Aqua

アパートの前に車が停まった音がした。
大佐がやって来たのかと一瞬期待し、私は首を振ってその可能性を否定する。
先刻、花を買い過ぎたと莫迦な電話をしてきた彼に、花瓶がないからと嘘をついて断ったのは私の方だ。
ここに来させないために、素っ気なく電話を切ったというのに。
 
再び闇の恐怖を思い出し、私は身震いする。
『私はいつでもあなたを見ていますよ』
耳の奥にリフレインする、静かな、しかし恐ろしい威圧の言葉。
背後に殺気を感じた時点で、力量の差は歴然としていた。私が銃を抜く前に、“あれ”は私を瞬殺するだろう。
こんな無力感と恐怖を感じたのは、初めてだった。
 
階段を登ってくる足音がする。
ブラックハヤテ号が、しきりに玄関を気にしている。まさか彼が来たのだろうか?
今、大佐に来られても、部屋に入れる訳にはいかない。
“傲慢”の闇の手の痕跡は、身体中に痣になって残っている。
これを見られては、誤魔化しきれない。
知られては、彼自身の身にも危険が及んでしまうのだから、やはり今日は帰ってもらうしかない。
あの男のことだ、強引に扉を破って入ってこないとも限らないのだが。。。
 
ドアがノックされる。
ハヤテ号が騒ぐ。
私は今あなたに会うことは出来ない。
 
私の葛藤を知らず、扉はもう一度ノックされた。
早く帰って、私の気持ちが挫ける前に。
私は目を閉じ、耳を塞ぐ。
 
珍しく直ぐに諦めたらしく、ノックの音は2度で止んだ。
扉の向こうの気配が、去っていくのが分かった。
追いかけたい衝動をこらえ、私は騒ぐハヤテ号を抱きしめる。
遠ざかる靴音。
やがてバタンと音がして、表に停まっていた車が発車した。
 
ああ、行ってしまった。
へたりと座り込む私に、しきりにハヤテ号が玄関を開けろと催促する。
何かあるのだろうか、まさか電話で言っていた大量の花を置いていったのか。
ハヤテ号に静かにするように言って、私は用心しながらそろりと扉を開いた。
すると、そこには。
 
新聞紙で無造作に包まれた、小さな花束がポツリと置かれていた。
細い五弁の花びらを広げた、淡い水色の可愛らしい花が、モノクロームの紙面の中に踊っている。
新聞紙の側面には、走り書きの見慣れた文字がぶっきらぼうに花の名を告げている。
ブルースター』という可憐な名を。
 
沢山買った花の中から、この花だけを選んできたというのか。
あの強引な男が、花を届ける為だけに我が家に足を運んでくれたというのか。
 
不覚にも、目頭が熱くなった。
現在、私が大佐を遠ざけなければならない状態にあることも、闇に怯える子供のように不安を抱えていることも、彼はきちんと分かってくれているのだ。
そう思うだけで、私の心は救われる。
 
闇を照らす小さな青い星を抱き締めて、私は少しの間、涙を零すことを自分に許したのだった。
 
 
 
 
  
Fin.
 
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【後書きのような物】
18巻発売萌え記念。第72話の冒頭、電話シーンより。
『本誌のロイアイがスゴいことになっている』と噂には聞いていましたが、ここまでとは。
コミックス派なので、本気で萌えました。ビバ、牛先生!
増田は気障男なので山の様な花束を持っていくのもありでしょうが、あえてここは山の中から一握りの花を選ぶコースを。
19巻以降に、花全部アイさんにプレゼントとかいうシーンが出たら、削除します。
 
ブルースター花言葉は「信じあう心」。
ロイアイらしいかと。
 
     *
 
さて、年内の更新はこれが最後です。
今年一年、拙い文章にお付き合いいただき、どうもありがとうございました。
いただいたリクエスト残り5本は、来年に持ち越させていただきます。申し訳ありません。
それでは皆様、どうぞ良いお年をお迎え下さい。
                      azul拝