cinnamon

さて、どうしたものか。
マスタングは目の前の物体に目をやり考える。
昨夜の分割による計算から考えると、これに手をつけるのは流石に躊躇われる。
しかし、このまま置いておく訳にもいくまい。それこそ、また別な問題が発生しそうだ。
マスタングは、己の顎をつまんでウーンと考える。
はてさて、どうしたものだろうか。
 
この美味そうなタルトタタンを。
 
     *
 
特に甘いものが好きと言う訳でもないマスタングが、この焼き菓子を知ったのは勿論リザが作ってくれたからだった。
初めて食後のデザートとしてリザがこれを持って来た時、マスタングは果たしてそれがデザートなのかと目を疑った。
カラメルとシナモンの甘い香りはするものの、焦げの黒々とついた茶色い塊はどう見ても失敗作にしか見えなかったからだ。
パイを焼くつもりだったのだろう、料理上手なリザにしては珍しい事だと首を傾げながらも、マスタングはリザのプライドを傷つけまいと黙ってそれを口に運んだ。
“食べられない訳じゃないよ、次の成功を期待してるから”とでも慰めてやればいいと思って。
ところが、口に運んだそれは見事にマスタングの予想を裏切った。
 
焦げに見えた部分はギリギリのところでほろ苦さと甘さとを重ね合わせたカリカリのカラメルを形成し、とろけるようにフォークが潜る林檎の飴煮の酸味と甘味を引き締める。と同時に、ザクザクとしたパイ生地の素朴さが、土台として両者をまとめていて、見かけの悪さと裏腹に意外に手の掛かった一品だということを物語っていた。
菓子というのは甘いだけのものだと思い込んでいたマスタングにとって、スウィート&ビターな菓子との出会いはちょっとした驚きだった。
 
どうやらリザは全身全霊を込めて、母からの秘伝のタルトタタンを作り上げたらしい。
あまりの美味さに目を見開くマスタングを見つめるリザの小鼻が得意気にピクピクうごめいたのが、今でも忘れられない。
 
以降、マスタングの好物となったタルトタタンは、時々ホークアイ家の食卓に登場した。
亡き妻の思い出の味を師匠が嫌うわけもなく、男2人がガツガツと甘いものを貪る様を、リザは呆れたように、しかし満足げに見守るのが常だった。
 
    *
 
そして、今朝。
ホークアイ家の客間で目覚めたマスタングは、朝食の準備のされたダイニングで問題のタルトと向かい合っている。
別にタルトに錬金術の暗号が隠されているだとか、リザからのメッセージが秘められているだとか、そんなことは全くない。
問題は、目の前のタルトがきっかり六〇度にカットされているということだった。
 
六〇度。
それは即ちこのホールケーキが六等分された事を意味しており、常識的に考えるならば師匠が二カット、マスタングが二カット、リザが二カットと口にするのが道理である。
だが現実は違った。
昨夜の食後に師匠が一カット、マスタングが一カット、夜食も同じく。
で、今朝。
どうやらシンクの食器を見るに、師匠はお目覚に一カットを消化したらしい。
そして、最後の一切れは今マスタングの目の前に鎮座している。
 
ということは、だ。
もうワンホール、リザがこれを作っていない限り、リザの口にはひとかけらのパイも入っていないことになる。
 
それはよろしくない。
 
こんな美味いものを人の為にだけ作成し、自分は口にしないというのは間違っている。
よしんばリザがそれで良いと思っていたとしても、だ。
リザはこの家の主婦ではあるが、まだ少女なのだ。
何もこんな些細な事まで、我慢する必要はない。
甘いものには目がないのだから、ちゃっかり自分のパイだけ別に確保していて構わない。否、そう在るべきだ。
全く困った娘だ。
我々の前ですら、そんな遠慮をするなんて。
 
マスタングがそんなことを考えていると、ガチャリと玄関の扉が開いた。
どうやらリザが朝市での買い物から帰ってきたらしい。
手のついていないパイが残っているのを見れば、リザはきっとまた『お口に合いませんでしたか?』と不安げな表情を見せるに決まっている。
さて、リザの機嫌を損ねずに、これを彼女に食べさせるには、どうすれば良いか?
そんなことは簡単だ。
マスタングはにこやかな笑顔を作ると、玄関までリザを迎えにでた。
 
    *
 
「お早う、リザ。お帰り」
 
「荷物をかして。重かっただろう。朝食は?まだ?じゃあ一緒に食べようか」
 
「口に合わなかったかって?とんでもない!昨日食べてあんまり美味しかったから」
 
 
 
「君と半分こしようと思って待ってたんだ」
 
 
 
Fin.
 
 ****************
【後書きのようなもの】
どこの青春小説だよ!(汗)って感じですが、とりあえず一時浮上ということでご容赦下さい。
 
若ロイは、些細な事まで真面目に考えているのが良いなと思います。
最後のロイとの会話、及び最後の台詞を聞いて仔リザがどんな表情をしたかは、皆様のご想像にお任せいたします。