今まで思い出しもしなかった本を見つめる。
こうして改めて目にしてみると、あの頃ロイと二人で紡いだ物語を思い出す事が出来る。
リザは自分の記憶の引き出しの確かさに驚きながら、疲れのせいか硬い表情のままのロイを見つめた。
ロイの方でも同じ事を考えていたらしい。
「不思議なものだな。君と作ったプロットを、今でも思い出せる」
「私もです」
そう言って微笑んだリザに、ロイは思いがけず苦い顔で言葉を続けた。
「今思うと、あの遊びは人生を示唆するような深い意味を持っていたような気がしてならない」
「なんのことですか?」
ロイの陰った表情に胸騒ぎを覚えつつ、リザは問い返す。
「例えばそうだな……」
考え込む素振りを見せたロイは苦く笑って、暗い瞳をあげると自嘲を込めた声で呟いた。
 
「イシュヴァール」
 
予想もしないロイの返事に、リザは返す言葉を失いその場に凍り付いた。
 
 To be Continued...
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【後書きの様なもの】
  大変お待たせいたしました。
 ゆき様からのリクエスト「Pinkの続編」、及び篠様からのリクエスト「思い出の本に関するロイアイの過去と今」の合体SSです。また続きますですよ。