SSS集 12
「神を信じておいでですか?」
作戦の合間、瓦礫の陰で発せられた私の他愛もない問いを、大佐は鼻で笑った。
「祈れば救ってくれる便利な存在としての神なら、Noだ。多少の精神安定剤としての神なら、Yesと言ってもいいだろう」
「何と申しますか、不遜ですね」
「部下が目の前ではらわたをはみ出させて転がっている状況で、それを聞く君の方が不遜だろう」
「そんな状況ですから、お聞きしてみたかっただけです」
救えなかった男の亡骸をガラス玉のような眼で見下ろし、大佐は砂漠の空気よりも乾いた笑いで答えた。
「神が銃弾を防いでくれるなら、信じてみる気にもなるがね。喜ぶべきか悲しむべきか、今の私が信じられるのは君の腕前と自身の錬金術だけだ」
そう言って戦場を見据える背中の暗さは、本当は彼が信じられる神を欲しているように見え、私は無力な自分の手の中のライフルを握りしめ、ただ空を仰いだ。
天国など内包するはずもない無限の青空の眩しさが痛い。
Apple Tea
「眠れないのですか?」
夜中にキッチンに立つロイの背を、彼女の声が打った。
「すまない、君まで起こしてしまったか」
「気配に敏感なのはお互い様です。 また、何か悪い夢でも?」
「いや、単に眠れないだけだ」
ロイの言葉にリザは少し笑うと、彼の手元から珈琲豆を取り上げた。
「そんな物を飲まれては余計に眠れなくなりますよ?」
「眠れないならカフェインを摂取して、いっそ起きているのも良いかと思ったんだが」
「莫迦ですか、貴方」
リザはそう言って何かを思いついたように、キッチンの片隅に置かれた林檎を手に取った。
「では、眠れない夜に至高のアップルティーを淹れて差し上げましょう」
器用にくるくると林檎の皮をむき出すリザの手元を眩しく見つめ、ロイは尋ねる。
「至高のアップルティー?」
「ええ、林檎の皮を煮詰めたお湯で紅茶を淹れるのです。香りが綺麗に立って、林檎そのものの味わいをきちんと紅茶の中に主張出来るのです」
リザの講釈にロイは感心したように目を見張った。
「まさに君は錬金術師だな」
「貴方に言われても、からかわれているようにしか思えません」
「いや、純粋に感心している」
そんな会話を交わしている内に、リザの手はすっかり林檎をむいてコンロに鍋を用意してしまった。ロイは彼女の手際を愛でながら、残った実を眺めて言った。
「実の方は」
「もちろん」
「タルトタタンか」
二人は顔を見合わせて微笑んだ。ゆっくりとキッチンに広がっていく林檎の甘酸っぱい香りが、郷愁に似た過去への想いを二人にもたらす。彼らは眠れぬ夜にそっと寄り添い、穏やかな静寂を噛み締める。
(イベント時、ポスカで配布させていただいたSSS。至高のアップルティーの作り方は、紅茶好きの友人に教えて貰いました。長めに抽出すると美味しいです)
platform
プラットフォームの端で、黒いコートの襟を立てているロイの姿がリザの目に入った。特に背が高いわけでも奇抜な格好をしているわけでもないのに、不思議と遠目からでもよく目立つ人だと、彼女は白い息を吐きながら彼の姿をじっと見つめる。
彼はまだリザの存在に気付いていない。ただぼんやりと人待ち顔で、改札に流れ込んでくる人の波を見るともなく見ているらしい。彼女の前ではいつも毅然とした上官の顔を崩すことのない男が、無防備にぽうっと空を眺めている様は、リザに何とも言えない不思議な感慨をもたらす。
もしも彼らがただの男と女で、これがセントラルへの出張の待ち合わせなどではなくて、例えばバカンスの小旅行の出発点だったなら、彼の表情はリザを見つけた瞬間きっと穏やかな笑顔に変化するのだろう。しかし現実には、彼はリザを見つけた瞬間いつもの上官の顔を取り戻し、二人は顔も見合わせずただ同じコンパートメントの椅子に並んで座り、仕事の話以外は言葉も交わさず汽車に揺られていくことだろう。
リザはもう少しだけ上官の顔を忘れた男の姿を見つめていたくて、そっとその場に立ち止まり、約束の時間の五分前を告げる鐘の音を待った。
sand beige’
鉄条網に囲まれたイシュヴァール閉鎖地区を遠く臨み、ロイは砂礫の大地を軍靴の元に踏みしめた。熱い太陽に照らされながら、彼は体に馴染んだ黒い軍用コートを脱ぎ捨てる。
傍らに立つリザは無言でそれを受け取ると、代わりにベージュのフィールドコートを彼に差し出した。既に同じフィールドコートを着込んだリザは、短い髪を砂漠の風に揺らしている。
まるで時が戻ったかのようだ。ロイはそんな彼女の姿に過去を重ねながら、フードの付いたフィールドコートにあの内乱以来久しぶりに袖を通し、砂漠と同じ色に己を染める。そんな彼の耳に、風に負けぬ凛とした彼女の声が届く。
「准将、そろそろお戻りを。ここは狙撃を防ぐには、あまりに不適当です。暗殺の危機が常にあることをお忘れにならないで下さい」
「分かっている」
そう、決して時は戻らないのだ。ロイは人生の半分以上を共に過ごした彼女に頷き、車の方へと踵を返す。強い風に煽られた淡いベージュが、青い空に向かって大きく翻った。
かつて、このベージュは戦闘の、血に染まる為の色だった。彼らはこれを、この地を平和に染める色にしていかねばならないのだ。熱い風に吹かれ、ロイはもう一度だけ振り向いて、遠く半ば砂に埋もれた廃墟と瓦礫の山を臨む。この手はまだ遠く彼の地には届かない。
(これもまた、ひとつのSeries of “Color”)
Night and day
ああ、またこの人は性懲りもなく。
リザは胸の内で溜め息をつくと、仮眠室のサイドテーブルの上から滑り落ちたであろう大量の紙の束を見下ろした。
仮眠室とは本来眠る為だけに用意された場所であるのだから、ここに入ったなら大人しく眠ってしまえばいいものを、彼にはそれが出来ないらしい。いつもの通り、構築式やわけの分からない数式を所狭しと描き散らした紙を辺りにまき散らし、ロイは万年筆を枕元に置いたまま紙に埋もれて幸福そうに眠っている。
「眠る間際が最も閃きがおりてくるものなんだ」
そういつも彼は言い訳をするが、数式に埋もれて眠る研究者としての彼の姿は、いくつかの選び得た『もしも』を示唆するようで、リザはいつも微かに胸がざわめくのを感じてしまう。
リザは自分の感傷に苦笑し、床に散らばった紙を拾い集め机上に揃える。
研究者の道ではなく、軍人として生きる道を選んだのは彼自身であるのだから、そこに『もしも』は有り得ない。ただ、彼に火蜥蜴の呪縛を与えたのはリザであり、そこに己の感傷の種が潜んでいることくらい彼女自身にも分かっている。
だから、彼女はそんな考えを持っていることなどおくびにも出さず、ただ生涯をかけて、せめてこの安らかなひとときを守りたいと思うのだ。彼の背中を守るのと同様に。
彼女はロイの枕元に転がる万年筆をコトリと机上に置くと、そっと仮眠室の扉を閉めて暗い廊下を歩き出す。
軍人として仮初めの休息を取る彼の副官として、彼の眠りを守る為に。
本当の理由は心の奥底に隠したまま。
(インテのプチ・オンリーのペーパーラリー用SSS。深夜二時、睡魔と戦いながら書いた事も一つの思い出。)