sunflower2

「リザ、何作ってるんだい?」
珍しく夕食の支度中に台所にやってきたマスタングが尋ねる。
「お夕飯の時間まで内緒です」
振り向いて悪戯っぽく笑ったリザは、再び彼に背を向けお玉で鍋をかき混ぜている。
ぶかぶかのエプロンを着た姿が可愛らしく、マスタングは微笑んだ。
 
「今日はもう父の授業は終わったのてすか?」
リザは背中を向けたまま、お玉で鍋の縁をカンカンと叩いた。
「ああ」
ニコリとしたマスタングは傍らの壁を二度ノックしてそれに答えると、壁際のスツールに腰掛ける。
 
「昨日、クラスメイトのポールとオリバーが大喧嘩したんです」
「ほぉ、巻き込まれなかったかい?」
「ええ、レベッカと一緒にケインの後ろに隠れていましたから」
リザは少し考えて、次の言葉を選ぶ。
「でもベイカーがエドガーのことを」
P、O、R、K、B、E、ポークビーンズか。
先回りで答えを悟ったマスタングは、黙ってリザの一生懸命な様を微笑ましく見守った。
 
    *
 
マスタングに件の暗号を教えてもらってから、リザは嬉々として彼との会話の中にそれを織り込むようになった。
マスタングはリザがそれ程夢中になるとは思っていなかったので、内心少し驚いていたが、そんなことはおくびにも出さず、リザの遊びに付き合っていた。
あれほど感情を表に出さない少女だったリザが、この時だけは驚くほど表情豊かになる事がマスタングは嬉しかった。
普段のともすれば冷たい印象を与える無表情さと、花開いたように笑う明るい笑顔の落差が時折可愛くてたまらなくなる。
そして、あの気難しい師匠を父親に持ち、二人で暮らしてきたリザが抑圧しているものが、少しでも解放されれば、と考えるのだった。
 
マスタングはキッチンの机にコーヒーミルを持ち出してきて、豆を挽き始める。
リザはそれを横目に見て、琺瑯のコーヒーポットに水を汲み火にかけた。
何も言わなくても気の回るリザの行動を有り難く思いながら、マスタングはリザの使っているエプロンがかなり年期の入ったものである事に気づく。
 
「リザ、そのエプロンは」
マスタングに言われ、リザは自分の着けているエプロンを見下ろした後、彼の方を振り向き、複雑な笑顔で答えた。
「母の形見なんです」
マスタングは露骨にマズい事を聞いてしまったという顔をして、頭をかいた。
リザは構わず笑って続けた。
「気になさらないで下さい。もう、昔の事ですから」
「すまない」
「いいんです。自分でもサイズが合ってないのは分かっていますから」
 
母親の形見なら、思い入れのある品なのだろう。
ならば、使い続けて擦り切れてしまうくらいなら、自分が新しいエプロンをプレゼントしてもいい。
いつも世話になっているんだから、そのくらいさせて貰っても良いだろう。
マスタングは思ったままを口に出した。
 
「ねぇ、リザ。もし、リザさえ良ければ新しいエプロンをプレゼントさせてくれないか?お母さんの形見を大切にしているのは分かるけど、そのままじゃあ、擦り切れてしまう」
リザはマスタングの申し出に、ちょっと吃驚した顔をして、慌てた様子で手を振った。
「そんな!形見と言っても大したものじゃありませんし、マスタングさんに買って頂かなくても、そのくらい自分で……」
リザに皆まで言わせず、マスタングは更に言った。
 
「私も貧乏学生だから、このくらいの事しかリザにしてあげられないからね。いつも世話になっている礼くらい、させて欲しいな」
マスタングの言葉にリザはますます手を激しく振って、言い返す。
「だって男の人にエプロンを買わせるなんて」
「えらく古風だね。なら、一緒に買いに行こう。リザが好きなのを自分で選べば良いさ、何時なら一緒に出掛けられる?」
 
マスタングがそう言うと、リザは途端に真っ赤になってクルリと彼に背を向けてしまう。
マスタングは少し驚いてから、しまったと苦笑した。
これではちょっとしたデートの誘いではないか。
世間一般に言う年頃の少女であるところのリザが、そういうことに過剰に反応するのも仕方あるまい。
やはり、適当に見繕ってプレゼントするのが得策か。
 
マスタングが自分の言葉を訂正しようと口を開きかけた時、マスタングに背を向けたままのリザが乱暴に傍らの胡椒入れをカツカツとシンクにぶつけ、とんでもない早口で話し始めた。
「トーマスはオリバーがメアリーと仲がいいのが気になるらしいんです。オリバーはレベッカとも仲良しで、オリバーはウィリアムズともその事で喧嘩して、大変だったんです」
ひと息にそう言ったリザは、耳までほんのり赤くなっている。
 
T、O、M、O、R、O、W
 
Rが一つ抜けてるよ、リザ。
マスタングは胸の内でそう思いながら、シャイな少女の可愛らしい反応に微笑む。
物凄い早口な上に棒読みで、文脈は意味を成しているか微妙なところ、しかも一文字抜けている。
そんな初々しい反応がリザらしい。まるで、なかなか他人に慣れようとしない猫がすり寄ってきてくれたようだ。
リザが人見知りが激しくて、まだ自分に慣れてくれていないと思っているマスタングは、のんきに考える。
 
明日か。
何処へリザを連れて行こう、出掛けるついでに寄り道しても良いな。
マスタングが口を開こうとした、その時。
 
レベッカの隣にはローズがいなくてはなるまい」
 
「師匠!?」
「お父さん!」
2人が同時に叫んで振り向いた視線の先には、台所の入口に立つリザの父親の姿があった。
「Rが足りんのだ。ロビンでも構わん」
それだけ言うと師匠はクルリと向きを変え、立ち去ってしまった。
最後にマスタングの耳には
ポークビーンズか、腹が空いたな」
と呟く師匠の声が小さく残ったのだった。
 
マスタングは真っ青になった。
まぁ、あの程度の暗号は師匠にとっては児戯にも等しいのは当然として、師匠が今夜のメニューを知っているということは先刻の会話は全て聞かれていたということで。
不肖の弟子が娘をデートに誘った事実を師匠はどう思ったのだろうか?
 
マスタングは恐る恐るリザを見た。
リザは真っ赤になって、両手でお玉を握り締めている。
どうやら彼女も同じ結論に達したらしい。
マスタングと視線のあったリザは、さっきより更に早口でまくし立てた。
 
マスタングさん。あの、私、このエプロンで十分間に合ってますから、さっきのお話はっ」
力無くマスタングは、リザの言葉を継ぐ。
「なかった事にしようか」
2人は互いに顔を見合わせて、この後3人でとる夕食の気まずさを思い、大きな溜め息をつく。
 
すっかり静かになってしまった台所には、琺瑯のポットにお湯の沸いた音だけがシュンシュンと響き渡っていた。
 
 
 
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【後書きのようなもの】
暗号ネタ続きました、てか、こっちが最初に浮かんだお話です。
 
リザ父は単純に錬金術バカで暗号が間違っている事だけが気になって、会話の内容はどうでも良かったりしたら面白いなぁと思います。
娘に付く害虫は全て排除! も、有りなんですけど。
 
あ、お分かりとは思いますが、一応、前回の暗号の答えを。
答えは「Smile on me」ちょっと気障かも。