犬も食わないタルトタタン

鎧の体を持った少年、アルフォンス・エルリックが、最年少国家錬金術師である兄、エドワード・エルリックと共にイーストシティに到着したのは、午後二時を回った頃だった。
近くを通ったついでに大佐に報告書を提出して行く、という兄の思いつきに従い、アルフォンスは久々に東部の土を踏んだ。
懐かしい思いで周囲を見回す彼に、汽車の堅い椅子に座り続けた体を思い切り伸ばしていたエドワードは、くるりと振り向いて言う。
「アル、このまま直接司令部行っちまうぞ」
「あれ? 兄さん、ホテルに荷物置いてからって言ってたんじゃなかったっけ?」
アルフォンスが念のため兄に問うと、どうせ俺たち荷物少ないし等と、ごにょごにょと口の中で言い訳をしてエドワードはソッポを向いた。
何か僕に隠し事があるんだな。
聡いアルフォンスは分かりやすい兄に苦笑した。
エドワードの言う事がコロコロ変わるのは、いつものことだ。
アルフォンスがそれにいちいち確認をとるのは、思いこんだら一直線の兄をフォローする日常に刷り込まれた、自衛本能によるものなのだろう。
司令部に直行することには何の問題もないのだから、彼はそれ以上兄を追求するのを止めた。
どうせ、この兄のことだから直ぐにボロを出してしまうに違いない。
アルフォンスはそうタカをくくると、いつの間にか自分を追い越して先に立って歩くエドワード後を追う。
うららかな春の陽射しが彼の鎧に反射し、アルフォンスはその眩しさに目を細めた。
 
「ちーっす、大佐いる?」
「お、なんだ大将じゃねぇか。到着は明日の予定じゃなかったのか?」
ひょこりと顔を出した二人を迎えたのは、ブレダ少尉だった。
「ちょっとね、気が変わって直行した」
相変わらず重たそうな腹を揺らして振り向いた少尉は、アルフォンスを見上げてニヤリと笑った。
「相変わらず、気紛れな兄貴を持つと大変だな」
「いつもの事ですから」
しらっとそう言ってみせるアルフォンスに、ブレダは豪快に笑うとトンと鎧の胸を突く。
「なかなか言うじゃないか」
「アル!」
抗議の声を上げる兄を無視して、アルフォンスは兄に初期目的を思い出させるために、ブレダに聞いた。
「ところで、少尉。すみませんけど、大佐いますか?」
壁に掛けられたブラックボードの予定に目をやり、ブレダは眉間に皺を寄せた。
「今は……第二会議室で佐官会議中だな。アポなしであの人捕まえんのは、結構難しいぞ。中尉に頼んでちょっと大佐のスケジュールを調整してもらえるか、頼んでみたらどうだ?」
「お邪魔じゃないですか?」
「中尉なら、ダメならダメではっきり断られるだろうし、何とかなりそうなら無理矢理でも予定を空けてくれるさ。あの人はそういう人だ」
「なんか分かる気がします」
そんなブレダとアルフォンスの会話をよそに、エドワードは中尉という単語がブレダの口から出た瞬間から、急にそわそわし始めた。
何だろう? 横目で兄の様子をうかがいつつ、アルフォンスはブレダに礼を言うと兄と連れだって、司令部の固いソファに座ってホークアイ中尉を待つことになった。
 
「ねぇ、兄さん」
「なんだよ」
東方名物のまずいお茶を飲みながら、落ち着きなく視線をあちこちにさまよわせるエドワードに、アルフォンスは単刀直入に聞いた。
ホークアイ中尉がどうかしたの?」
ブフォッ! まるで噴水のように勢いよく茶を吹き出すエドワードにアルフォンスは飛び退いた。
「もう! 何だよ、汚いなぁ。兄さん!」
「べ、べ、べ、別に俺はあいつに頼まれただけでだな!」
「あいつって、ウィンリィ?」
「そうだよ!」
急に不機嫌な顔になってあさっての方を向く兄に、アルフォンスは兄の吹き出した茶を拭きながら、挙動不審過ぎる兄に溜め息をついた。
「兄さんってホントに……いい、何でもない」
「何だよ、言いかけて止めるなよ!」
単純すぎる、って言うと怒るくせに。
アルフォンスはそう胸の内で呟くと、幼なじみの事が絡むと時々過剰反応を示す、分かりやすくて鈍い兄に頭を振った。
「で、ウィンリィと中尉がどうしたの?」
「なんかグレイシアさんに、中尉のアップルパイはちょっと変わってるから機会があればレシピをもらうといい、って言われたらしくってよ。今回、東方司令部に行く、っつったらもらって来いって。で、中尉に電話で聞いてみたら、こっちに来るならレシピと一緒にパイも焼いといてくれるから、食べてけばいいって」
 
「あ〜、道理で。それで今朝から大佐の機嫌が悪いわけだ。まったくよ〜」
ぼそぼそと言うエドワードの頭上から、突然、ヤニ臭い科白が降ってきた。
「ハボック少尉!」
「おう、お前ら。久しぶりだな。元気にやってたか?」
「はい、元気は元気なんですけど」
「なんだ?」
「何で中尉がアップルパイを焼くと、大佐の機嫌が悪くなるんですか?」
至極もっともなアルフォンスの疑問に、ハボックはくわえ煙草のまましみじみと頷いてみせた。
「よくぞ聞いてくれた。中尉の作るタルトタタンは超美味いんだけどよ、あの人大人げないから独り占めしたがるんだよな。中尉が滅多に作ってくれないから、っつーのもあるらしいんだけどよ」
「えー!」
マスタングの意外な一面に驚くアルフォンスをよそ目に、エドワードはケケケと普段の鬱憤晴らしのように笑った。
「けっ、三十にもなって子供みてーな事すんなっつーの。大佐のくせに」
そう言ってゲラゲラと笑った彼の頭上から、今度は非常に不機嫌な男の声が降ってきた。
 
「今日は何の邪魔をしに来た? 鋼の。我々は子供の相手をしているほど暇ではないのだがね。それから、私はまだ二十代だ」
意外に細かいマスタングの登場に、二人はソファからピョコンと立ち上がった。
「よぉ、大佐」
「ご無沙汰してます、大佐」
二人の挨拶を仏頂面のまま掌で受け止め、マスタングは己のデスクに書類の束を投げ出した。
「君らも先を急ぐ旅なのだろう? 提出するものだけ置いてさっさと出発してはどうかね」
あまりにもあからさまな大佐の態度に、エドワードは明らかにムッとしている。
そんな二人を交互に見比べ、アルフォンスはやっぱりこの二人似てるんだ、と改めて思い思わず笑い出しそうになる。
ハボックの方も似たようなことを考えているようで、煙草をくわえる口角の上がった口元が微妙に震えている。
 
エドワードは鞄の中から数冊の紙束を取り出すと、ばさりとマスタングのデスクの上に投げ出すようにそれを置き、挑発的な口調で言った。
「忙しい大佐こそ、さっさと次の仕事しに行ったらいーんじゃね? 俺、中尉に用事があるから、中尉が来てくれるまで待ってなきゃなんねーし」
エドワードは固いソファにふんぞり返るようにもう一度腰掛け直すと、勝ち誇ったようにニヤリと笑った。
マスタングは明らかに気分を害した表情を作り、エドワードの提出した書類をぞんざいな手つきでポイと書類入れに放り入れ、フンと鼻を鳴らした。
「中尉には、確かこの後外出の予定がある筈だ。待ちぼうけを喰らわないと良いのだがね」
「俺、ちゃーんと中尉と約束してあるから、心配してもらわなくて大丈夫だよ!」
「君、私のアポは取らないくせに、何を中尉の方にだけ連絡を寄越しているのかね。まったく、これだから子供は」
「その子供と同レベルで張り合ってるのは、どこのどなたでしょうかねー?」
売り言葉に買い言葉、同族嫌悪、後なんだっけ? アルフォンスはそんな二人をハラハラしながら見守る。
 
「ねぇ、少尉。止めなくていいかな」
「俺たちが止めて、止まると思うか?」
フルフルと首を横に振るアルフォンスに頷いて、ハボックはそろりとその長身を机の下へと沈めた。
「俺たちより適任な人がそろそろ登場する筈だから、任しちまったほうが早えんだよ」
そんなハボックの言葉が終わるか終わらないかのうちに、パタリと司令部のドアが開いた。
エドワード君、お待たせ……って、二人とも何にらみ合ってるんですか」
右手に飴色に焦げたケーキ、左手に紙の束を持ったホークアイ中尉の登場に、一触即発だった二人の錬金術師の間に更なる火花が散った。
「中尉ー、大佐が大人げなくってさー」
「中尉、なぜ鋼のにそれだけ甘い!」
左右から同時に話しかけられ、うるさそうに眉間に皺を寄せた中尉は、傍らの自分のデスクにケーキを置くと腰に手をあて仁王立ちになった。
 
「大佐、いい加減にくだらない事で拗ねるのはお止め下さい。エドワード君と一体、幾つ年の差があるとお思いですか!」
「やーい、怒られてやんの」
「うるさい、鋼の! 中尉、だいたい君も君だ。私がいくら言っても、滅多に菓子など作ってもくれないのに」
「大佐は油断なさるとすぐ丸くなられるでしょう? いい加減ご自身の年齢もお考えになってですね」
「まだ腹筋は割れてるぞ。顔が丸いのは、生まれつきだ」
「そういう問題ではありません。基礎代謝量がエドワード君とは違うんですから」
「そうだー、大佐はもう三十路なんだから」
「黙れ! 鋼の。私はまだ二十代だと何度も言わせるな。で、中尉。君が私の健康に留意してくれる事はありがたいんだが、それ以上にだな、思い出だとか大事にせねばならんものがあってだな」
「振り向かず前だけ向いて歩いて下さればいいんです、大佐は。背中は必ずお守りしますので」
「いや、それはそれ、これはこれだ。君、あえて話し逸らそうとしてるだろ?」
「そんな事はありません。指揮官が大福では、士気に関わります」
「大福って、君ね」
「大福ー、大福ー」
「だから、うるさい! 鋼の。とりあえず、これは私がもらう」
「あ、大佐。ずりー! それ中尉が俺たちに焼いてくれたんだぜ!」
「どうせアルフォンスの分も君が食べるのだろう。それは独り占めというのだぞ」
「大佐! エドワード君! 二人とも、切って食べればいいだけの話ではありませんか。大佐も大佐です、本当に大人気ないんですから」
「君の事に関しては、大人気なくもなる!」
「何を、バカな事を! 職場ですよ、ここ! デスクワークの一つもまともに片付けてから仰って下さい!」
「片付けたら言ってもいいのか!」
「バカですか、ダメに決まってるじゃないですか!」
「ヤーイ、バーカ、バーカ」
「君に言われたくないぞ、鋼の。私にバカと言って良いのは中尉だけだ」
「そんな特権いりません! まともに仕事して下さい! そうしたらパイの一つや二つ焼いて差し上げます」
「デートの一つや二つの方が更に」
「バカですか! そんな暇あったら、お部屋を片付けて下さい! 最近、本の山が寝室にまで浸食してきて困っているんですから」
「だって、一番過ごす時間が長いのが寝室だから、仕方ないだろう!」
「ですから、そう言う発言は職場ではお控え下さい」
「そこで、赤くなるな! こっちが恥ずかしいだろう!」
「ば、バカですか! 誰も赤くなんかなってません!」
「やーい、またバカっていわれてやんの。バカ大佐」
「あー、もう黙れ。鋼の」
 
「いつも、こんなんなんですか?」
机の向こうで繰り広げられる、あまりにもバカバカしいやり取りを頭上に聞きながら、アルフォンスは自分の前を匍匐前進するハボックの尻に向かって話しかける。
「ああ、バカバカしいだろ?」
「空気読めてないうちの兄さんの方が、よっぽどバカっぽいんですけど」
そう言ったアルフォンスを振り向いて、ハボックは笑う。
「大将が空気読めたら、そりゃもう大将じゃねーだろ」
「まぁ、そうなんですけどね」
二人は、ぎゃんぎゃんとやり合う三人に見つからぬよう、こそりと机の下から顔を上げる。
すっかり放置されているタルトタタンをすっと手元に引き寄せ、ぱっと姿勢を低くしたハボックは、アルフォンスに合図してずりずりと後退りを始める。
「いいんですか? そんなことして」
「隙を見せる方が悪い」
そう言ってニヤニヤ笑うハボックは、隣室で親指を立てているマスタング組の面々に同じ合図を返して寄越す。
「それに、あんな惚気聞かされてんだ。このくらい貰わなきゃ、やってらんねーよ」
「はぁ……」
 
隣室で待ち受ける男たちは、綺麗にタルトタタンを五等分してそれぞれの前に皿を置いた。
東方名物マズいお茶を配りながら、フュリーが申し訳なさそうな顔でアルフォンスに言った。
「分かってるんだけど、一応ね」
「ありがとうございます」
アルフォンスが物を食べられない事を知っていても、きちんと彼の分も用意してくれる気遣いの方が彼にはありがたい。
「次来るときは、食える身体になってると良いな」
「いつでも、待ってるぜ」
そう言って笑う東方司令部の面々の優しさに困り、アルフォンスはいつもの優等生な返事をしてしまう。
「でも、中尉の都合もありますし」
「ばーか、子供が遠慮するんじゃねーよ。中尉なら絶対作ってくれるさ。あの人はそういう人だ」
レダの言葉に被せるように、ハボックが付け足した。
「流石の大佐も、その時くらいはホールでお前さんに譲ってくれると思うぜ」
「その代わり、俺たちがまた横からかっさらうかもしれないけどな」
「そのくらい美味しいんだから、早く身体戻して食べにおいで」
そんなマスタング組の言葉に返事も出来ないアルフォンスの背後で、バタンと扉が開いた。
 
「お前らー!」
「俺のパイなのに、ひでーよ!」
事態に気付いた大佐とエドワードの怒声に、彼らは素早く立ち上がる。
「しまった! 見つかった」
「行くぞ! アルフォンス!」
一同は皿を抱えて走り出す。
一目散に散開する男たちの背中をぽかんと見送ったアルフォンスは、一瞬くすりと笑って、元の身体に戻ったらやりたい事のリストの「アップルパイを食べる事」の項目に括弧付きで(タルトタタンも)と書き付けた。
そして、目の前に残された自分の分のタルトの皿を抱えて、バカバカしい追いかけっこの輪の中に飛び込んでいく。
そんな彼らを呆れた顔で見送る中尉がクスリと笑う姿が、その視界の隅をかすめていった。
 
Fin.
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【後書きのようなもの】
 すみません、今までリクエストいただいた順に書いてきましたが、ちょっとこれ以上続けてパラレル書けません。オフ原稿でパラレル漬けだったものですから、普通のロイアイ書かせて下さい。ごめんなさい! 本当に苦手なんです、パラレル。というわけで、以後ランダムにリクエスト消化していきます。
 今回は、みひろ様よりいただきましたリクエスト『軍部のみんなとタルトタタン争奪戦』でした。ロイアイ要素薄めですみません。東方のメンバーは天然バカップルに当てられっ放し、というのもたまには良いかなと思う次第です。ちょうど、ホワイトデーですし、お菓子ネタもタイムリーかも。
 リクエストいただき、どうもありがとうございました。少しでも楽しんでいただけましたなら、ありがたく思います。
お気に召しましたなら

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