Aqua 【prototype】

aqua: 水色、アクアブルー
 
     *
 
【Side R】
ほんの数分の短いやり取りで、電話は切れた。
後には、何も語らぬ信号音だけが虚しく響いている。
私は釈然としない気持ちで、使われなかった小銭を乱暴にポケットに突っ込んだ。
「わざわざ声をかけていただき、ありがとうございます。大佐」
最後にそう言った彼女の声は、驚くほど穏やかだった。
穏やか過ぎて、だからこそ気になって仕方がなかった。
 
アームストロング少将との繋ぎの為に買った大量の花の処分に困って、というのは口実で。
正直なところ、ただ単純に彼女の声が聞きたかった。
まさか情報の代価に花を買った、とは言えないので、酔っ払いを装って電話をかけた。
きっと“何を呑気に飲んでいらっしゃるのですか!”と、叱られるだろう。彼女のお小言も久しぶりだ。
などと考えていた私は、どうやら本物の呑気者だったらしい。
 
受話器の向こう、思わず漏れた安堵の溜め息。
こちらの追求を受け付けぬ短い返事。
端々に臭う隠し事のサイン。
 
彼女の身に何かが起こったのだ、私にも言えない何かが。
脅されているのか、心配をかけまいとしているのか。
彼女が口を噤(つぐ)む理由は分からない。
分からないが、件のホムンクルス絡みであることに間違いないだろう。
彼女のことだから、その内にどんな手段を使っても、私に連絡を取ってくる筈だ。
私は辛抱強く、それを待つしかあるまい。
 
……待つしかないのか?
 
私は通りかかったタクシーを捕まえる。
「すまんが人ではなく、花を乗せてはくれないかね。かなり大量なんだが」
運転手はニヤリと笑って言った。
「旦那、そりゃあチップ次第ってとこでさぁ」
どうやら話の分かる男のようだ。
私は、財布の中から1万センズ札を覗かせる。
「これでどうだ?」
運転手は歯を見せて笑い、後部座席の扉を開けた。
「女の所かい?旦那、色男だね」
私はメモに住所を書いて、男に紙幣と共に手渡した。
マスタングからだ、と言えば通じる」
「他にメッセージは?」
「そうだな、後から行くと言っておいてくれ」
「気障だねぇ、旦那。俺も真似てみたいよ」
軽口を叩く男に大量の花を任せ、私は自分の車に乗り込むと、助手席に置いていた新聞紙を手に取った。
 
 
 
【Side R】
アパートの前に車が停まった音がした。
大佐がやって来たのかと一瞬期待し、私は首を振ってその可能性を否定する。
そうさせないために、素っ気なく電話を切ったというのに。
再び、闇の恐怖を思い出し、私は身震いする。
『私はいつでもあなたを見ていますよ』
耳の奥にリフレインする、静かな、しかし恐ろしい威圧の言葉。
背後に殺気を感じた時点で、力量の差は歴然としていた。私が銃を抜く前に、“あれ”は私を瞬殺するだろう。
こんな無力感と恐怖を感じたのは、初めてだった。
 
階段を登ってくる足音がする。
ブラックハヤテ号が、しきりに玄関を気にしている。まさか彼が来たのだろうか?
今、大佐がに来られても、開ける訳にはいかない。
“傲慢”の闇の手の痕跡は、身体中に痣になって残っている。これを見られては、誤魔化しきれない
ドアがノックされる。
ハヤテ号が騒ぐ。
止めて、私は今あなたに会うことは出来ない。
私の葛藤を知らず、扉はもう一度ノックされた。
早く帰って、私の気持ちが挫ける前に。
私は目を閉じ、耳を塞ぐ。
 
珍しく直ぐに諦めたらしく、ノックの音は2度で止んだ。
扉の向こうの気配が、去っていくのが分かった。
追いかけたい衝動をこらえ、私は騒ぐハヤテ号を抱きしめる。
遠ざかる靴音。やがて、バタンと音がして、表に停まっていた車が発車した。
ああ、行ってしまった。
へたりと座り込む私に、しきりにハヤテ号が玄関を開けろと催促する。
何かあるのだろうか、まさか大量の花を置いていったのか。
ハヤテ号に静かにするように言って、私は用心しながらそろりと扉を開いた。
すると、そこには。
 
新聞紙で無造作に包まれた、小さな花束がポツリと置かれていた。
細い五弁の花びらを広げた、淡い水色の花がモノクロームの紙面の中に踊っている。
新聞紙の外側面には、走り書きの見慣れた文字がぶっきらぼうに花の名を告げている。
ブルースター』という可憐な名を。
 
沢山買った花の中から、この花だけを選んできたというのか。
あの強引な男が、花を届ける為だけに我が家に足を運んでくれたというのか。

不覚にも、目頭が熱くなった。
現在、私が大佐を遠ざけなければならない状態にあることも、闇に怯える子供のように不安を抱えていることも、彼はきちんと分かってくれている。
そう思うだけで、私の心は救われる。
闇を照らす小さな青い星を抱き締めて、私は少しの間、涙を零すことを自分に許したのだった。
 
 
 
【Side C】
表に車が停まった音がした。
私は、もうすぐ此処に姿を現すであろう男が好む、バーボンの瓶を用意する。
カラン。入り口のカウベルが鳴り、店の子達が色めきたった。
 
「きゃあ! ロイさん」
「素敵なお花を、こんなに沢山嬉しいわ!」
「君たちの美しさに太刀打ちしようと思ったら、このくらいの花が必要だったのさ」
入って来た男のクサい台詞に、キャァと歓声が上がる。
「タクシーの運転手さんからいらっしゃるって聞いてたのに、遅いんだから。もう」
「ああ、すまない。野暮用でね」
女の子たちに囲まれ、若い国軍大佐はにこやかな顔で、カウンターに腰を落ち着ける。
「やぁ、マダム・クリスマス。先発部隊は気に入ってもらえたかね」
「有難うとは言っておくけどね、ロイ坊。一体、どういう風の吹き回しだい?」
「なに、いつも世話になっている御礼さ」
店中に溢れる大量の花を満足そうに眺め、若者は胡散臭い笑みを浮かべる。
 
小一時間ほど前に、マスタングの使いだと名乗る男が大量の花束を持ってきた。
店中の女の子が歓声をあげ、一気に店の中が華やいだ。
花を贈られて喜ばない娘はいない、私ほど薹(とう)が立った“元娘”でもない限りは。
どうせ仕事絡みで買ったは良いが、処分に困ってうちの店に押し付けてきたのだろう。
グラマン将軍の若い頃に、笑えるくらいそっくりだ。
昔を思い出しニヤリと笑った私の考えを肯定するように、男は言い訳を言う。
「酔っ払った弾みで、つい買いすぎてね」
酔った状態で車に乗るには、ちょっと慎重過ぎる男だと思うがね、あんたは。
下手な嘘を聞き流し、私は注文を促す。
“いつものをダブルで”という予想通りの答えに、私は用意した瓶から酒を注ぎ差し出した。
若い女たちと他愛もない会話を交わす男は、カラカラと氷を揺らしながらグラスの中を見つめている。
どうやら考え事をしているようだった。
 
「エリザベスちゃんに持って行ってやれば良かったのに」
「え?」
「花だよ、花」
「ああ、エリザベスは他の男に盗られたと」
「取り返しにいってやりな、どうせ待ってんだろ?」
私がハッパをかけると、男は苦く笑って答える。
「花は持っていったんだ、ただ、事情があって会えないらしくてね。花だけ置いて来た」
「で、手をこまねいて見ているタマなのかい? あんたが」
「言ってくれるね、マダム」
フンと鼻で笑って、私は葉巻をくゆらせる。
「女は莫迦な男の所為で、いつも苦労させられるんだよ」
「申し訳なく思っているよ」
「あたしに言って、どうすんの」
「それもそうだ」
どうしようもないと言った表情で、男はしばし考えると口を開く。
「マダム、こんな時はどうすれば良いものかね」
莫迦だねぇ、自分で考えな」
「つれないな、マダム」
莫迦をお言いでないよ。どうせ腹ん中は決まってんだろ」
男は一瞬面食らった顔をして、そして、笑った。
「全く敵わないな。マダムには」
「ふん、年の功をなめるんじゃないよ」
「嗚呼、肝に銘じておくよ」
そう言って、若い国軍大佐はカラカラと氷を鳴らし、バーボンのお代わりを要求したのだった。
 
  
Fin.
 
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【後書きのような物】
 三年半前の文章で、すみません。「Aqua」のプロトタイプです。何も更新ないのに拍手とか励ましいただいて申し訳ないので、ちょっとHDを漁ってみました。(笑)一度、エイプリルフールに一日限定で公開したのですが、多分、三年前くらいなので、ご存じない方の方が多いかと思います。
 最初に書いたのはこちらだったのですが、当時、掲載したのはリザパートのみでした。何か思うところがあったのでしょう。<当時の私

拙い文章ですが、お暇つぶしにでもなれば嬉しく思います。

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