Ruby

「大佐、もう出発しないと遅れてしまいます!何をしていらっしゃるんですか?」
リザは、ロイが自室から出てくるのをイライラと待っている。
先刻から何度も呼んでいるのに、返ってくるのは生返事ばかり。
だいたいが身支度に時間がかかるのは、女の専売特許だというのに。
待ちくたびれたリザは、身に纏ったシルバーフォックスのストールと小さなクラッチバッグを投げ出して、ソファへと座り込む。
 
今夜リザは、街の有力者の催す私的なパーティーに、ロイとともに出席しなければならないのだ。
本来リザには何の関係もない話なのだが、招待状を受け取ったロイが、エスコートするレディがいなければ様にならないだとか、これも仕事の一環なのだから副官として付いて来いだとか、散々駄々をこね、リザは不承不承そのパーティーに出席する事を承知したのだった。
どんな場所でも、大佐の様な人間には護衛が必要だと割り切る事にしよう。そう思った。
しかしその後、リザは出席を承諾した自分を徐々に後悔することになる。
  
公的な催しなら軍の正装で出席すれば済むのだが、ドレスコードのある私的なパーティーとなるとそうはいかない。
嬉々として全て準備すると言うロイに任せ、リザは彼の愛用する老舗テーラーでドレスから靴まで全てをオーダーメイドした。
リザとて一人の女だ。
美しいドレスが着られるという事実に、多少の胸の高鳴りがなかったわけではない。
しかし、むやみに肌を露出するドレスや、予想以上のピンヒールの歩き難さや、息が詰まるほど締めあげられるコルセットや、行動しにくい長いトレーンなど、美しいばかりで機能性も機動性も全くない衣装は、リザをどんどん憂鬱にさせていった。
 
この髪型と化粧に美容室で2時間も費やしたし、銃だって一丁しか持たせてもらっていない。
これでは護衛どころか、何の役にも立たないではないか。
自分が自分ではないようで、リザはすこぶる不満だった。
  
せめてもう一丁、銃をどこかに装備出来れば。
リザは立ち上がって、改めて傍らの鏡で自分の姿を眺めた。
姿見の中には、金髪を夜会巻きに高く結い上げた紅いドレスの女が不満げな表情で映っている。
 
少し高さのある襟元には幾重にもゴシック調のレースがあしらわれ、胸元で深いV字を描くように打ち合わせられている。
右の太股の辺りにはたっぷりとドレープがとってあり、その奥にホルスターに収められた銃が隠されていたが、それ以外の箇所は細い腰と豊かな胸を強調するようにぴったりと身体に沿っているドレスには、これ以上ものを隠す余地は無さそうだった。
リザは溜め息をついて、深いボルドーの別珍の生地を撫でた。
その時だった。
ガタガタガタッ
ロイの篭っている部屋から、凄まじい物音が聞こえて来た。
  
まったく、何をやっているのだ。
だいたいが、美容室までリザを車で迎えにきておいて、そのまま自分の部屋へ回れ右してリザを待たせるなんておかしいではないか。
その時点でブラックタイの正装一式に身を包んだロイは、十分出かけられたはずなのに。
いくら忍耐強いリザでも、もういい加減我慢の限界だ。
 
「大佐、いい加減になさって下さい!」
そう言って、リザは入るなと言われていたロイのいる部屋の扉を開けた。
   
「あ〜、だから入ってくるなと、、、今更言っても、もう遅いか」
そう答えるロイは着ていた上着を脱ぎ、タイの片側を外して襟元をだらしなく緩めて、机の前に立っていた。
右手の錬金術の薬品棚の瓶が盛大に倒れているのが、先刻の大きな音の原因らしい。
  
「このごに及んで、何を遊んでいらっしゃるんですか」
机上に描かれた錬成陣を呆れ顔で眺め、リザはお小言を言う。
出掛ける直前にわざわざやる事でもあるまいに。
「私だって好きでやっているわけではない」
「何を訳の分からない事を仰いますか」
ロイは困ったように、鼻の頭を掻いた。
「本来なら私だってもっとスマートにやりたかったのだが、これだけ予定外の事が起こっては、どうしようもあるまい」
「何が予定外なのですか?」
「ドレスだよ、君の」
「?」
そう言って如何にも心外だという表情をするロイを見つめ、全く話の筋道が見えないリザは目を瞬(しばたた)かせる。
 
不信げなリザに向かって、ロイは錬成陣の横に置かれた小箱を指し示した。
「開けてごらん」
そう言われたリザは、箱を手に取り中を見て驚いた。
箱の中には大粒の紺碧のサファイアをあしらった豪奢なネックレスと、それとお揃いの美しいピアスが収められている。
リザの反応にロイは満足気に頷き、そしてまた渋面を作った。
 
テーラーでドレスを渡された時、アクセサリーが無いことを不思議に思わなかったかね?」
「仰られて見れば」
「道中でこれを贈る計画だったのだ。。。なのに、何故だ、、、君のドレスは青のはずではなかったのかね」
渋い顔のまま、ロイは天を仰ぐ。
「仮縫いの時に、変更したんです」
そう言いながら、リザはようやくロイの思惑を察した。
 
ロイは、テーラーのオーナーからリザのドレスはブルーだという情報を仕入れ、それに合わせてサファイアのアクセサリーを贈り物として用意していたのだろう。
ところが当日迎えに行ってみれば、リザは想定外の深紅のドレスを纏っていたというわけか。
 
「また莫迦みたいに気障なことを企んでらしたんでしょう」
莫迦というな」
「事実でしょう。ちゃんとお伺いしていれば、私もドレスの変更のご報告を致しましたのに」
「そう言われると、ぐうの音も出ん」
「私は赤いドレスに青のアクセサリーでも構いませんが」
莫迦者、それでは信号機だ」
冷たく言い放ったリザに、憮然としたロイは面白くも無さそうに答える。
 
「せめて、挽回のチャンスくらいはくれても良いだろう」
ロイは仏頂面のまま、リザの手の中の箱からアクセサリーを取ると、錬成陣の中心に置いた。
何を始める気だろう。
リザは目の端で時計を確認すると、ロイに少しばかりの時間の猶予を与えることに決めた。
 
サファイアは、元々コランダムという酸化アルミニウム、通称アルミナの結晶に微量のチタンや鉄が加わったものだ。硬度は、ダイヤモンドに次いで堅い」
いきなり始まった鉱石の講義に面食らうリザに机の側に来るよう促して、ロイは薬品棚の瓶から薬匙で白銀色のものをすくいだし、慎重に計量する。
「ところで自然界で極めて稀に、アルミナにクロムが混ざることがある」
ロイの手の中の瓶には、確かに『クロム』と書いたラベルが貼ってあった。
ロイは計量したそれを、丁寧に錬成陣の中に置く。
 
「このクロムが約1%の割合で含まれ、鉄の含有量が少なくなると。。。」
ロイの手が錬成陣の上に置かれた。
リザはすっかりロイのペースに引き込まれ、錬成陣を見守っている。
 
パチッ
小さな錬成光が煌めいた。
 
「極上のルビー、ピジョンブラッドが出来上がる」
リザは驚いて、息をのんだ。
ロイの言葉の通り、机の上には、世にも美しい紅い光を放つ宝石(いし)が載っていたのだった。
 
「ルビーとサファイアは色は全く違うが、元々は同じコランダムなんだよ。驚いたかね」
そう言いながら、ロイはネックレスを手に取った。
そしてそのままリザの背後に回ると、男は器用にネックレスをリザの首に巻きつける。
 
リザは、紺碧の玉が美しい深紅に変わったトリックと、紫がかった深紅色の石の美しさに言葉もなく立ち尽くす。
そんなリザの様子に気付いたロイは、実に楽し気に彼女の顔を見つめて言った。
「たまには、錬金術師らしい所を見せておくのも悪くないようだ」
驚いてロイの為すがままにになっていたリザは、ハッとして言い返した。
 
「無駄な労力を使わせてしまい、申し訳ございません」
「ああ、気にしないでくれ、たまには君に感嘆の眼差しで見つめられるのも悪くない」
そう言ってロイはニヤリと笑うと、自分のタイを締め直してから、リザの耳にピアスを付ける。
「ああ、よく似合う。しかし、君の美しさの前には宝石も色褪せるね」
そんな気障な科白と共に、男の指先がリザの耳朶をなで上げる。
間近に迫る瞳を伏せた男の真剣な顔にゾクリとしながら、リザは虚勢を張ってみせる。
「そんな気障な科白、よくもまぁ、素面で言えるものですね」
「なに、君の美しさに酔っているだけさ」
しゃあしゃあと言ってのけるロイに、リザは眩暈を覚える。
 
「大佐、いい加減に出発しないと、、、」
「分かりましたよ、レディ。お手を」
差し出された手を取れば、腰に手が回される。
 
ひょっとして、これも演出のうちだったんじゃないかしら。
そう思いながら部屋を出て姿見に目をやれば、鏡の中の紅いドレスの女は、先程の不満顔を忘れた様に艶やかに微笑んでいる。
その隣に立つ漆黒の髪の男は、イヤミなほどスッキリとブラックタイの正装を着こなしていて、思わず見惚れるほどだ。
 
やっぱり自分が負けた気がするのだが、口惜しいからそんな素振りは絶対に見せてやるまい。
リザは肩をすくめると、ストールとクラッチバッグを拾い上げ、大佐のエスコートに身を任せた。
 
 
Fin.
 
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【後書きの様なもの】
haruka.様のみ、お持ち帰りOKです。
 
いただきましたリクエストは、『ドレスアップしたリザさんとロイさんのお話』。
一応、タキシード&イブニングドレスです。あと、ルビーとサファイアの組成については、一応調べたので間違ってはいないはずですが。。。
リクエスト、どうもありがとうございました。お気に召しましたなら、幸いです。
 
ちなみに、テーマ曲は今井美樹の「Ruby」。密かにロイアイソングだと思っているのですが、いかがでしょう?
 
追記:12/8ロイのくさい科白を追加。