Silver 1

マスタングは困っていた。
困っているといっても、すごく困っているわけではない。
ちょっと困っていると言うか、戸惑っていると言った方が近い気がする。
重いような、軽いような、複雑な足取りでマスタングは師匠の家に続く道を歩いて行く。
 
錬金術を学ぶ事は、大変だけれど楽しい。
今日は何を教えて貰えるんだろう?そう考えるだけで、自然に心は弾む。
しかし、その前に待ち構えているものを考えると、やっぱり少し困ってしまう。
困ることは何もないと言えば、ないのだけれど。
 
ロイは何も考えないようにぷるぷると頭を振ると、たどり着いた師匠の家の扉をノックした。
と、まるで待ち構えていたように、すぐに扉が開けられた。
開いた扉の隙間から金の髪がのぞいている。
そこには予想通り、口をへの字に結んだ小さな女の子が立っていた。
 
マスタングは小さく溜め息をついて、困った顔で少女を見つめる。
少女は睨むような目つきでマスタングを見つめ返していた。
 
逃げていかなくなったと思ったら、こうだ。
なんで、この子はいつも怖い顔をしているんだろう?
僕は何か悪いことをしたんだろうか?
 
困ったマスタングは、それでも律儀に彼女に挨拶をする。
「こんにちは、リザ」
「こんちは、“マスダンダだん”」
ニコリともせず舌足らずな挨拶をするリザに、マスタングは再び困ってしまう。
 
この子は僕の名前を間違えて覚えているのだろうか? それとも、うまく言えないだけなのだろうか?
言えてないだけなら指摘するのは可哀想だし、間違いにしてはあんまりな間違え方だ。
しかし、彼女のネーミングセンスから考えると、有り得ない間違いではない気もする。
 
マスタングは困りながらパタンと扉を閉め、師匠の書斎に向かう。
リザはものも言わず、マスタングの後をついて来る。
小さな黄色い頭を揺らして、ちょこちょこと彼の後を追う姿は、まるでヒヨコのようだ。
小さな行進は、玄関から書斎のドアの前まで続く。
「失礼します」
そう言って、マスタングが師匠の書斎のドアをノックすると、彼女はトテトテと早歩きでどこかに姿を隠してしまう。
マスタングは、師匠の返事を待ちながら考える。
 
玄関から師匠の書斎までは、僅か1分にも満たない距離だ。
なのに何故、あの子はついて来るんだろう?
何を話す訳でもないと言うのに。
 
師匠の家を訪れる度に繰り返される3つの疑問は、今マスタングが習っているどんな錬金術の問題より難しかった。
マスタングは去っていくリザの背中を見送って、も一度ぷるぷると頭を振ってから師匠の書斎へと足を踏み入れた。
 
     *
 
リザは困っていた。
困っているといっても、すごく困っているわけではない。
ちょっと困っていると言うか、悩んでいると言った方が近い気がする。
待ちかねるような、来て欲しくないような、複雑な気持ちでリザは自分の家の玄関で座り込む。
 
彼に会えることは、ドキドキするけれど嬉しい。
ただ顔を見られるとそう思うだけで、自然に心は弾む。
しかし、その後に待ち構えていることを考えると、やっぱり少し困ってしまう。
困ることは何もないと言えば、ないのだけれど。
 
リザは何も考えないようにぷるぷると頭を振ると、時計を見て時間を確認しようと立ち上がった。
と、まるで計ったかのように、扉がノックされた。
急いで開けた扉の向こうに黒い髪が揺れている。
そこには予想通り、難しい顔をしたリザよりちょっと大きな男の子が立っていた。
 
リザは小さく息をつめて、緊張した顔で“マスダンダ”を見つめる。
“マスダンダ”は固い表情でリザを見つめ返していた。
 
逃げないようにしようと決めたのは、自分だ。
でも、顔を合わせてその後、いったいどうしたらいいんだろう?
緊張と焦れったさがリザの小さな心を鷲掴みにする。
 
困ったリザは、“マスダンダ”のいつもの挨拶を待つ。
「こんにちは、リザ」
「こんちは、“マスダンダだん”」
一生懸命挨拶を返すリザを見る“マスダンダ”の視線に、リザは再び困ってしまう。
 
いつも挨拶をする時、どうしてちゃんと“こんにちは、マスダンダさん”と言えないのだろう?
緊張し過ぎているせいなのは自分でも分かっているのだけれど、恥ずかしくてたまらない。
何時か間違いを叱られるのではないだろうか?
 
リザは困りながらパタンと扉が閉まるのを確認し、“マスダンダ”の背中を見る。
“マスダンダ”はものも言わず、リザの前を歩いて行く。
顔を上げ背筋を伸ばして、しっかりとリザの前を歩く姿は、とても頼もしく見えた。
小さな幸せは、玄関から書斎のドアの前まで続く。
「失礼します」
そう言って、“マスダンダ”がおとうさんの部屋のドアをノックすると、リザは急いで走ってキッチンに逃げ込んだ。
リザは、どきどきする胸を押さえながら考える。
 
玄関からおとうさんの部屋までは、ほんの30歩くらいの短い時間だ。
なのに何故、いつも自分の胸はこんなにあったかくなるんだろう?
“マスダンダ”の背中を見ているだけなのに。
 
“マスダンダ”が訪れる度に繰り返される3つの想いは、今までリザが感じたどんな感情とも似ていなかった。
リザはおとうさんの部屋の扉が閉じられたことを確認して、も一度玄関に向かい庭へと足を踏み出した。
 
 
Fin.
 
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【後書きのようなもの】
仔ロイチビリザ、対になる二人は文章も対で。
 
中途半端ですが

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