作為の戦【後編】

「物事には原因があり、結果がある」
 
目を見張るリザに向かい、当たり前の事を言ったロイはトンと指先で机をタップした。
「たとえばこの物語に於いて、原因は『少女が魔法使いに憧れて出奔したこと』、結果は『森で様々な人間と出会い成長した少女は、一人で生きる結末を得た』だ。経過の一部は失われているが、それでも原因と結果を知る事は出来る」
童話集を指先でトンとたたき、ロイはまた分かり切った事を言う。
彼の意図が読めず、リザはイシュヴァールという単語の持つ毒に神経を麻痺させられたかのように、ただロイの言葉の続きを待つ事しか出来なかった。
 
「対して、イシュヴァール内乱だ。この件に関して、国民が歴史の教科書で知る事の出来る事実は?」
そう言ってロイは煩わしそうに前髪をかきあげ、天井を仰ぐポーズを作った。
そして、リザに対して問いを発したにも関わらず、その答えを待たず彼は彼女に目線を戻すと、独り言葉を続けた。
「そこにあるのは『国軍将校がイシュヴァール人の子供を射殺した』という原因と、『泥沼の内乱が起こり『イシュヴァール殲滅戦』によりそれは終結した』という結果だけだ。この内乱を表す国民に公開された公式の文書は、ただそれだけだ。内乱終結の直前に現地で行なわれた様々な行為は、軍の検閲により教科書からは消し去られた。それがつまり、この童話集で言うところの『破り取られたページ』と言う訳だ」
間違ってはいないが強引としか言えないロイの論法に、リザは眉をひそめる。
確かに軍事国家における言論統制は、ここアメストリスにも存在する。
そして、ロイが言わんとすることも彼女には理解できる。
しかし、無邪気であった頃の彼らの思い出すら、苦い思い出と結びつけてしまう自罰的に傾く兆候を見せる上官の言葉に、リザは机上の暦に視線を落とした。
ロイは彼女のそんな反応すら見えないかの如く、憑かれたように独り喋り続ける。
「東部に住む鋼のですら、イシュヴァールの真相を知らなかった。ヤツの幼馴染は、自分の両親の死に様すら知らない。経緯を知る者は死者と我々だけ、国民は原因と結果だけしか知る事が出来ない。『破られたページ』をいくら想像力で補完しようとも、結局何も変わらない。そう考えると、この本は我々にとって何とも寓意的な存在だと思わないか? 中尉」
自嘲の笑みを浮かべリザを見つめるロイの姿とカレンダーの表示に、彼女はいつもの季節がまた巡ってきた事を知り、胸の内で小さな溜め息を一つついた。
 
強い季節風が吹く頃、イシュヴァールの内乱は終わりを告げた。
毎年この季節風の吹く頃、身体の中に組み込まれた時限装置が作動するかのように、彼らは身体に、精神に、某かの変調を覚える。
特に焔の錬金術師であるロイは、空気中の酸素濃度を操るその錬金術の特性から、大気の変化に敏感だ。
だから、リザよりも先にロイの身体は季節風を感じ、その脳内に過去を甦らせるのだ。
PTSDにまでは発展せずとも、心的外傷による精神への影響は何年経っても彼らを苦しめる。
何かの拍子に顔を出すその症状の引き金を、今年はこの童話が偶然引いてしまったのだろう。
 
リザはロイの視線を真っ向から受け止め、姿勢を正した。
「何を今更」
あえてロイの言葉を肯定しつつ、リザは用心深く彼の構築した理論と童話集の関連を断ち切ろうと試みる。
「歴史が勝者のものであるという事実は、有史以降の常識です。公式文書は勝者が作るのですから、自分たちに都合の悪い事を書く訳がありません」
リザの言葉に、ロイは噛みつく。
「正論だな。つまり、イシュヴァール内乱において『破り取られたページ』は、軍にとって都合の悪い事だと君は言う訳だ」
「見方によっては」
リザは注意深く上官の様子を伺いながら、暫定的に彼の言葉を肯定し言葉を続けた。
「例えイシュヴァール人が異なる民族であったとしても、アメストリス国民であることに変わりはありません。対立が激化したとは言え、女子供にまで被害が及んだことが知れれば、国民の軍部への反感を招きかねません」
「当然だな。その反感を逸らすプロパガンダに利用される『イシュヴァールの英雄』が、『破られたページ』の中で人体実験として生きた人間を焼き殺していた、などと知られては軍はどうにもならんからな」
まるで子供のようにムキになる上官の追いつめられた姿に、リザは哀しみを覚える。
季節風の運んだ過去の思い出に苦しむ男の姿は、リザの中にある消えない傷の具現化したものに他ならぬのだから。
 
リザはロイの言葉を痛みを持って受け止め、そして机上の童話集をそっと手に取った。
「大佐のその論法で申しますならば、我々はこのアメストリスという国の歴史に於いて、『内乱と戦争を繰り返す軍事国家アメストリスの軍人として、イシュヴァール殲滅戦に参加した』事を原因とし、『次世代が幸福を享受できる民主国家アメストリスを作りあげる』結果を目指し、『破りとられたページ』になる覚悟で屍を背負い血の河を渡る道を選んだのではありませんでしたでしょうか?」
そうなのだ、次世代はこんな苦しみを知らず、幸福だけを知ればいい。
自分たちは、その為にここにいる。
そして、その血に汚れた軌跡は、歴史には残されるべきではない。
まさしく『破られたページ』になるべきなのだ。
リザはそう思いながら、無惨に破りとられたページの跡を指でなぞり、普段は職場で決して崩すことのない副官としての顔を崩すと、ただ静かに微笑んだ。
彼女の柔らかな反撃に毒気を抜かれたロイは、リザを見つめる目をそらし、傍らの発火布の火蜥蜴を見つめた。
リザはそんな男に追い打ちをかけるように、そっと言い足した。
「『失われたページ』に物語を綴るのは、幼い日の我々の得意技でした。そう思うと、確かにこの童話集は未来を示唆するものであったのかもしれませんね」
しばらくの間、ロイは黙って焔の錬成陣を見つめていたが、やがてふるりと一つ頭を振るとリザに視線を戻した。
リザはその黒い瞳が、いつもの落ち着きを取り戻していることに胸を撫で下ろした。
 
「まったく、君には敵わないな」
リザは答えずに童話集を再び机上に戻した。
ロイはそれを手に取ると、苦い思い出と甘い思い出を分別するかのように、それを元の封筒に仕舞うと小さく溜息をついた。
「すまなかった」
「いえ、私がそうなることもありますから」
リザは苦く笑った。
そう、真夜中に悪夢に狂乱し泣き出すリザを、ロイが一晩中あやす事もあるのだ。
 
罪を抱え生きることは苦しい。
しかし、彼らは二人でそれを抱えて、過ちを繰り返さぬ道を作る人生を選んだ。
だから、彼らはただ自身が犯した罪を粛々と受け止め、前に進む努力をし続けるしかないのだ。
どれだけ後悔しようと、どれだけ自分を嘲笑おうと、過去は変わらないし物事は進展しない。
彼も彼女も、痛いほどにそれは分かっている。
分かっていても、どうにもならないのが人間という生き物の弱さなのだ。
だから、彼らは二人で生きていく。
彼が道を踏み外した時に、彼女がその背を支えるために。
彼女が道に迷った時に、彼がその手を引くために。
 
リザはそれ以上はこの一事に言及せず、ただロイが童話集を仕舞った封筒を元の位置に立てかけ直した。
そして復調しきれぬ様子のロイに向かい、話を振り出しに戻した。
「やはりお疲れのご様子ですから、明日はどうぞゆっくりお休み下さい。片付けは、いつでも構いませんから」
「しかし、だな」
自己嫌悪の感情を色濃く映すロイの表情に、リザは必要以上にふざけた方向に話の舵を切った。
「お疲れですから、そんなろくでもない思考に行き着くのです。そんな事をお考えになるくらいなら、エロ本でも読んで貧乳萌えしていて下さる方が、余程マシです」
思いがけない話の方向転換に、ロイは泡を食う。
「貧乳萌えは私じゃない! あれは、フ……!」
慌てて反論しかけた彼は、思わず漏れかけた部下の名に己の口を押さえた。
「フュリー曹長ですか? ファルマン准尉ですか?」
莫迦者、言えるわけがないだろう! 男の沽券に関わる!」
股間に関わる、の間違いでは?」
しらっと答えてみせるリザの言葉に、ロイは苦笑した。
リザがわざとらしく話題を変えた理由に気付いた彼は、上官の顔を取り戻すべく、頭を抱え下手な小芝居すらうってみせる。
「何と下品な! まったく嘆かわしい事だ。あの童話集を読んでいた可憐で清純な君はどこへ行った?」
「何を今更。朱に交われば赤くなる。周囲に貧乳マニアや太腿フェチがいるこの環境で何をおっしゃいますか」
事態を深刻にしない為に敢えて莫迦な会話をしてみせるリザに、ロイはほとほと困ったというように笑い、椅子から立ち上がった。
 
「まったく、本当に君には敵わない」
ロイはそうぼやくと彼女の耳元に唇を寄せ、感謝するよと囁いた。
リザは何を今更と笑い、彼女を抱き寄せようとするロイの手をすり抜け、感謝するなら仕事をして下さいと抱えたままだった書類の束をロイに押し付け返した。
いつもの温度を取り戻した執務室は夕暮れの茜色の陽射しを受け、燃えるような緋色に染め上げられていく。
リザは染まる朱の色に戦場の記憶を刺激され、きっと今夜は自分がロイの手を煩わせるであろう予感に怯えながら、書類を掴んだロイの手に縋るように自身の手を重ねたのだった。
 
Fin.
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【後書きの様なもの】
  大変お待たせいたしました。
 ゆき様からのリクエスト「Pinkの続編」、及び篠様からのリクエスト「思い出の本に関するロイアイの過去と今」の合体SSです。コメディか、ほのぼのかと思いきや、意外やシリアスに落ち着きました。オチのついたコメディの続きはオチが作り難く、思い出の本の話は多分「光の庭」以上のものは書けないと思うので、こんな変則技になりました。すみません〜。でも、久々のウチらしいロイアイじゃないかなとも、思います。
 リクエストいただき、どうも有り難うございました。少しでも気に入っていただけましたなら、嬉しく思います。
お気に召しましたなら

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