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1.ドレス

「やっほい、リザ。今日は早いのね」
 射撃訓練場に入ってきたリザを見つけたレベッカは、指に付いた黒い機械油を擦りながら、銃のメンテナンスの手を休めて顔を上げた。外出から戻った足で直接射撃訓練場に来たリザは、親友に向かってひらひらと手を振ってみせる。
「来られる時に来ないと、時間が取れないから。あなたこそ早いわね」
「まぁね。ところで、今日はおサボリ大佐殿のお守りは終わったの?」
「さっきセントラル行きの汽車に放り込んで、出張に送り出して来たところよ。これで明後日までは、一息つけるわ」
 大袈裟な溜め息をついてみせるリザの表情に、レベッカは大きな口を開けて笑った。
「あんたね、『イシュヴァールの英雄』なんて言われてる出世頭の色男の副官やってんだから、文句言ったら罰が当たるわよ?」
「止してよ」
 リザは莫迦莫迦しいと言わんばかりに、レベッカの言葉に大きく首を横に振った。
確かにレベッカの言う通り、彼女が副官を務めるあの男は、端から見ればそんな評価を与えられてもおかしくない人物だ。彼は士官学校出身のエリート組だし、イシュヴァールの内乱において若くして戦功を立て出世を重ね、国家錬金術師としての実力も兼ね備えている。二十代で国軍大佐だなんて、まったく異例過ぎるくらいだ。色男かどうかは人の好みもあるだろうが、女性にもてることもまた事実である。ただ、それが彼の見た目のせいなのか地位のせいであるのかは、リザの与り知らぬことである。
 しかし、他人の評価がどうであれ、リザにとってはひどいサボり癖をもった頭の痛い上官である事は動かしようのない事実だ。
「冗談は止めてよ、レベッカ。あの人のサボリ癖、あなたも知ってるでしょう?」
「あんたから、イヤと言うほど愚痴は聞かせてもらってるけどね」
 そう言って茶化すレベッカを睨む素振りで、リザは再び溜め息をついた。
「まったく、今日だって出張の前に仕上げる予定の書類を放り出して、朝から国立中央図書館錬金術の資料閲覧を請求する電話ばかりかけてたのよ? 信じられる?」
 ウンザリだと言わんばかりのリザの愚痴をいつもの事と聞き流し、愛用のライフルの組み上げを再開したレベッカは、にやりと笑って身を乗り出した。
「諦めなさいな、今更でしょ? ところで、話は変わるんだけど。リザ、ビッグニュースよ。聞きたい?」
「何? 勿体ぶらないでよ」
 もって回ったレベッカの口調に、リザは上官への怒りを露わにしたまま問い返す。そんなリザに向かい、レベッカは胸を張って取って置きのネタを披露してみせた。
「あのね、エイダが結婚するんだって。あんたもあたしも式に招待されるわよ」
「え! 本当!?」
 リザは驚いてロイへの不満をいったん脇に避け、ツカツカとレベッカの元へ歩み寄った。レベッカは、彼女の驚きを満足そうにニヤニヤと眺め、ライフルの最後のパーツをはめ込んだ。リザは彼女の隣のスツールにさっと腰掛けると、作業台の上で指を組んで、しみじみと言った。
「あのエイダがねぇ……式はいつ? 相手は?」
 士官学校から同期として共に歩んできた友人の顔を思い浮かべ矢継ぎ早に尋ねるリザに、レベッカは組み上がったライフルの遊底を操作し、動作確認をしながら答える。
「式は三カ月後、駅の近くのレストランを借り切って人前式をするって言ってたわ。相手は軍法会議所勤務の二十八歳、士官学校出身のバリバリのキャリア組よ。何でも彼のセントラル転属が決まって、一緒に来てほしいってプロポーズされたんだって」
「そうなの」
 二十八歳……自分の上官と同い年だ。ぱっと胸をよぎった考えと微かな引っかかりをリザは黙殺し、レベッカの話の続きを待つ。
「彼女、軍は辞めて、しばらくは家庭に入るって言ってたわよ。春の移動で彼女にも転属の話は出てたから、思い切って退官する決心したんだって。確かに新婚早々別居じゃあ、洒落にもならないものね」
 完成した銃を置き、レベッカはリザの顔を覗き込む。
「もちろん出席するでしょう? リザ」
「ええ。三カ月後なら、今から有休申請しておけば大丈夫だと思うわ」
「でね、お祝いの事なんだけど。私達二人合わせて、ちょっと豪華なもの贈らない? ちょっと贅沢で普段買わないようなもの」
「良いわね、考えておくわ」
 リザはレベッカのライフルに視線をやりながら、ふっと思い出したように言う。
「ところで、レベッカ。あなたの方はどうなってるのよ。まだ別れてない?」
 昨年の夏頃から、レベッカは銀行に勤める真面目な男と付き合っていることをリザは聞かされていた。いつもはすぐに破局を迎えるレベッカが、今回は珍しく一年近く男との付き合いを続かせているので、リザは会うたびに彼女をからかっている。
「うちは変わりなしよ。彼も銀行業務が忙しくて残業ばかり。あたしもこんな感じだから、どうにもね。でも、ちゃんとデートはしてるわよ?」
「せっかく珍しく長続きしてるんだから、頑張りなさいよ」
「もう! 人聞きが悪いわね。大きなお世話よ」
 そう言いながらも、レベッカは少し表情を弛ませる。愛する者の話をする時、自ずとその気持ちは表情に溢れるものなのかもしれない。
 リザはふと考える。ならば、自分はどうなのだろう? あの男の事を語る時、自分はどんな顔をしているのだろうか? そう考えを巡らせかけたリザは、自分で自分の莫迦な疑問に苦笑する。考えるまでもない。今の我々は上官と部下なのだ。仕事をしない上官に眉間に皺を寄せて愚痴をこぼし、傍にいなくて一息つけると言い放つほどに。そこに存在する想いとは、自分でも名前の付けられぬ複雑怪奇な怪物のようだ。不用意に触れれば、牙をむき噛み付いてくる。だからリザは深く考えないようにして、彼の部下として振る舞い続ける。
 
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