oversensing 後編

oversensing:【名】 過剰感知
 
       *
 
押し当てられた唇は、冷たく乾いていた。
温々とベッドの中に暮らす私に外気の冷たさを思い知らせる口付けは長く、息苦しさを感じる程だった。
握られた手首に伝わる男の掌の温もりだけが火のように熱く、私に彼の二つ名を思い出させる。
 
西日は未だベッドの上に、その光線の温度を伝えている。
という事は、私が眠りの狭間に落ちていた時間はそれほど長くはない。
長くても、せいぜい三〇分といった所だろうか。
深く眠っていた訳でもないのに、人がこの部屋に入り込み傍らにいることに気付かなかったとは、我ながら情けない。
戦場で命をかけて生きてきた自分は、この数日で腑抜けになってしまったのか。
 
莫迦もの。私の気配にも気付かぬとは鈍り過ぎだ」
ようやく唇を話した男の第一声は、私の急所を的確に貫く。
耳元で囁かれる叱責は、甘い中に容赦の無い冷たさを含み、私は慄然とした。
「こんな事では、復帰しても居場所が無いぞ。ホークアイ中尉」
「申し訳ありません、大佐。しかし」
 
言葉の続きは再び塞がれた唇の中に封じ込められ、口中に侵入する男の舌に絡めとられて用をなさなくなる。
ギシッ
ベッドの軋む音に、男の体重が私の上に移動するのが分かった。
自由な方の手で彼の身体を押しのけようとするものの、見えぬ目では思うような行動が出来ない。
たちまちそちらの手も絡めとられ、頭上に両手を一纏めに拘束されてしまう。
表情や動きが見えないために、彼の次の行動が予測し難い。
彼はこのままここで私を抱く気なのだろうか、何をされるか分からないという不安が強く私にのしかかる。
 
それなのに。
それ以上に大佐がここに居るという事実に、私は安らぎを覚えている。
常に私の傍らにあった匂い、気配、温度、目に見えない全てを彼が運んできた。
目に見えない全て、そう、それは即ち彼自身なのだ。
 
嗚呼、この所為だったのか。私は得心する。
今日、あの優しいフュリー曹長の扉の外の気配にさえ覚醒した私が、こんな苛烈な空気をまとった大佐の気配に気付かなかった理由。
身にまとう空気に気配を感じないように、私は彼が身近にいることを常態にしてしまっていたのだ。
そして、病院に入って感じた不安。
それは視覚を奪われた所為だけではなく、この男の存在の欠如の所為。
私はこの男の存在に慣れ切ってしまっているのか。
 
自ら導いた答えに呆然とする私は、されるがままに濃厚な口付けを受け止め続ける。
抵抗の気配がないのを良い事に、大佐の手がパジャマの釦にかかった。
ハッとして抵抗しようにも、上手く力が入らない。
見えていれば、こんな勝手はさせないものを。
 
ジタバタとしていると、不意に大佐の手が止まり唇が離された。
首筋までを隠す衿の高いパジャマの胸元までをはだけた所で、大佐の指が私の肌に触れている。
「こんな所にまで受傷していたのか……」
大佐の指が鎖骨下に刺さったガラス片の傷跡に触れた。
傷はもう閉じているが、触れられるとまだ痛みが生じる。
しかし、それを気取られぬ様、私は何でも無い顔でさらりと答えた。
「軍服の厚い生地のおかげで、この程度で済みました」
莫迦もの!」
私の両腕を掴む彼の手に痛い程、力が込められた。
いつもなら睨み返すところだが、それが出来ないので抗議の意志を伝えるには口を開くしか無い。
「痛いです、大佐」
「何を暢気な! 一歩間違えば、致命傷だったと分かっているのか!」
「構いません、大佐がご無事でしたから」
当然の答えを返せば、彼が言葉に詰まったのか分かった。
我々の関係がどのようなものであろうとも、私にとって彼は常に『大佐』である。
慣れ合わず、目的の為に生きる我々のルール。
 
「死ぬ事は許さんと言ったはずだ」
気を取り直したらしい彼が言う。
「生きております」
「まったく、口が減らないな。君は」
「見えない分を口で補わねばならない状況ですので」
なんだか売り言葉に買い言葉になっている。
ちらりとそう思うが、勢い付いた言葉は止まらない。
 
「その状況を招いたのは誰なんだ」
「大佐こそ、成功されたから良いようなものの、また強攻策を採られて」
「きちんと策は練った。成功した。それで良いだろう」
「私の居ない所で、無茶はなさらないで下さい。お傍に居ない時は、お守り出来ません!」
「だから、ハボックを今回は傍に置いた。ヤツなら君も納得するだろう!」
「嫌です! 大佐の背中をお守りするのは、私です!」
 
ハッとした時には、遅かった。
勢いで口から出た言葉は、あまりに正直過ぎて子供染みていた。
莫迦なことを言ってと、また一蹴されるのか。
しかし、そんな私の気持ちを一瞬で砕き、なんの躊躇もなくいつもの声音が返ってくる。
「じゃあ尚更だ、莫迦もの。こんな無茶な事はするな。私を守りたいなら、まず自分の身体に責任を持て」
私の揺らぎを吸収し受け止める強さ、そして突き放す優しさ、私はいつもそれに助けられる。
あやういところで我々のバランスが取り戻される。
 
「分かったのか?」
「イエス、サー」
「早く治して復帰しろ。休んでいる暇などないぞ」
「イエス、サー」
「二度とこんな無茶はするな」
「それは承服致しかねます。大佐をお守りする為でしたら、私はまた同じ状況が生じた場合、同じ行動を取ります」
「まったく、君は!」
 
また堂々巡りになるのか。
そう思った時、大佐の気配がふと厳しくなった。
「一つだけ言っておく。一度しか言わないからな」
彼の囁く声は低く、ぞくりとするほどの熱と容赦ない響きを含んでいた。
表情は見えないので分からないが、抑えられた感情が声音に含まれるのが伝わってくる。
「君が私の目の前で血塗れで倒れた時、私は衝動的に市街への被害も、事後の始末も、将来への影響も考えず、あいつらを倉庫ごと焼き尽くす所だった。また同じ事があったなら、私も同じ事を繰り返すだろう。次は自制出来るか分かりかねるがな」
大佐の声が僅かに揺れる。彼は本気でそうしようとしたのだ。
 
私は息をのんだ。
あの化学プラント一基の爆発だけで、あれほどの規模だったと言うのに!
倉庫を焼けば、街がブロック単位で吹っ飛ぶではないか。
無鉄砲にも程がある。
「大佐、もう少しご自重下さい! 自ら上への道を閉ざされるおつもりですか!」
「そう思うのならば、君はもう少し考えて行動するべきだと思うのだがね」
「……それは脅迫です、大佐」
「なんとでも言いたまえ。私は手段は選ばん男だよ」
私は溜め息をついた。
彼はルールを超えて我を通す。上官命令の名を借りて。
 
私は不承不承、答えるしかない。
「……善処します」
「今はその返事で我慢しておこう」
笑いを含んだ満足そうな声が、彼の勝ちを伝えてくる。
いま、彼の頬には不敵な笑みが刻まれているに違いない。
結局、彼の思う通りか。
憮然として、私はそっぽを向いた。
 
が、大佐は私の顎に手をかけると、強引に自分の方へと向き直させる。
彼の手が私の顔を覆い、その指が私の唇をなぞる。
彼はその親指で私の下唇をゆるりと撫でながら、今度は蕩けるような甘い囁きを流し込む。
「リザ、死ぬなよ。戦線離脱も許さん。常に私の傍に居ろ。そう地獄の果てまでも、だ」
嗚呼、なんと勝手で、なんと私を酔わせる言葉だろう。
私は返事も出来ずに、見えぬ目で彼を見上げる。
「分かっているだろうね?」
その言葉と共に、大佐の指は私の薄く開いた唇の隙間から口中に押し込まれた。
 
私はその指の傍若無人さに、受け止める囁きに、拘束された腕の痛みに、己の存在を確認する。
そして、視覚以外の感覚が与える全てに安心し、私は大佐に身を委ねた。
 
 
Fin.
 
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【後書きのような物】
やっぱり私、長いのには向いてないかも。バランス悪いですね。
すみません。(毎回謝ってる)
 
『鷹の目』が目を失った時にどうなるか。
ちょっとMっぽくなってしまいましたね、リザさん。
やはり、彼女のポイントは色んな意味で『目』なのだと確認した感じです。
 
さて、こんな美味しいシチュを逃す手はありません。
“おまけ”付きます、大人な皆様、もうしばらくお付き合い下さいます?