08.足枷【04.At Central】

届かぬ想いを足枷に 我々は歩き続ける
 
           *
 
「中尉、この後少し付き合ってくれないか」
そう上官に言われ、リザは少し驚いた顔で振り向いた。
 
セントラルに来て数日。
何だかんだで休みも暫くは取れそうも無い激務が、東方から来た彼らを待っていた。
引っ越しの荷物すら、まともに片付いてはいない。
この日は思ったより、早く仕事が終わった。
久しぶりに早く帰れると着替えを済ませて更衣室を出た所で、リザはロイに呼び止められたのだった。
 
「明日も仕事ですよ、分かっていらっしゃいます?」
念を押すリザに、分かっているとロイは頷く。
君が嫌ならば。。。と問われ、一瞬断ってもいいかと考えつつも、リザは了承した。
 
『本当なら今頃、親バカな髭の男が毎日のようにこのオフィスに顔を出し、こんな大佐の誘いを受けていたはずだろうに』
 
考えないようにしてきた事が不意に頭をよぎり、リザは胸の奥の薄い氷の存在を思い出す。
身近な人の死の哀しみを紛らわせるのに、休む暇もない状態というのは逆に有り難いものだと、リザは身に染みて感じていた。
きっと大佐はもっと大きな痛みを抱えて、このセントラルに身を置いているに違いない。
こんな風に長い時間を持て余しそうな夜は、独りでは居たくないのだろう。
 
リザ自身は、特に彼と親しかった訳ではなかった。ただ、上官の友人というだけの男。
東方司令部に毎日のようにかかってくる大佐への電話を取り次ぎ、その度に少々の会話を交わす。
その積み重ねが親しみを生み、いつかの東部での事件の際には、酒を飲みに行く約束を交わした。
そして、その約束を果たさぬまま、男は逝った。突然に。
 
お互いに軍人なのだから、その覚悟が無い訳ではなかった。
しかし、余りにも突然過ぎて、今でも信じられないくらいだ。
セントラルに来て、その空虚さはいや増すばかり。
ましてや、大佐の喪失感は如何ばかりのものだろう。
計り知れない闇に、リザは身震いする。
 
「行くぞ」
 
声をかけられて、リザは思考の淵から現実に立ち返る。
黒のベストスーツ姿の上官の後を追い、リザは夜の軍司令部を後にした。
 
      *
 
リザが連れて行かれたのは、落ち着いた雰囲気の地下のバーだった。
「年代物の美味いバーボンを置いているんだ」
そう言って、バーテンダーに目でオーダーを告げるところを見るに、ここはロイの行き着けの店なのだろう。
リザはマティーニを注文して、趣味の良い店内の調度品を観察する。
分かり難い入り口と言い、常連客と一緒でないと入りにくそうな雰囲気と言い、ロイが自分で見つけた店とは思えなかった。
 
一つの思いが胸を掠め、リザは痛みを感じながら敢えてそれを口に出す。
「よく、こんなお店をご存知でしたね」
すると、ロイはあっさりリザの予測を肯定してみせる。
「ああ、ヒューズが教えてくれた」
軽くその名を口に出来る程に、痛みは和らいだのか。
否、そんなことはあるまい。現にロイの表情には薄く影が落ちている。
 
静かに現れたバーテンダーが、注文の品を置いて去った。
ロイはロックグラスをそっと持ち上げると、琥珀色の液体を揺らす。
そして立ち上がる芳香に目を細め、懐かしむように言う。
「セントラルに来た時は、いつも此処でヒューズと飲んだ。朝まで飲んで、グレイシアに叱られたこともあったな」
だから出張の度に、予定より東方司令部に帰ってくるのが遅かったのか。
今更のように得心し、片手で拝みながら下手なウィンクで謝る髭面の男を思い浮かべ、リザは心の中で男に返事をする。
 ― 今更、怒りませんよ
幻影に語りかける自分に苦笑し、リザはマティーニに口をつける。
スタンダードなものよりもフルーティーでややソフトなそれは、変わったジンをベースに使っているようだ。
疲れた身体には、柔らかい刺激が心地良かった。
良い店だ。
素直にリザは、そう思う。
 
「飲む度に語った。日常のこと、軍のこと、国のこと、女のこと、、、」
グラスを片手に虚空を見つめ、ロイは問わず語りに話し続ける。
軍法会議所改革案なんて真面目に語られたり、私が錬金術の可能性について語ったり、、、不思議なものだな。今思うと、未来のことばかり語っていたよ」
その中に自分の話もあったのだろうか?リザはふと考える。
「エリシアが嫁に行く時は、なんて本気で涙ぐんで話した時は流石に恥ずかしかったがな」
苦笑と共に、ロイはグラスを傾けた。
 
聞き役に徹するリザは、改めて思う。
嗚呼、彼にまつわることは、もう全てが過去形なのだ、と。
彼の語った未来は、永遠に彼の上に訪れることはない。
エリシア嬢が嫁ぐ姿も、親友が軍を上り詰めていく姿も、彼は見ることが出来ない。
語られた数だけの未来を、ロイは引き受けるのだ、この先ずっと。それはそれは重い頸木(くびき)を独りで。
哀しみが喉元まで上がってきて、リザは急いでマティーニを口に運ぶ。
胸元の氷塊がアルコールと一緒に流れるのを待ち、リザは口を開いた。
 
「以前、タッカー事件で東方司令部にいらした時、“セントラルに赴任したら飲みに行こう”と仰った事がありました」
「私の知らない所で、口説かれたのか?」
どこか楽しそうに聞くロイに、リザは首を横に振った。
「大佐の弱点を“しこたま”教えて下さる、と」
今度こそロイは、楽しそうに笑ってみせた。

「今でさえ君に頭が上がらないと言うのに、全くヒューズの奴め」
「お聞き出来なかったのが、残念です」
「きっとヤツのことだ。君をこの店に連れてきて、良い格好したかったに違いない」
そんなことを言われると、今にもあの階段を下りて来てヒューズ中佐が現れるのではないかと言う気がして、リザは店の入り口に目を向ける。
勿論そんなことは有り得るわけもなく、そこには夜へと続く扉があるばかり。
酔いに背を押されて、リザはほろりと思い出を語る。
 
「心配しておられましたよ」
「誰が」
「中佐です」
「ヤツが何か言ってたのか?」
意外そうなロイの表情に、リザは微笑みで返す。
「本当に困ったヤツだから、しっかり現実に繋ぎ止めておいてくれ、と」
“家族のように”、そう言われたとは流石に言えなかった。
「参ったな」
ほろ苦い笑顔でロイは、目を閉じる。
俯いた横顔の哀しさに、リザはつと目を逸らしグラスを見つめる振りをする。
唇が動くか動かないかの微妙さで、ロイの唇から言葉が漏れた。
「アイツは君にも枷を課したのか。。。」
微かなロイの独り言は彼女の耳には届かず、酒精と共に空気に消えた。
 
「私は、昔、ヤツにこんなことを言われたよ」
俯いたまま目を開き、ロイは静かに言う。
「生きる事にも死ぬ事にも、自分以外の人間を枷に背負う覚悟はあるか?と」
それはまた苛烈なことを、とリザは驚く。
あの温厚そうな彼が、そんなことを言っていたとは。
自分以外の人間を枷に背負う覚悟、それは諸刃の剣。
強さも弱さも呼び込む想い。
自分の上官は、それになんと答えたのだろうか?
聞きたい様な聞きたくない様な、複雑な心持ちでリザはロイの言葉の続きを待つ。
 
「ずっとその言葉と共に、ここまで来た気がする。そしてこの先も、きっとそうだろう」
答えはまだ出ていないのか、それとも答えとともに歩いているのか。
どちらにしても。。。
「それが、ヤツが私に与えたやはり一つの枷なのだろうな」
静かに言うと、ロイはバーテンダーを呼び酒のお代わりを注文した。
 
亡き人を語り、酒を飲む。それは一つの鎮魂の儀式。
そうやって思い出を少しずつ昇華し、いつしか哀しみは癒えていくのかもしれない。
その日まで、彼らは立ち止まることを許されない。
 
自分たちに足枷を付け勝手に逝ってしまった男を思い、二人はそれぞれの杯を空けた。
 
 
 
 
 
 
 
Fin.
 
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【後書きの様なもの】
終わった、終わりました。
なんと申しますか、鎮魂と出発の物語です。
足枷というと負のイメージがありますが、約束や決意も一種の足枷になり得るのではないでしょうか。
 
これと【03.At EastCity】の間に、「03.無能」そして「16.レーゾンデートル」が入る形になります。
図らずも、うちのストイックなロイアイを繋ぐ物語になりました。
最後まで読んで下さった皆様、感謝です。