Forget me not 後編

「全てを覚えていないわけではないのですが」
リザは前置きのようにそう言うと、ロイの腕の中に包まれたまま覚悟を決めた表情で口を開いた。
「大佐が士官学校に入られる為に我が家を去られた前後から、特に父の葬儀の日の前後の記憶が部分的に曖昧で」
そこまで言って、リザはまた躊躇うように口を閉じた。
ロイはある程度予測の範囲内であった彼女の答えに、胸の内に小さな安堵を覚えた。
肉親の死が多感な年代の少女であったリザに、大きな影響を与えたであろうことは想像に難くなかったからだ。
しかも、早くに母親を亡くし父一人子一人の環境でずっと生活してきたリザが、その一事で天涯孤独の身となり、幼いながらに人生と己の身の振り方を考えねばならなくなったのだから、その精神的衝撃は計り知れぬものであったろう。
だから、その記憶が曖昧でも何ら不思議はないと、彼は考える。

だが、リザの唇はまだ何かを告げ足りぬように、微かに開かれたままだった。
ロイの目の前で落ち着かなく瞬きを繰り返す度に揺れる睫が、彼女の逡巡を彼に告げている。
ひょっとして、師匠のことで彼に対してリザは何か言えぬままであったことでもあったのだろうか。
それとも、忘却の彼方に葬った何かを彼に求めようと言うのだろうか。
だいたいが寡黙な彼女のことだから、今回のこととて、こんなきっかけがなければリザの方から言い出すことも無かったであろう話なのだ。
ロイに出来ることは、彼女が口を開くまで辛抱強く待つことくらいなのだ。
ロイは彼女の沈黙に口を挟むことなく、彼女の次の言葉を待った。
「もっと端的に申しますならば」
リザは小さく息を吸い込むと、少しの間をおいてから諦めたように静かな口調で彼に小さな秘密を告げた。

「私には、父が私の背中に秘伝を刻んだ間の一切の記憶がないのです」

ロイは思いがけないリザの告白に虚を突かれ、彼女の言葉の意味を飲み込むのに数瞬の時を要した。
だが、すぐに彼は彼女の言葉を納得した。
彼女に過去を捨てさせたのは、哀しみではなかったのだ。

恐怖、或いは怒り。

彼の師匠が彼女に遺した遺産は、彼女から様々なものを奪った。
否、ロイ自身が師匠の遺産を負の遺産に変えてしまったのだ。
その自覚はロイに良心の呵責を与えるものであり、ロイは自身に秘伝を与える為にリザが被った心的被害にはそんなことまで含まれていたのかと、今更ながら深い自責の念を覚える。
ロイは暗澹たる思いで自分が焼いたリザの背中を透かし見るように、彼女の左肩の辺りに視線を彷徨わせた。
彼のそんな反応を予測したようにリザはじっと彼の様子をうかがってから、ロイに問われる前に彼の疑問に対する答えを訥々と話しだした。
「大佐もご存じの事と思いますが、刺青というものは傷に色素を擦り込む行為ですから、非常な痛みを伴うものだそうです」
まるで他人事のようにそう言って言葉を切ったリザは、彼の反応を待つように、じっとロイを見つめている。
ロイは彼女の意外なほど真剣な眼差しと、あまりに当たり前の講釈になんと答えたものか迷った。
しかし、その迷いと同時に彼女から秘伝を与えられた当時の、深い感慨と刺青という残酷な師匠の手法に覚えた憤りが彼の中に甦り、ロイは結局それをどう言葉にして良いか分からぬまま、リザの次の言葉を待った。
「子供の頃のことでもありますし、自分でもはっきりとは分かりませんので説明のしようがないのですが、その痛みが私は怖かったのだと思います。多分、思い出したくもない程に」
少し強い口調でリザは一息にそう言うと、一瞬ロイから目線を逸らした。
だが、直ぐに思い直したようにリザはロイを見つめると、深々と彼に向かって頭を下げた。
「今までお話しませんでしたことに関しましては、謝罪いたします。ですが、どうお話しするべき」
「もういい」
ロイは強引にリザの言葉を途中で取り上げた。
秘伝に関することであれば、リザがロイに話しにくいのは当たり前のことであっただろう。
しかも、刺青の最中に師匠がリザに何か秘伝のヒントになることを話したのではないかと、彼は秘伝の描き写しの際、様々な質問をリザに対してしまったものだった。
錬金術のことは分かりませんから」と寂しげに微笑んだ、幼いリザを思い出し、ロイは若い頃の自分を殴りたくなった。
今思えば、何も知らなかったとは言え、自分はなんと残酷なことをしていたのだろう。
そして、こんな年齢になっても同じことを繰り返す自分に、ロイは更に頭を抱えたくなった。
きっと、こんな風にロイが自分を責めることを分かっていたから、リザは彼にこの話をしなかったのであろう。
事の全貌を理解し、ロイはリザを自分の腕の中から解放する。

『すまない』という一言ですませるには重すぎる現実に、ロイは迂闊にリザを追い詰めた自分に嫌悪感を覚える。
しかし、リザは彼に落ち込むことを許してはくれなかった。
リザは解かれたロイの両手を掴むと、自分の肩の上にその手をおいた。
もう一度彼の腕の中に自分から収まる形を作ったリザは、彼を真っ直ぐに見つめた。
「ですが、大佐」
彼の腕の中で真っ直ぐにロイを見上げるリザの眼差しは、まったく暗い影を落としてはいなかった。
謝罪の言葉さえ受け入れぬであろう毅然とした彼女の眼差しに、彼は場の主導権をリザに譲り渡す。
黙り込んだ上官にリザは平然と言った。
「私にとっては、大佐とご一緒でなかった人生の時間など、どれほど欠けていても問題はないのです。ですから、どうぞお気になさらないでください」
ロイは、余りにストレートなリザの言葉に目を剥いた。
おそらく彼が落ち込むであろう事を見越したリザは、彼に対するフォローのつもりでそう言ったのだろう。
しかし、普段ほとんど彼に甘い言葉を吐くことなどない彼女の無意識の言葉の破壊力は絶大だった。
「参ったな」
ロイは片手で口元を覆って、リザから表情を隠した。
彼の憂いさえ一瞬で吹き飛ばすリザの力に、彼は降参するしかなかった。
そんなロイの様子に、彼女は不振そうに首を傾げた。
「大佐?」
ロイは彼女自身に導かれた己の手を、再びリザの背に回した。
「まったく、君には敵わん。私は落ち込むことすら出来んじゃないか」
「あの」
「気にするな、独り言だ」
落ち込んでいる暇があったら自分は進むしかないのだと、ロイは彼女の温もりを腕の中に確認しながら、副官に翻弄される夜に小さな苦笑を浮かべたのだった。

 Fin.

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【後書きのようなもの】
 何としても年内に仕上げたかったので、間に合って良かったです。一年の締めは、静かな優しい夜で。

 今年一年お世話になりました。今年はオフ活動がメインになり、オンの更新が月一程度になってしまいました。それでも気長にお付き合い下さった皆様、ありがとうございました。
 きっとまた来年もロイアイ書き続けると思いますので、また遊びに来て下さると嬉しく思います。
 どうぞ、良いお年をお迎え下さいませー。

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