盤上のピアス

ホークアイ
 
名前を呼ばれると同時に、滑らかな冷たい指がリザの耳朶に触れた。
おそろしく肉感的な唇が眼前に迫り、あっと思う間もなく器用な指はゾクリとするような感触を残してリザのピアスを奪い去り、反対の耳にも同じように手が伸ばされた。
「こんなものをしていると凍傷になるぞ、気をつけろ」
一年ぶりに会う美しい声の持ち主は奪い取ったピアスを手の中で弄びながら、思わぬ出来事に立ち尽くすリザに言い放つ。
 
はっと我に帰ったリザが敬礼をしようと上げかけた右手を目で制し、美貌の北国の少将は鮮やかに微笑んだ。
「元気そうだな」
「おかげ様で。少将もおかわりなく」
「ちょうど1年ぶりか」
「はい、北方での演習は3年ぶりですが。今回もどうぞ宜しくお願いいたします」
「そんな形式ばった挨拶はいい。それより、ホークアイ
 
逸らす事を許さぬ強い瞳でリザを値踏みするように見つめたオリヴィエ・ミラ・アームストロング少将は、涼しい顔でさらりと爆弾を投下する。
 
「折角来たのだから、この際だ。北方へ転属しろ」
 
思いもよらぬ科白に、流石のリザも驚きのあまり絶句する。
先程からの二人のやり取りを見ていたロイに至っては、半分振り向いたままポカンと口を開けて立ち尽くしている。
言った当の本人はまるで明日の天気の話でもするが如く、平然とリザを見つめていた。
 
     *
 
恒例の北方軍との合同演習の為ブリッグズに到着したロイ達が、到着の報告と宿舎の割り振り、様々な事務事項の伝達を終えた直後の出来事だった。
少将の後ろに控えるマイルズが微かに肩をすくめて見せるのが、リザの目に入る。
強引な勧誘は日常茶飯事と言うことか。
リザが彼のアクションを読み解いている間に、体勢を立て直したロイが口元をひきつらせながら言う。
 
「少将、せっかくのお申し出ですが、ホークアイ中尉は東方軍におきましても重要な……」
「ちょうどいい。軽いポストにしか着けんような役立たずは不要だ」
「私の補佐としましても」
「ほぉ、青二才のマスタングに補佐の必要な仕事が回って来るのか」
挑発的な言葉に、二人の間に目に見えぬ火花が飛び散った。
「おかげ様で忙しくて、今回の演習の日程もなかなか決まらず御迷惑をお掛け致しました」
「ふん、貧乏暇なしとは、よく言ったものだ」
「仕事は出来る者の所に集中する、と申しますので」
「どうせホークアイが、影でお前の分も働いているのだろう」
 
全くこの二人は、顔を合わせる度にこれだ。リザは呆れ顔でそのやり取りを眺める。
マイルズに助けを求めて目線を送れば、長身のイシュヴァールの血を引く男は真意の知れぬサングラス越しに無駄なことだと伝えてくる。
確かに高貴な出自を持った、生まれついての女王に意見出来る者など、そうはいないだろう。
 
「だいたいが少将にはマイルズ少佐という、優秀な補佐官がおられるではないですか」
ため息混じりに、ロイは反撃方法を変えた。
確かにイヤミ合戦よりは建設的かもしれない、有効性を考慮に入れなければの話だが。
「当然だ、私の部下に無能はおらん。」
笑いもせず言い放つアームストロング少将はフンと鼻を鳴らし、リザへと目線を向けた。
「馬鹿を相手にした私が迂闊だった。本人の意志を確認すれば良いだけの話だ」
そう言って彼女は、完全にロイを無視するようにリザへと向き直った。
 
「で、ホークアイ。どうだ? 待遇は勿論今より格段によくしてやるぞ。おまけに、其処にいる男のマヌケ面を毎日見なくて済むようになる」
リザは返答に困って、曖昧に微笑む。
これから2週間、毎日顔を突き合わせる相手方の司令官の機嫌を初日から損ねる訳にはいかない。かと言って、転属はリザの本意ではない。
 
言葉に詰まるリザに、たたみかけるように少将の言葉が続く。
「私がこの国のトップに立つには、多くの優秀な人材が必要だ。下らん旧閥やコネで上にいる馬鹿共を、蹴落とさねばならんからな」
「少将!」
己がボスを窘めるように、マイルズが小さく叫ぶ。
いくら内々とは言え、今の少将の発言は直近の部下としては冷や汗ものだ。
マイルズへの同情を禁じ得ず、リザは苦笑する。
こういう所はロイと少将は非常によく似ているのだ。
ああ、だから顔を突き合わせると喧嘩になるのか。同族嫌悪とは、よく言ったものだ。
 
しかし、北国の女王は部下の注進を歯牙にもかけず、話し続ける。
「だいたいが軍というものは、極端な男社会なのだ。“男”と言うだけで、無能の輩が先に出世していく。我々はデカい胸が付いていると言うだけの理由で、理不尽な目に遭う事もしばしばだ」
そう言いながら、少将の手がリザの胸をむんずと掴んだ。
凍り付くロイとマイルズを気にも留めず、“また、育ったな”と淡々と言う少将を、リザは“さぁ、どうでしょう?”と困った顔で見つめる。
女同士であることだし、会うたびに毎度同じ目に遭っている。
今更悲鳴を上げるのもバカバカしいくらいで、リザにとっては驚く程の事ですらない。
 
むしろ、名門の出である上にこの実力を持ったオリヴィエ・ミラ・アームストロング少将ですら、今の地位に上り詰めるまでに軍内部でジェンダーの壁を感じていた事の方が、リザには驚きだった。
リザとて、士官学校時代からセクハラ紛いの経験は沢山してきた。
それが原因で、軍を辞めた友人だっている。基本的に階級社会なのだから、パワハラにセクハラが合体すれば、悲惨な現場が発生する。
そういう世界なのだと口惜しさを飲み込み、ある意味諦観して黙々と働いてきたと言うのに、少将はその壁すら壊そうと言うのか。
 
「どうだ? ホークアイ。お前の実力なら一司令部の司令官ぐらいまでは行けるだろう」
「そんな。過分な評価です」
目の前で悩ましげな唇が不適な笑みを刻み、リザを挑発する。
「変えたいと思わないか。お前の協力で私は地位を上り詰め、共に変革の芽を作るのだ」
アームストロング少将の眩しい程の力強さに、リザは思わず圧倒される。
 
その時、いつの間にかリザの隣に移動していたロイが、グイとリザの腕を掴んだ。
「少将」
「なんだ」
「少将の深い洞察に基づいた変革の御意志には敬意を覚えますが、私も若輩者なりに軍の、いえ、この国の行く末を考えてここにおります」
「ほぉ」
珍しく真摯な態度で語るロイを胡散臭いものを見る目で見ながらも、アームストロング少将は意外にも彼に先を促した。
その声音に潜む真剣なものを嗅ぎとったのであろうか。
ホークアイ中尉はその私の歩む道に欠かせぬ部下であり、また良きパートナーでもあります。私は彼女が居なくなれば、利き腕をもがれたも同然、いえ、彼女の存在こそが私の力の源です。ホークアイ中尉を高く評価していただくのは有り難いのですが、転属は何卒ご容赦下さい」
 
一瞬の静寂が場に満ちた。
 
次の瞬間、リザは自分の体温が一気に上昇するのを自覚する。顔が熱くて仕方がない。
この男は上官の目の前で、一体何を言い出すのだ。
恥ずかしいこと、この上ない。
穴がなくても掘って埋めてしまいたいくらいだ。
自分ではなく、この男を。
 
同様の思いを抱いたらしいアームストロング少将の艶やかな唇が、リザの耳元に寄せられた。
「お前の上官は、いつも素面で恥ずかしげもなくあんな事を言ってのけるのか? そうだとしたら、別な意味でかなりの阿呆だな」
「はい……申し訳ありません」
否定出来ない。
居たたまれぬ思いで、リザは思わず溜め息をつく。
ロイはバツが悪そうな顔で立ち尽くし、笑いをこらえているのであろうマイルズの肩は細かく震えていた。
 
「その阿呆を見限ってこっちに来るには、今回は良い機会だと思うのだがな」
「せっかくの有り難いお言葉ですが、放り出せば余所にご迷惑をお掛けする事になりますので」
そう言いながら、リザは自分の腕を掴んだロイの手をきっぱりと振り払う。
「同情するぞ、ホークアイ
情けない表情をするロイをニヤニヤ眺め、アームストロング少将は渋面を赤面させるリザの手を取った。
 
「苦労性のお前の責任感に免じて、今回は保留にしておいてやる。気が変わったら何時でも言ってこい」
そんな言葉と共に先ほど奪われたピアスが、リザの手の中に戻される。
「いざという時は、お願いいたします」
半ば社交辞令抜きに答えるリザの肩をポンと一つ叩くと、北の女王は踵を返した。
付き従うマイルズは二人に黙礼して、急いで後を追う。
「明日からの演習、楽しみにしているぞ。まぁ、阿呆に負ける気はせんがな」
肩越しに寄越された科白に残された二人は敬礼を返し、その背を見送った。
 
     *
 
やがて、立ち去る二人の姿が見えなくなった頃。
 
「中尉」
恐る恐るといった体でリザに声を掛けるロイを、彼女は北のブリザードよりも冷たい視線でねめつけた。
凍り付くロイを、更に冷たいリザの声が襲う。
「二度とあんな恥ずかしい真似は為さらないでで下さい」
リザの言葉にシュンと萎れてしまうロイを置いて、リザは宿舎へと歩き出す。
言ってしまえば阿呆な男を調子に乗らせるであろう言葉の続きを、胸の内でそっと呟きながら。
 
“そんな事を言わなくても私は何処にも行かないし、他人に言わなくても私は貴方がそう思ってくれている事は知っていますから”
 
握り締めたピアスがその想いを甘いと窘めるように、リザの掌をチクリと突き刺した。
 
 
 
Fin.
 
 **********
【後書きのようなもの】
お待たせしてしまい、申し訳ありません。
ゆな様のみ、お持ち帰りOKでございます。
 
いただきましたリクエストは「ロイアイ←オリでロイとオリヴィエでリザちゃん争奪戦」です。
空気読めてない気障ロイに砂吐きの北方主従、そしてツンデレリザちゃん。。。もう何と申していいものやら。
すみません。
 
ロイとオリヴィエ様って、微妙に似ている部分を自覚して嫌いあって、でも互いの実力は認めあってそうな気がします。でも、フェミニストのロイは妙な所で譲ろうとして、フェアじゃないとオリヴィエ様が更に怒る、と。
後、オリヴィエ様はスキンシップの一環で、無造作にリザちゃんの乳揉んでそうだと思います。っていうか、揉んでいただきました。(笑)
 
リクエスト、どうも有り難うございました。
少しでもお気に召しましたなら、嬉しく思います。
 
 
追記:トップページにも書きましたが、HN変更いたしました。
   今後とも、よろしくお願い申し上げます。