One Drop of Magic

修行の合間の夜食を漁ろうとマスタングは鼻歌を歌いながら、勝手知ったる師匠の家のキッチンの扉に手をかけた。
今日は師匠の家に泊まらせてもらったので、思う存分錬金術に没頭出来る。
ご機嫌なマスタングは扉を開けた瞬間、目の前の光景に吃驚する。
なんとキッチンの片隅のスツールに腰掛けて、リザがポロポロと大粒の涙を零していたのだ。
 
「どうした!?リザ!」
また師匠に叱られたのか、誰かに苛められたのか。
驚いて駆け寄るマスタングをポヤンと見上げ、潤んだ瞳のリザは少し鼻を啜ると掠れた声で言った。
マスタング、、さん?」
「何かあったのか?何でも相談に乗るから言ってくれ」
勢い込んで言うマスタングをリザは面食らった表情で暫く見詰め、そしておずおずと言葉を返す。
「何も、ありませんけど、、、」
「遠慮しなくて良い、リザ。そんな泣き顔をして何も無いだなんて、」
マスタングの言葉にリザはそこで漸く得心がいったという顔をして、クスリと濡れた瞳のまま可笑しそうに笑って答えた。
「あの、目薬です」
「へ?」
肩すかしを食らった気分でマスタングは、間の抜けた声を漏らす。
そんなマスタングを見て、リザは少しはにかんで言葉を続ける。
「実は私、目薬を点すのが苦手で、、、上手く目にお薬が入らなくて零れてしまうんです。それで、泣いて見えてるんだと思います」
確かによくよく見てみれば、リザの手には小さな目薬の瓶が握られている。
頬にいく筋も残る涙の痕と見えたものは、狙い外れて役立たずに流れ落ちた薬液の名残らしい。
マスタングは、思わず肩の力が抜ける。
 
「なんだ、私の早合点か。しまったな」
気まずい顔でマスタングが頭を掻くと、リザはぷるぷると首を横に振った。
「いえ、あの、心配していただいてありがとうございます」
嬉しそうに笑ったリザは、マスタングをじっと見て言葉を続けた。
「ところで、マスタングさん」
「ん、なんだい?」
リザは笑顔を引っ込めて、真剣な顔でマスタングに聞いてきた。
「何か目薬を上手に点すコツってあります?」
「コツ、ねぇ。。。」
マスタングは勘違いの挽回するべく、顎に手を当てちょっと考える。
確かに目薬を上手に点すのは、意外と難しい。
 
「瞳の上に点眼しようとするから、目に液体が落ちてくる感覚が怖いんじゃないかな?」
マスタングの言葉に、リザは大きな目を見開いて、感心したように頷いた。
「だったら、白目の上に点眼すればいい」
「白目、ですか?」
リザは吃驚した顔でマスタングの言葉に小首をかしげた。
「でも、どうやってすればいいんでしょう」
「こう、あかんべぇをする要領で下瞼を押さえてだな、眼球を上方向に回転させて」
「えと、えっと、あの、、」
マスタングの身振り手振りを交えた分かりにくい説明に、リザは混乱したように目を白黒させている。
こういう事はなかなか言葉で説明するのが難しい。実際にやってみせた方が案外すぐに理解出来たりするものだ。
マスタングはそう考えて、リザに手を差し出した。
「私がやってあげるから、リザ、目薬を貸してご覧。それから、ちょっと立ってくれるかな?」
リザは大人しく手の中の目薬の小瓶をマスタングに差し出し、言われるままに立ち上がった。
 
瓶の中の薬液は1/3ほどなくなっていて、マスタングは思わず苦笑する。
これだけ盛大に零したら、そりゃあ泣いているように見えるのも当然だ。
と、じっと不安そうにマスタングを見上げるリザとマスタングの目があった。
「そんなに心配しなくても、大丈夫だよ?」
苦笑するマスタングに、リザは恥ずかしそうに微笑んだ。
「自分で目薬もさせないなんて、子供みたいで恥ずかしいです」
マスタングは笑って、リザの緊張をほぐそうと軽い調子でこう言った。
「怖かったら目を閉じていればいい。少し下瞼をめくるだけだから、痛くはないよ」
その言葉にそっと瞳を閉じた彼女の顎に手をかけて、マスタングは少しリザに上を向かせる。
上からリザの顔を覗き込むと、目の前で震える長い金の睫が彼女の緊張を物語っていた。
可愛いなぁ。
マスタングがそう思った、その瞬間。
突如、彼の脳裏に稲妻のごとく一つの考えが閃いた。
 
ひょっとして、これは、、、
世に言う“キス待ち顔”と言うものではないだろうか!?
 
マスタングは思わぬ自分の思考回路に愕然とし、急いでその考えを振り払おうとする。
いやいや、リザは師匠のお嬢さんだし、歳だって随分違うし、言ってみれば妹みたいな存在だし、特に女の子として意識する間柄でもないのに、私はいったい何を考えてしまっているんだ?
マスタングは小さく頭を横に振り、邪念を追い払おうとする
そうだ、目薬だ。目薬。
このまま彼女に目薬を点してやれば、それでおしまい。簡単な事じゃないか。
マスタングはなんとか軌道修正しようと慌てて右手に目薬を持ったまま、もう一方の手をリザの頬に添え、親指を彼女の右目の下瞼に当てた。
 
目薬を点すだけだ。
そう思う心とは裏腹に彼の感覚器官はその機能をフル回転し、彼の脳に思いもかけぬ情報を明瞭に転送する。
ヒヤリと冷たい少女の頬は上等の陶磁器のように白く滑らかで、マスタングの手のひらに吸いつくように馴染んでいた。
長い睫は小蝶の羽ばたきのようにふるふると彼の親指を擽(くすぐ)り、薄く開いた薄桃色の唇が風におののく薔薇の蕾のごとく震えている。
瞳を閉じたその姿は妙に彼女を大人びて見せ、マスタングは思わず目を見張る。
 
そこにいるのは、彼のよく知った師匠の娘である少女、リザ・ホークアイではなかった。
見たことのない一人の女が、マスタングの次の行動を待ちわびて、頬を染めて立ち尽くしている。
ゴクリ
思わず息をのんだマスタングは彼女の頬に添えた手を滑らせ、小さなその顔を手のひらに包み込んだ。
そっとマスタングの顔が彼女の顔に近付いた、その時。
 
マスタングさん?」
 
あまりの間の長さに耐えかねたリザが、目を閉じたままマスタングの名を呼んだ。
ハッと我に返ったマスタングは、大慌てでリザの顔から手を離し、バクバクと波打つ心臓を押さえて呆然とした。
「お顔が赤いですけど、どうかされました?」
目を開けて、不思議そうにマスタングを見る頬を染めたリザの無邪気な視線を受け止められず、マスタングは俯いて自問する。
私は今、何をしようとした?
自分で自分が理解出来ず、マスタングはリザの言葉も耳に入らず、手に持った目薬をリザに押し付けるようにつき返した。
「すまない!リザ」
そう言い残してマスタングは、訳が分からないままポカンと立ち尽くすリザに背を向け、逃げるようにキッチンを後にしたのだった。
 
マスタングは階段を駆け上がり、客間のドアをバタンと閉めて頭を抱えた。
ああ、くそ。
夜食はとり損ねたし、この分じゃあ、今夜は錬金術に集中出来ない事は間違いない。
何より明朝、リザと顔を合わせた時に何と言い訳したものだろう。
全く寄りによって、何故あんなバカな妄想を覚えたのだろう?自分は、よほど疲れているのだろうか?
マスタングは途方に暮れ、ガシガシと頭を掻きむしり低い呻き声を上げた。
 
自分の心の奥深くに眠る仄かな想いにすら気付かぬ錬金術バカな男は、知らなかった。
彼が2階で煩悶しているその時に、階下のキッチンで少女が彼を想い、彼の手が触れた自分の頬をそっと手のひらで包み込んでいた事を。
 
      *
 
そして彼は、そう遠くない日に気付く事となる。
人を想う気持ちが、どれほど少女を大人びて美しく見せるかという事を。
 
彼がその事実を知るのは、まだしばらく先のことだった。
そう、その少女の背に刻まれた火蜥蜴を見るその日まで。
彼はその真実に気付かない。
 
Fin.
 
 **********
【後書きのようなもの】
30万回転御礼フリー第二弾でした。(配布期間は終了いたしました)
若ロイ仔リザはウチのサイトの場合アイ→ロイばっかりで、いつもリザちゃんがお兄さんマスタングにワタワタさせられていますんで、今回は逆バージョンを目指してみました。
ブコメ風味を目指した筈が、オチが。。。すみません。甘いだけで終わらせるつもりだったんですけど、気付いたらこうなってました。まぁ、これもIA風味という事でご容赦下さい。
  
辺境Blogに遊びに来て下さって、ありがとうございます。心からのお礼と愛を込めて。青井拝
 
お気に召しましたなら、お願い致します。

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