此の手で必ず

「君が撮ってきた帳簿と密会現場の写真の鑑定が終わった」
ロイの言葉に、リザは微かに身を乗り出した。
「結論から言おう。リットナー商会のドラクマへの兵器横流しは疑いようのない事実だ」
リザは“やはり”といった表情で、ロイの次の言葉を待つ。
「予定通り、今日の1730に踏み込む。家宅捜索の令状は取っていくが、強硬手段に出る可能性も考えておけ」
ロイはそう言って不適に笑った。
この人はまた現場で暴れる気でいるに違いない。自分が傍にいないと、直ぐこれだ。
リザは伊達眼鏡をかけ直すと、諦めの表情でロイに言った。
 
「私の配置は」
「万一の時、会長の退路を断て。相手はイシュヴァールを経験した元軍人だ、手強いぞ」
「あの方なら激しく抵抗されるでしょうね」
リザ自身は軍人であった時の会長を知らない。が、今だあの筋肉質の体型を保っている彼の実力を侮ることは出来なかった。
「何にせよ、君が相手にせねばならないのは、格闘のエキスパートで将軍に成る寸前までいった実力者だ。心してかかれ」
そう言って傍らに立つリザの姿を改めて眺め、ロイはニヤリと笑う。
 
「しかし、すっかりメイド姿が板についたな、“Missエリザベス”」
「バカバカしい。誰のせいだとお思いですか」
コードネーム・Missエリザベスこと、メイド姿のリザはムッとした表情で言い返す。
「私のせいだと言いたいのかね」
「他に誰がこんなバカな事を思い付きますか」
「そう怒るな。あまり時間もないのだ、手短に邸内の設備と警備ポイントの指示を頼む」
そうやって直ぐ話をはぐらかす。
そう思いながらもリザは、ロイの用意した邸内の見取り図に赤鉛筆でマークを入れていった。
 
リザは細かい書き込みをしながら、改めてロイに抗議する。
「しかしですね。潜入するのに何故メイドだったんですか」
「ちょうどリットナー商会から家政婦派遣協会にメイドの派遣要請があったのを利用したまでだ。メイドなら邸内のどこにいても怪しまれる事はないからな。それに、その衣装なら幾らでも銃器を隠し持てる」
なんだかんだ理由をつけているが、絶対大佐の趣味だ。
したり顔のロイの言葉にリザは胸の内で毒づきつつ、見取り図のチェックを終えた。
時計を見れば、そろそろ屋敷へ戻るタイムリミットだ。
 
「“Missエリザベス”、そろそろお使いは終わりの時間かね」
リザの視線に気付いたロイが、彼女の気負いをほぐすように軽く言う。
リザはロイの気遣いに微笑んでみせ、そっと黒いフルレングスのスカートの裾を摘み片足を一歩引いて優雅に一礼した。
芝居掛かった空気に、二人は瞳で笑みを交わす。
そして、一転し、張り詰めた空気を纏い直すと、ビシリと敬礼を交わした。
 
「行け、中尉。必ずや任務を遂行しろ。奴らをつけあがらせるな!」
「Yes,sir!」
 
こうして、彼らの長い1日が始まったのだった。
 
      *
 
薄闇が地上を支配しつつある夕暮れ時。
夕陽が長い影を落とす大理石の廊下を、リザは息も切らさず走っていた。
伊達眼鏡を外すのも忘れ、長いスカートの裾を翻し、ひたすらに全速力で。
 
1728、ほぼ予定通りにリットナー商会の家宅捜索は始まった。
呆気ないほど大人しく罪状を認め、会長だった男は捕縛された。
邸内の捜索はスムーズに行われ、次々に書類が押収されていく。
案ずる程のことはなかった、と皆が安堵する中、リザは一人拭い切れぬ違和感を胸に抱えていた。
何かがおかしい、何かが。
やがてその理由に思い至った彼女は、メイド姿のまま猛然と走り出したのだった。
 
「止まりなさい!」
前方に目指す男の姿を見つけ、リザは腿のホルスターからオートマチックの銃を引き抜くとその背中に照準を合わせた。
悠然と歩いていた男は、如何にも面倒そうに振り向く。
マスタングの狗か」
面白くもなさそうな口調で、リットナー商会の会長はリザの顔をまじまじと見つめる。
「小娘が何か煩く嗅ぎ回っていると思えば、すぐこれだ。十年一日が如し、全く軍のやり方は変わり映えせんな」
「あなたの隠し資産も抑えました。もう逃げ場はありません。大人しく投降なさい!」
勢いこんで言うリザを鼻で笑い、男はシャリンと腰のサーベルを抜き放つ。
 
「私の影武者を見破って、ここまで追って来た事は褒めてやろう。だが、そこまでだ。私に1対1の勝負を挑んだ無謀さを、あの世で悔やむが良い」
そう言うが早いか、男の手元から鞭のようにサーベルが伸びた。
激しい突きは、リザの銃を弾き飛ばす。
間一髪で飛び退いたリザの袖の白いカフスを斬り裂いたサーベルは、既に会長の手の中に戻っている。
 
早い!
リザが思う間もなく、次の一撃が彼女を襲った。
体勢を立て直す間もなく、仰け反るリザを続けざまに横からの斬撃が見舞う。
無理な体勢の変化に、リザのかけていた伊達眼鏡が宙に飛んだ。
かろうじて避けた切っ先はメイド服のパフスリーブを裂き、リザの左肩を傷付けていた。
 
「ふん、狗の割りにはなかなかやるな」
男は明らかに面白がっている。
男の戦闘能力は、リザの予測以上の破壊力を秘めていた。
間断なく繰り出される剣先を必死にかわしながら、リザはスカートの中に隠し持っていたリボルバーを握りしめる。
弾は6発、再装填の間はない。この6発で決めなければ。
先にオートマチックを失ったのは痛かったが、今はそんな後悔をしている暇はない。
 
剣を避け跳躍した反動を利用し、リザは加速しながら銃を撃つ。
ダンッ ダンッ
続けざまに発射された2発の弾は男の頬を掠め、血の軌跡作り出す。
「面白いな。実に面白い」
そう言って狂気を秘めた笑みを浮かべる男の胸元に正確に標準を合わせ、リザは至近から渾身の一発を撃ち込んだ。
 
キィーン
澄んだ音が耳をつんざき、リザは目を疑った。
男は倒れなかった。
それどころか、笑いながら止まることなく、リザに向かってサーベルを繰り出してくる。
 
まさか、この距離で外すわけがない!リザの理性が頭の中で騒ぎ立てる。
しかし、現実に男は生きている。
ならば、考えられる答えは一つ。
 
信じられないことだが、男は弾丸を斬ったのだ。
リザは驚愕しながらも、打開点を模索しながら疾走する。
男の攻撃は、リザに息つく暇も与えない。
彼女は反撃のチャンスを待つ。
弾は後4発。
 
ダンッッ
避け損ねた男の攻撃を銃身で受け止め、再び撃った弾は男の左肩を貫通した。
やった、と思った瞬間、リザの左肩を鋭い痛みが貫く。
リザの肩口の肉を抉るようにサーベルを捻り引き抜くと、男は低く笑う。
「今のは痛み分けだな」
男の言う通りだった。しかも、お互いに急所は外している。
残り弾3発。
 
激痛に唸るリザの腕を伝わって落ちた血が、白い大理石に紅い花を咲かせた。
勝負を急がないと、このまま出血が続けば体力が保たない。
一瞬の判断で、リザは勝負に出た。
 
凄まじい瞬発力でリザは男の突きを横跳びに避け、真横からサーベルを狙い撃つ。
轟音と共にサーベルが、砕け散った。
刃の正面から撃つから弾を斬られるのだ。切れ味の良い薄い剣は、横からの衝撃に弱い。
これで敵は攻撃手段を失った。
残り弾2発。
 
持ち手だけになったサーベルが、リザ目掛けて投げられた。
紙一重でかわし、男の右大腿を打ち抜く。
これで敵は機動力も失った。
弾はラスト1発。
 
「終わりよ。観念なさい」
相手の額の真ん中に照準を合わせ、リザは呼吸を整えながら言った。
計算通りの絶対的優勢。
しかし、笑いながら男は脚を引きずり、リザに近付いて来る。
「まだだ、まだ甘い、甘過ぎるな。マスタングの狗よ」
歩ける筈もない重傷で動く男の悪鬼の様な形相に、リザは悪寒を覚える。
その一瞬の間を男は逃さなかった。
 
リザが我に返り引き金を引いた時には、男は怪我をしているとは思えぬ俊敏さで、リザの手首を手刀で跳ね上げていた。
発射された弾は、天井に穴を空ける。
「これで弾はゼロだな」
愉しげに言いながら男は、手首を跳ね上げた手刀をそのままの勢いでリザの喉笛に叩き込む。
 
ゴフッ
咳き込むリザの喉を掴み、男は軽々とリザを片手で持ち上げた。
首を吊られた状態で地面を探し、リザの足は空を切る。
右手に残った空のリボルバーで男を殴るが、リザの首を締める男の手はびくともしない。
反動でリボルバーの回転式弾倉が開き、バラバラと空薬莢が床にまき散らされる。
 
「ここで私を殺しても、貴方に逃げ道はありません!」
息も絶え絶えに言うリザに、男は目を細めて言い放つ。
「イシュヴァールで学ばなかったのか? 勝負には死ぬか生きるかしかないということを」
男の手に力がこもった。
 
リザは朦朧となる意識を何とか繋ぎ止め、片手でスカートの裾をつまみ上げる。
もう少し、まだ私には切り札がある。
リザの手が緩慢に動く。
ゴトリ
重たい音がして、何かが床に落ちた。
 
男は、足下のそれを確認し、猛々しく笑った。
「死なば諸共、か? バカバカしい」
リザのスカートの中から転がり落ちたのは、ピンの付いたままの手榴弾だった。
男は笑いながら、怪我をした方の足でそれを蹴り飛ばした。
隠し球はもっと上手に使うべきだったな」
勝ち誇り,狂気の笑みを浮かべ続ける男に、酸素不足で青黒い顔色になったリザは無理矢理に微笑んでみせる。
「では、ご忠告通りに」
 
ダンッ
 
「ば、ばかな。弾倉は、空のはず」
頭から血を振りまきながら,男は信じられぬと言う表情で床に崩れ落ちた。
弾みで床に放り出され、酸素を求め咳き込むリザの右手に握られた銃は、煙を上げている。
「隠し“弾”ですわ」
男が手榴弾に気を取られた隙に,リザはカフスの折り目に隠していた弾を装填していたのだった。
男を殴りながら回転式弾倉が開いたのも、弾の装填をし易くする為にリザが故意に行なったことだった。
しかし、リットナー商会の会長だった男は、リザの返事を聞かず,事切れていた。
 
遠く,廊下を走る足音が響いて来た。
今更、援軍かしら。
リザは苦笑し、失血で遠くなる意識を何とか繋ぎ止める。
 
「中尉!」
ああ、大佐だわ。
リザは思考能力を失いつつある頭で、走ってくる人物を認識する。
「単独行動をするバカが何処にいる!」
霞む視界の彼方にロイの姿が見える。
「ああ、大佐」
「大佐じゃない!まったく、この傷は」
怒鳴り続けるロイを制し、リザは半身を起こして敬礼をする。
 
リザ・ホークアイ、被疑者逃亡阻止の際、激しい抵抗に合いやむを得ず正当防衛の為、リットナー商会会長を射殺いたしました。下された任務は完了したものとして、このミッションの終了を報告いたします」
 
それだけ言うと、リザはロイの前に崩れ落ちた。
リザの行動に一瞬ポカンとしたロイは慌ててリザの脈をとり、ホッとした表情を見せる。
ロイの姿に張りつめていたものが、一気に緩んだのであろう。
意識を手放したリザを、ロイは“仕方がない”といった表情で見つめ、横抱きに抱き上げた。
「誰か救護車を」
そう言いながら、後から来た部下たちに現場を任せ、ロイはリザを抱いたまま廊下を歩み去る。
 
己の腕の中の満足げなリザの表情に、ロイは思わず苦笑する。
「まったく、無茶をして、このバカものが」
愛おし気に呟かれた言葉は誰の耳にも届かず、ただ軍靴の音だけが死闘の跡に響いていた。

 
 

Fin.

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【後書きの様なもの】
沙夜様のみ、お持ち帰りOKです。
 
いただきましたリクエストは、『原作設定寄りで、リザさんがメイドとして潜入捜査!』
負傷したメイドリザさんを軍服ロイが抱き上げるの図、を書きたかったのに、戦闘シーンに力入り過ぎました。
あと、前後編で書くべきテーマを無理にこの長さに縮めましたので、ちょっと流れが苦しいです。ごめんなさい。
リクエスト、どうもありがとうございました。お気に召したら、幸いです。
  
テーマ曲は不滅のロイアイソング、椎名林檎の「闇に降る雨」です。
 
追記:リザさんの服は、ヴィクトリアン調のメイド服です。『エマ』みたいな感じで。
   それから銃器に関する記述は、調べて書いてはおりますが、概ね嘘っぱちですのでご注意下さいませ。