この長い長い下り坂を

目覚めると窓の外は既に明るく、小鳥たちが騒々しく鳴いている。
 
しまった、またやってしまった。
ロイは寝癖のついた頭をガシガシと掻くと、先刻まで自分が枕代わりに頬の下に敷いていた紙に目をやった。
昨夜、師匠と議論するうちに涌いてきたイメージを何とか形にしようと躍起になっているうち、いつの間にか机に突っ伏して眠ってしまったらしい。
机の上でヨレた紙の上には、いくつもの構築式が描き散らされている。
果たして今回の出来栄えは、いかがなものだろうか。
ロイは机上の錬成陣をジッと見つめ、頭の中の理論と照らし合わせる。
 
。。。駄目だ。
ロイはがっくりと肩を落とし、机の上の紙をクシャクシャと丸めてゴミ箱に放り込んだ。
昨夜、高揚した気分でを描きなぐっていた時は素晴らしい構築式を見つけ出したかのように思えたのだが、朝陽の中で冷静になってみると、それらはありきたりの錬成陣でしかなかった。
 
仕方ない、やり直すか。
午後からの師匠とのディスカッションの項目に頭の中で新たないくつかの疑問を付け加えたロイは、あっさりと気持ちを切り替え、新しいシャツに着替え、身支度を整える。
ホークアイ家の客室には、師匠との議論が白熱する度に泊まりこむロイの為、いつの間にか着替えや日用品が常備されるようになっていた。
最初は恐縮していたロイも、今では週末の居候を楽しんですらいる。
 
うっすらと生えた不精髭をあたり、すっきりと好青年の体(てい)を整え階下に降りれば、ダイニングテーブルの上には二人分の朝食が用意されている。
既に出掛けたらしいリザが作っておいてくれたに違いない。
いつも世話になってばかりだ、何かお返しをしなくては。
勝手知ったる師匠の家の台所で珈琲を淹れながら、ロイは何かと自分の世話を焼いてくれる師匠の娘のことを考えた。
 
師匠の家に通うようになって1年。
早くに母親を亡くしたせいか、しっかり者で家事の上手い彼女に、ロイは世話になりっ放しだった。
食事をとることも忘れて研究に熱中する師匠とロイの為に、夜食を作ってくれることもしばしばだ。
『また熱中して食事も摂っておられないんでしょう。全く、父といい貴方といい、錬金術師とは手のかかる人ばかりですね』
そんな彼女のお小言も、耳に馴染んで久しい。
 
どうせ、師匠の講義が始まるのは午後からだ。
リザの為に隣町の美味いと評判のケーキ屋のケーキでも買いに行ってみるか。
思い立ったら何とやら。
ロイはさっさと朝食を腹に収めると、自転車で街へと飛び出した。
 
      *
 
力いっぱいペダルを漕げば、朝の心地良い風が全身を吹き抜けてゆく。
ロイは舗装されていない道を、全速力でガタガタととばしていった。夜更かしで固くなっていた身体が息を吹き返すように、ほぐれていく。
あっという間に辿り着いたメイン・ストリートは、休日とはいえそこそこの人通りがあり、ロイは緩やかに自転車のスピードを落とす。
その時、見慣れた淡い金髪の人物の姿がロイの目の端に飛び込んできた。
 
急ブレーキで自転車を止めると、やはりその金髪の主はリザだった。
こちらには気付いていないようで、数人の同級生らしい女の子達と屈託ない笑顔でお喋りに花を咲かせている。
手に買い物かごを持っている所を見ると、偶然買い物途中に友人に会ったものと思われる。
ロイはまるで珍しいものを見るように、目を細めた。
 
ロイの知っているリザは、何時も家の隅々にまで目を配り、ロイや父親を気遣うしっかり者の少女だ。
そのため、常に張り詰めた空気を身に纏っている。
しかし、こうやって外で彼女を見れば、年相応に幼くてたわいない話で笑い転げる少女でもあるわけだ。
家にいる時のリザが、どれほど背伸びをして大人びた振る舞いをしているかに思い至り、ロイは少し胸が痛んだ。
もう少し、彼女は少女らしい生き方を楽しんで良いはずなのに。。。

その時、リザが買い物かごを持ち替えた。
ふと見れば、かごの中から異様に重そうな袋が顔をのぞかせている。
その袋に書いてある紋様に、ロイは見覚えがあった。
錬金術専門書店の袋、、、、という事は中身は師匠の専門書で、あの厚みから見て優に三百頁はあるハードカバー。
あんな重たいものを持ったまま、立ち話してるとは。
そう認識した瞬間、ロイは自転車の向きを変えると、さっさとペダルを漕いでリザの方へと近付いていった。
 
「おはよう、リザ」
そう言いながら、ロイは後ろからさっとリザの手の買い物かごを取り上げた。
突然のロイの出現に何が起こったか分からず、リザは急に軽くなった手元に吃驚している。
予想以上に重たいそれを自転車の前籠にポンと放り込むと、ロイは自転車に跨がったまま怒った様にリザに言う。
「こんな重たいものを取りにいくなら、声をかけてくれ。私が行くから」
漸く状況を飲み込んだリザは、いつものしっかりした表情をのぞかせてロイに反論する。
 
「でも、これは父のお使いですから」
「私も使わせてもらうものだから、遠慮する事はない」
「でも」
「でもじゃない、自分の手を見てご覧」
確かに、リザの掌には買い物かごの持ち手がくい込んだ後が残って真っ赤になっている。
「このくらい平気です」
リザはそう言って頬を染めながら、自分の手を後ろ手に隠した。
 
「リザ、、、その人は?」
どうやら2人の会話が一区切り付いたらしいと踏んだリザの友人たちが、興味津々といった顔つきでリザに問い掛ける。
チラチラと好奇心いっぱいの視線が無遠慮にロイに注がれ、ひそひそと会話が交わされている。
それに気付いて更に頬を赤らめたリザは、慌てた口調で言い訳のようにロイを友人たちに紹介した。
「えと、こちらは、マスタングさん。お父さんのお弟子さんなの」
「え!じゃあ、マスタングさんは錬金術師さんなんですか!」
無邪気な質問にロイは、苦笑しながら答える。
「まだ、卵だけれどね」
そう言ってニコリと微笑むと、少女達はきゃあきゃあとざわめき囁きあう。
 
ポソポソと格好良いだとか、大人だとか言われているのが聞こえて来て、ロイは何とも面映い気分になる。
目の前で品定めされるのには閉口するが、リザの沽券の為になるべく好青年を装っておかなくてはなるまい。
ロイは笑顔の安売りをしながら、彼らの様子を観察する。
どうやら、皆に冷やかされているらしいリザは、ますます顔を赤くして、色々否定しているようだ。
自分がその元凶である自覚はあるが、見ていると面白いなぁとロイは他人事の様に感心する。
まるで、子犬が戯れあっているようだ。
が、ただ見ているわけにもいくまい、少女たちの追求はなかなか手強そうだ。
 
「リザ、買い物はまだ途中かい?」
食いつく様な友人たちの攻撃から一瞬逃れ、ふるふるとリザは首を横に振る。
「終わったの?この後、お友達と遊びに行くのかい?」
頬を染めたまま、ロイの矢継ぎ早の質問にリザは忙しく首を縦に振ったり横に振ったりする。
そんなリザが可愛らしくて、ロイは彼女を連れ去りたくなってしまう。
 
「この後は予定はないのかい?」
どうせ、彼女の為にケーキ屋に行こうと思っていた所なのだから。。。
友人たちの追求から逃れたい一心でぶんぶんと首を縦に振るリザに、ロイはにこにこ笑いながらあっさり言い放つ。
 
「じゃあ、デートしよう。リザ」
 
リザの首が縦に動きかけて、止まった。
そして、瞬く間に頭の天辺まで真っ赤になってしまう。
一緒にいる少女たちが色めき立って、キャアと悲鳴にも似た声を上げる。
このくらいの女の子は、恋に憧れる年頃なのだろう。
可愛らしいものだなぁと、妙な所でロイは感心する。
 
「君たち、リザ、借りていっても良いかな?」
突然の展開に呆然とするリザを放って、ロイは外堀から攻めるべく彼女の友人らに極上の微笑みで問い掛ける。
手を取り合ってブンブン頷く少女らから、視線をリザに移せば恨めし気な彼女の視線とぶつかった。
 
これでロイの誘いを断れば、リザは友人たちに捕まって、質問攻めから小一時間は逃れる事はできないだろう。
ロイと一緒に行けば行ったで、彼女らの誤解を解く事は出来なくなりそうだ。
どちらを選んでも、ロイがリザをデートに誘った事実は、どうしたって消えないのだ。
どちらにしても状況は同じ。ならば、被害の少ない方を選ぶのが道理。
 
リザは諦めた様に、ロイの方へと近づいてくる。
そして、友人たちに聞こえない様にロイにボソリと言った。
「まったくなんて事をして下さるんですか」
「私は君をデートに誘っただけだよ?」
ニッコリ笑うロイに、リザは思い切りふくれてみせる。
「もう、ご飯作ってあげませんから」
「それは困ったなぁ」
そう言いながら、悪びれもせずロイは自転車の後ろの座席に座るようリザに促す。
 
如何にも仕方ないといった風情で自転車の後ろに横座りしたリザを確認し、ロイは自転車を漕ぎだした。
リザは友人たちに手を振り、小さな溜め息をついてドナドナを歌いだす。
あまりの選曲に、ロイは苦笑するしかなかった。
 
      *
 
「リザ、リーザちゃん。いい加減に機嫌を直してくれないか」
街を抜け、郊外の草原に差し掛かる頃になっても、リザは不機嫌なまま自転車に揺られていた。
ここまでの道すがら、リザは延々とロイに恨み言を言い続けている。
「私が悪かった」
「そうです、もう全部マスタングさんが悪いんです!」
噛み付く様に答えるリザは、独り言の様に頭を抱える。
「明日学校に行ったらみんなになんて言われるか。どうしてくれるんですか、もう!」
リザの大きな溜め息に、ロイは何だか情けなくなってくる。
善かれと思って荷物を持った事から発展して、デートに誘って何故ここまで言われなくてはならないのだろう。
 
ずっと謝罪を続けていたロイは、キュッとブレーキをかけて自転車を止め、背中越しにリザに言った。
「本当に厭なんだったら、このまま引き返して家に戻ろうか」
そうしてロイは、肩越しにリザを振り向いた。
「デートに誘ったのは、迷惑だったのかな」
少し哀し気に眉をひそめてみせるロイの表情に、リザがはっと息を飲む。
見つめあう2人の間に少しの沈黙の時が流れ、リザは頬を染めて顔を伏せた。
 
「、、、そんなことはありません」
消え入る様な細い声での返答に、沈んでいたロイの表情がパッと明るくなる。
「本当に?」
「本当です。。。」
恥じらうリザは、ますます俯いてしまう。
「リザは私の事が嫌いじゃないのかい」
「嫌いな人に、お夜食なんて作って差し上げません」
そう言ってソッポを向いてしまうリザの可愛らしさに、ロイは思わず破顔する。
いつも師匠の家で見ている彼女とは違う一面を、今日は沢山見せてもらった。
一人の女の子としてのリザは、なかなかどうして愛おしい。
 
「よし、じゃあ行くぞ!」
ロイは勢いを付けて、自転車を猛烈な勢いで漕ぎだした。
いきなりの発車にリザは勢いづいて、ロイの背中に顔をぶつける。
「スピード出すから、しっかり掴まって!」
あまりに現金なロイの反応に、一瞬ぽかんとしたリザは遂にクスクスと笑い出す。
「何処まで行くんですか?」
「隣町のケーキ屋!」
「いっぱい食べちゃいますから、覚悟しておいて下さいね!」
「また、ご飯作ってくれるなら、幾らでも」
「もう!ちゃっかりしてるんですから」
 
たわいない会話が風に飛ばされない様に、大きな声で喋りながら2人は丘を越えていく。
下りの坂道の猛烈な加速に、リザはロイの背中にしがみついた。
背中にあたる小さな温もりにロイは満足し、ブレーキをしっかり握りしめると、大切なものを運ぶ様にゆっくり坂道を下り始めた。
 
 
 
 
 
 
Fin.
 
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【後書きの様なもの】
ロビン様のみ、お持ち帰りOKです。
 
いただきましたリクエストは、『仔ロイアイの初デートで、リザちゃんの同級生の子がでてきたりするの』だったのですが。。。
の〜!デートまでまだ辿り着いてないじゃないか!と自己ツッコミ。しかも長い。。。orz
初デートにこぎ着けるまでのお話になってしまってますね、ほんと、すみません。
子供の頃から意地っ張りのリザさんと強引なロイ君、5才くらいの年の差ならロイ君にこのくらいの余裕があるかなと。
少しでも気に入っていただければ、幸いです。
リクエスト、どうもありがとうございました。
 
ちなみに、テーマ曲はゆずの「夏色」です。