Rouge

コツコツと性急にドアをノックする音がする。
付けかけていたピアスを手の中に握りしめ、リザはカツカツとヒールの踵を鳴らしながら玄関へと向かった。着慣れない身体のラインを強調するタイトなドレスのせいで動きにくい事この上ないと、リザは不満顔を隠さない。それもこれも、今ドアの前で待っている男の所為に他ならないのだ。
「どちら様ですか?」
扉の向こうにいるのが誰かは分かっているが、リザは念のために確認を行う。
と、不機嫌な男の声が溜め息混じりの返事を放って寄越した。
「私だ。分かっていて聞くのは止めたまえ」
予想通りの返答に扉を開ければ、不機嫌な顔の上官が黒のスリーピース姿で立っている。
「お約束の時間には、まだ間があると思うのですが」
「迎えにきた」
「ホテルのレストランに行くぐらいで、迷子にはなりません」
嫌みを込めたリザの言葉を軽く笑って受け流し、ロイは扉に手をかけた。
「入れてくれないのかね」
「……どうぞ」
この傍若無人な男には何を言っても無駄だとリザは胸の内で肩を竦め、部屋の中へと男を誘(いざな)った。
 
短い廊下を歩きながら白いマフラーをシュルリと音を立てて引き抜いたロイは、部屋に入ると無造作に近くの椅子の背にそれを放り投げる。そして鏡台に向かうリザを後ろから抱きしめて、その頭頂部に柔らかな口付けを落とした。
「時間があまり無いのですから、邪魔をなさらないで下さい」
先刻留め損なったピアスを付けようとしていたリザは、脇から自分を束縛する男の腕を邪険に振り払う。
「約束の時間にはまだ間がある、といったのは君の方じゃないか」
クツクツと笑うロイは、そう言ってリザの手からピアスを取り上げる。
「地味だな。この前、私が贈ったピアスは何処へやった?」
「少々華美に過ぎますので」
ドレスコードのある店に行くのに、華美もクソもあるものか。何処へやった?」
優しい口調ながらも有無を言わさぬその強引さに、リザは仕方なく側の引き出しを開けてプレゼントされた時から仕舞ったままだった黒い箱を取り出した。
パチンとふたを開ければ、豪奢なダイヤが房状に垂れ下がったピアスがキラキラと部屋の照明に輝いて、その存在を主張する。
こんな派手で重そうなものを耳に付けるのは気が進まない。
そう思うリザの気持ちなどお構いなしに、ロイはさっさと箱の中からピアスを取り出した。
 
「鏡を見たまえ」
リザが視線を上げると、鏡の中には背後からリザを抱くように立つ男がピアスをリザの耳元に当てている。
スーツ姿の男は鏡越しにリザの視線を捉え、悪戯な表情で笑うと綺麗だと唇の動きだけで伝えてみせた。
どうしてこうも気障な仕草が似合うのだろう、リザは内心で赤面しながら無表情を保つ努力をする。触れもしないのに伝わってくる背後の男の高い体温が、まるで伝染するようにリザの体温を上げる。
ロイは後ろから回した手でリザの耳朶に触れると、もう一方の手でピアスをその耳に飾り付けた。
ピアスホールを傷つけないよう繊細に動く指が後れ毛をくすぐり、リザは思わず背筋が痺れる様な感覚を覚えブルリと身震いする。ロイの手を離れたピアスがチリリと耳元で鳴った。
「似合うじゃないか」
満足げにリザを見て、ロイは同様にもう一方のピアスもリザの耳に装着した。
首筋に触れんばかりの位置に男の吐息を感じ、リザは遂に頬が紅くなるのを隠せなくなる。
「君、顔立ちが派手なんだから、この位しなくては勿体無い」
そう言ったロイは、いきなりリザの腰を掴むとくるりと自分の方へ向き直らせた。
シャラリとピアスが跳ね、リザの視界は端正な男の胡散臭い笑顔で埋め尽くされる。
 
「何を!」
自分をもののように扱う身勝手な男の振る舞いに、リザは抗議の声を上げる
「仕上げだ」
リザの抗議も耳に入らぬ様子のロイに、リザは一応の抵抗を見せる。
「もうこれで準備はできています。着替えも化粧も身支度も済んでいますから、離して頂けませんでしょうか?」
「これで? 冗談だろう」
ロイは呆れた口調でリザの顎を左手で掴んだ。
ぐいと力を入れリザの顔を上向かせたロイは、その顎を掴んだままの左手の親指でゆるりと彼女の柔らかな唇をなぞる。
リザの唇の上に載っていたローズベージュの口紅が、ロイの指先に淡い色彩を移した。
「また、こんな地味な色を使って」
そう言うが早いか、ロイは右手でリザの腰を抱き寄せ、あっという間にその唇を奪った。
息も詰まる様な口付けに目を見開くリザを翻弄するように、男の舌はねっとりと彼女の唇を這いチロリと口中を探ると呆気なく離れてしまう。
立ち尽くすリザの顎から手を離し、自分の唇についた口紅を手の甲で拭ったロイは、その色を確認するとポケットから小さなスティックを取り出した。
「ほら、こっちを向いて。口を開けたまえ」
そう言って再びリザの顎に手をかけ上を向かせたマスタングは、右手に持ったリップスティックの蓋を口でくわえて開けるとリザの唇に深紅の色を注す。
ゆっくりと先程の口付けを思い出させる様な手付きで、ロイはリザに口紅を引いていく。
呆然とされるがままのリザの目の前で、口紅のキャップを銜えた半開きのロイの唇が誘うように揺れる。真剣に唇に注がれるロイの視線は伏せた黒い睫毛に彩られ、ふと彼が動いた拍子にオゾン系のトワレが鼻先をかすめた。
 
どうしてこう、無駄にこの男は人を惑わすのだろうか。
くらくらと男の色気に当てられて、リザはロイの口からキャップを奪い取ると深紅色に染められた己の唇をゆっくりと男のそれに押し当てた。
口紅が落ちた所で構わない。どうせ、目の前の男が何度でも塗り直してくれるだろう。
そんなリザの想いを証明するように、彼女の口付けに応えたロイの舌が彼女を貪る。
約束の時間がとっくに過ぎている事など絡み合う二人の脳裏からは消え去り、ただ互いを貪る獣の様な息遣いが部屋を満たし夜に溶けていった。
 
Fin.
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【後書きの様なもの】
昨夜参加させて頂いた絵茶で垂れ流した妄想をSSSに。
19巻p27のロイが万年筆のキャップを銜えてるのがエロい!というネタから。同じ事考えてる人って、意外に多かったんだなぁと脳内ネタ帳から引っ張りだしてみました。
頑張って今回は黒マスタング!黒マスタング難しい〜!のつもりでしたが、S様に攻めマスタング認定をいただき、物凄く納得!というわけで、これは攻めマスタングです。黒への道は細く険しい……(笑)

お気に召しましたなら。

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