Bubble Bath Blue

子犬が我が家の一員になったその日、大佐は早速大量のドッグフードと犬用の玩具を抱えて私の部屋にやって来た。
 
「ペットショップなどという所には初めて入ったが、色々なものが売っているのだな」
そう言って大佐は嬉しそうにカラフルなボールやロープを編んだ玩具を次々に取り出している。
まるで子供だわ。そう思っている私をしり目に大佐は買ってきた物を全部出すと、千切れんばかりに尻尾を振りながらも必死に私の言った“待て”を守っている子犬を抱き上げた。
 
じやれつく子犬をあやなしながら、大佐は不意に思いついたように子犬をぷらんとぶら下げて、その性別を確認する。
「お、雄か。若い男がライバルじゃ私に勝ち目はないかな」
莫迦な事をおっしゃっていないで。とりあえず上着くらい脱いで下さい、毛が付きます」
私の言葉に渋々子犬を置いた大佐が脱いだジャケットは、既に毛だらけになっていた。
ため息をついてブラシを取りに行こうとする私の背中に、大佐の声がかかる。
「ところで名前はもう決めたのかね」
私は自信満々で振り向く。
帰る道すがら散々悩んで、私はこの子にとてつもなく格好の良い名前をつけてやったのだ。
きっと大佐も吃驚するに違いない。
 
「ブラックハヤテ号です」
「は?」
大佐の顎がカクンと落ちる。
聞こえなかったのだろうか、それとも吃驚したのだろうか。
「ですから、」
私が再度言おうとする言葉を遮って、大佐はオウム返しに繰り返す。
「ブラックハヤテ、、号?」
「はい」
 
「ぶっ、、わははははは」
大佐は腹を抱えて、笑い出した。
何が可笑しいというのだ。
ブラックハヤテ号、良い名前ではないか。
黒い疾風、速くて強そうで男らしくて、笑いを誘う要素など全くないのに。
全く失礼な!
憮然とする私に気付いたらしい大佐はヒィヒイ言いながらも、笑い過ぎて出た涙を拭って言った。
 
「そう言えば、君は昔からネーミングセンスが全くなかったっけ」
「失礼ですよ、大佐」
「だって、いつだったか、師匠の部屋から見える池にいたアマガエルに凄い名前をつけてたじゃないか。何だったかな、、確か『アカダマグリーンピース』だったっけ」
「子供の頃の話じゃないですか!それに、そんな昔の事は忘れました」
クツクツと笑う大佐に赤くなる顔を見られまいと、私は彼に背を向ける。
付き合いが長いと、要らぬ事まで覚えていられるのが厄介だ。

「とにかく!その子はブラックハヤテ号です!もう決めたんです!」
ムキになる私をからかうように、大佐は子犬に向かって話し掛ける。
「よし、ブラックハヤテ号、お前は今日からブラックハヤテ号の名に相応しい犬にならねばならんぞ」
「ワン!」
分かっていないくせに元気よく返事する子犬に、私は思わず振り返り、大佐と目を合わせて苦笑する。
「いい返事だな。よし、では私が訓練してやろう。まずは“取ってこい”だ」
そう言ってボールを子犬に見せて、部屋の隅に投げてやる大佐を置いて、私はブラシを取りに部屋を出た。
 
     *
 
私がブラシをかけて、夕食の仕込みとお茶の用意をして戻って来ても、大佐はまだ夢中になってブラックハヤテ号と遊び続けていた。
子犬は子犬で大佐の事を“遊び相手”と認識したらしく、ヒャンヒャン鳴きながら大佐の“命令”に従っている。
むくむくの柔らかな毛の塊が転がるように部屋を駆け回る様はとても可愛らしく、最初は私も微笑ましくそれを見守っていた。
 
しかし、いくら何でも限度というものがある。
やがて、遊び疲れた大佐はだらしなくソファに仰向けに寝そべり、胸の上に子犬を載せてその頭を撫でている。
疲れたならブラックハヤテ号を離せば良いものを、私が淹れてきた珈琲を勧めても『後で』と言うばかりで、ちっとも動こうとしない。
おかげで、せっかくの珈琲がすっかり冷めてしまったではないか。
だいたい、まだ連れて帰ってきたばかりで、私だってブラックハヤテ号をきちんと撫でたりブラシをかけたりしてやっていないというのに。
そろそろ私にブラックハヤテ号を返してくれても良い頃ではないだろうか。
 
「ブラックハヤテ号!」
私が小さく呼ぶと、子犬は尻尾を振って私と大佐を交互に見てから、気持ち良さそうに大佐の手に鼻面を擦り寄せた。
大佐は私の方を見て、ニヤニヤと笑う。
「彼の順位では私の方が君より優位にあるらしいな。えらいぞ、ハヤテ号」
いつもは私の指定席である場所にいる子犬は、ワン!と得意気に返事する。
大佐は嬉しそうにブラックハヤテ号をわしわしと撫で回す。
子犬の方は分かっていないで返事しているのだろうが、流石に二人(一人と一匹?)にバカにされている気がして私はムッとする。
 
本来なら、今頃は大佐とソファで寛いでいるのは私のはずなのに、今日はすっかり子犬にその場所を奪われている。
そりゃあ私はあんなに小さくも可愛くもないし、フカフカの毛もないし、素直に言うことを聞かないけれど、、、でも、美味しいご飯だって作ってあげているし、スケジュールの管理だってきっちりしているし、、、
そこまで考えた時、こらっという大佐の小さな叫びが聞こえた。
 
驚いて二人(一人と一匹?)の方を見れば、大佐の胸の上でブラックハヤテ号が粗相をしてしまっているではないか。
私は、慌てて大佐に駆け寄った。
「申し訳ありません!大佐」
きちんとトイレだけは、まず躾たというのに。
ブラックハヤテ号を恐い顔で叱りつけて、落ち込む私に大佐は何でもないという顔をしてみせる。
「気にするな。子犬は喜び過ぎたり、感情が高ぶると粗相してしまう事があるらしい。子供なんだから、仕方ないさ」
大佐はソファから立ち上がって、叱られて怯えるブラックハヤテ号を床に置く。
「本当に申し訳ないです。とりあえずシャツを洗いますから、脱いで下さいますか」
「すまない、シャワーも借りるぞ」
「どうぞ。着替えを用意してきます」
大佐からシャツを受け取り、私は大佐の為にリビングの扉を開けた。
と、大佐は小さく縮こまっている子犬を片手でヒョイと拾い上げた。
「ついでにお前も洗ってやるぞ」
そう言って、ブラックハヤテ号を安心させるようにポンポンと背中を撫でて風呂場に入る大佐を見ると、私はまた少し悔しくなる。
 
私だって叱るより撫でてやりたいのだ。
でも、躾てやらないと子犬の為にならない、だから、、、
シャワーの音を聞きながらそう考えて、私はハタと気が付いた。
何だか、いつも職場で同じ様なことを言っている気がするのだけれど、、、
私は自分の口癖のような台詞を思い出す。
執務室を抜け出そうとする大佐にイヤになるほど言って聞かせているあの台詞を。
『私だって大佐を休ませて差し上げたいとは思っていますよ?しかし、サボリを見逃す事は大佐の為になりませんから』
そう考えると急に私は可笑しくなって、少し顔がほころばせた。
これでは、大佐が二人いるようなものではないか。
 
と、不意に風呂場の扉が開いた。
腰にタオルを巻いた大佐が濡れた前髪からポタポタと水を滴らせながら、私に聞いてくる。
「リザ、タオルは?」
私が急いでバスタオルを差し出すと、大佐は濡れてペションとなった子犬を私の方は差し出した。
「ちょと独占し過ぎたかな、すまなかった。後は頼む」
私は急いでブラックハヤテ号の濡れた毛を拭いてやる。
小さな命は私の手の中で、つぶらな瞳で私を見上げ鼻先を擦り付けてくる。
あどけない仕草に思わず顔がほころぶと、大佐が悪戯な顔で笑う。
「で、君は子犬を構っていれば満足なのかね、さっきまで恨めしそうな顔で子犬の方も見ていたようだが」
 
大佐の思いがけない言葉に、私は赤面する。
私がウダウダと考えていた事は、この人にはお見通しだったのかしら。
表情を消す事は得意にしていたはずなのに!
 
そんな私の思いを読んだかのように、大佐は前髪をオールバックに撫で上げて優しい顔になった。
「どれだけ隠してもムダだよ。君の考えている事くらい私には分かる、何年の付き合いだと思っているのだね」
私は口惜しくて、子犬をぎゅっと抱きしめるとそっぽを向いた。
しかし大佐は強引に自分の方へと私を向かせ、温かく湿ったキスを落としてくる。
「お預けを喰らわせて、すまなかったね」
「そんな事はありません」
「まだ意地を張るのかい?」
大佐は濡れた身体のまま、ぎゅっと私を抱きしめる。
「大佐!」
「キャンキャン」
洋服を濡らされた私と、間に挟まれたブラックハヤテ号は同時に抗議の声をあげた。
 
しかし大佐は一向に構わぬ顔で、呑気に言ってのける。
「これで、一緒に風呂に入る理由も出来たがどうだね」
「もう!知りません!」
「ワン!」
またも同時に発せられた返事に、大佐はまた笑った。
「君たち気があうな、流石の私も妬けるぞ?」
「それはこっちの台詞です」
「ワンワンワン!」
 
私たちは再び顔を見合わせて笑う。
そうして、一生懸命に吠えて会話に参加しようとする子犬に目隠しをすると、湯気に包まれた風呂場の扉の前で今日一日仕損なったキスを取り戻すかのように、何度も何度も甘い口付けを交わした。
 
 
 
Fin.
 
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【後書きのようなもの】
これが最後のリクになりました。本当にお待たせして申し訳ありません!
むくげ様のみお持ち帰りOKでございます。
 
いただきましたリクエストは「ブラハとロイさんが仲良く遊んでいて、リザちゃんちょっとほっとかれちゃって、拗ね拗ねやきもち。(中略)ロイアイ+ブラハであまあまほのぼの」。
ブラハがリザさんちにやって来た日の物語にしてみました。中略の部分が完遂出来てないのですが、そこんとこは目をつぶってやってくださると有り難いです。
 
リクエストいただき、どうも有り難うございました。
少しでも楽しんでいただけましたなら嬉しく思います。
 
そして皆様。
長くお時間をいただきましたが、10(ほんとは11ですが)のリクエストにお付き合い下さりありがとうございました。また、後ほど前回のように後書きを書かせていただくつもりではありますが、まずはお礼を。
20万回転のご訪問、ありがとうございました。
今後ともお付き合い頂ければ、大変嬉しいです。どうぞよろしく。