08.足枷【02.At Central】

君と言う名の枷は 私を現実に繋ぎ止める
 
           *
 
「出来るだけ早く帰ってくるつもりだけど、先に寝ててくれて構わないよ、グレイシア」
「いいのよ、ゆっくりして来て。マスタングさんと会うの、久しぶりなんでしょ?」
そう言って、甲斐甲斐しくヒューズの世話を焼くグレイシアは微笑む。
そんな2人を見ながら、ロイはコートを羽織った。
「すまない、グレイシア。こんな時間に押し掛けてしまって」
「気にしないで。私もお客様を迎えるのは久しぶりで、とても楽しかったから」
そう笑顔で返すグレイシアは、結婚式の時よりも少しふっくらしたようだった。
 
「そう言ってもらえると、助かるよ」
「こっちこそゆっくりしてもらえなくて、ごめんなさい。代わりに、この人引っ張り回してくれて構わないから」
「おいおい、グレイシア〜。勘弁してくれよ〜」
笑いながらヒューズは、幸福をかみしめるようにグレイシアを抱きしめる。
「行ってくるよ」
「気をつけて」
「君こそ、身体を冷やしちゃダメだぞ」
グレイシアのストールを巻き直してやりながら、ヒューズは彼女に口付けた。
絵に描いた様な温かい家庭を微笑ましく見守りながら、ロイは先にヒューズ邸の玄関を出た。
 
「おお、すまん、すまん」
後から急いで追いかけてくるヒューズに、ロイはすまなそうな顔を向ける。
「悪かったな」
「気にするな。セントラルに来る時は寄れ、って言ったのは俺の方だ」
人懐っこい笑顔でヒューズは言う。
「しかし、2人ともすっかり夫婦らしくなったな」
「おお、そう言ってくれると嬉しいぞ。後は子供だな、グレイシア似の女の子が良いなぁ」
だらしなく崩れる相好を隠そうともしないヒューズに、ロイはげんなりした顔を向ける。
「そしてお前の女房自慢が、親バカ自慢に変わるのか」
「大丈夫だ、両方自慢してやる」
更にイヤな顔をしてみせるロイを、ヒューズは笑った。
 
夜道をぶらぶらと歩く男2人の後を、丸い月がついてくる。
「今回は何の用だったんだ?」
軽く尋ねるヒューズに、ロイは苦笑で答える。
「イシュヴァールの後片付けで、ちょっとな」
「ああ、まだ終わっていなかったんだな」
ヒューズは立ち止まり、遠い眼をした。
そんなヒューズに、ロイはイーストシティとセントラルの距離を思う。
ロイの赴任したイーストシティと違い、セントラルではイシュヴァールの内乱は、既に過去の話になりつつあるのだろう。
仕方の無い事だと分かってはいるが、釈然としない部分はどうしてもある。
2人の間にある時間軸のズレが、なんとも気まずい沈黙を生む。
 
月を見上げて、ヒューズは呟く。
「もちろん、忘れた訳じゃないぜ。いや、忘れられるものか」
「ああ、分かっている」
イシュヴァールの内乱が終わって一年。
2人の道は、今や全く異なったものとなっている。
セントラルで軍法会議所勤務となったヒューズは、ある意味一線を離れた形になった。
そして、ロイは東方司令部でイシュヴァール内乱の名残を片付け続けている。
 
「あの土地に残るのは、辛くねぇか? ロイよ」
「まぁな。でも、離れたからといって忘れられる訳でもないだろう? ヒューズ」
「そりゃ、そうだ」
苦笑で返すヒューズは、月光の影で表情を隠す。
「悪夢に飛び起きて、グレイシアを脅かしちまった事も数知れず、だ」
過去か現在かの違いだけで、イシュヴァール内乱に参加したものは、皆まだその悪夢に捕らえられたままだ。
「私もだ。起こす人間はいないがな」
ロイの軽口に、2人の間の雲が切れ目を見せる。
 
ヒューズは再び笑顔を見せて、ロイに言った。
「近くに美味いウィスキーを飲ませる店がある。どうだ?」
「いいな」
2人は再び月に背を向け、足早に夜道を歩いて行った。
 
     *
 
ヒューズ邸からさほど遠くはない地下のバーに、2人は腰を落ち着けた。
薄暗いバーのカウンターでグラスを掲げると、カラリと心地良い音をたて、グラスの中の氷が揺れた。
「こうやって飲むのも、お前の結婚式以来か?」
「いや、その後、俺が監査の帰りに、ほら去年の秋」
「ああ、あれ以来か」
「そうなるな」
グラスを片手に、2人は前回の邂逅を思い出す。
 
ヒューズはカウンターに肘をついてカラカラと氷を揺らしながら、おもむろに切り出した。
「で、ロイちゃん。俺に話さなきゃならんことがあるだろう?」
「ロイちゃん言うな! 気色悪い」
「誤摩化すなよ、水臭いな。俺が知らないとでも思ってるのか? 今のお前の副官が誰か」
ロイはバツの悪そうな顔をして、グラスの中身を煽ると大きく息をついた。
リザを副官にした事をヒューズに話すつもりではいたのだが、どうにも切り出せなかったのだ。
溜め息混じりの吐息からは、モルトの香りが漂う。
 
「隠していた訳じゃない」
「分かってるよ。だからわざわざ来たんだろう?俺んち」
「何でもお見通しか」
そう言って笑うロイの顔を、ヒューズは覗き込んだ。
「で、どうなんだ?」
「何がだ」
「鷹の目ちゃんだよ! わざわざ副官にしたんだろ?その後の進展は、どうなんだよ」
興味津々といった体のヒューズに、ロイは更に笑って答える。
あの戦場で、リザへの想いを確認させたのはヒューズだった。
ロイは改めて現状をなんと話そうか考え、結局ありのままを語る事にする。
 
「進展って、お前が期待するような事は何にもないぞ。仕事が早くて有能で、副官としては申し分ない」
ロイの返答に、ヒューズは頭を抱える。
「お前なぁ、なんだその色気の欠片もない返事は。俺の有り難〜い忠告を忘れたのか?」
「忘れてはいない。彼女は確かに私の“枷”だ。そして、それこそが、私の彼女への償いでもある」
真面目な顔で答えるロイの言葉に、ヒューズの顔には『理解不能』の文字が浮かぶ。
それはそうだろう、言っていることが一見繋がっていないのだから。
「副官にして、常に傍らにいて欲しいってんじゃないのか」
「まぁ、正直それも無くはないが、違う」
ロイはグラスを置いて、答える。
 
「私は彼女を任官する時に、こう言ったんだ。『私の背中を任せる。私が道を踏み外したなら、その手で私を撃ち殺せ』とな」
「!」
ヒューズは絶句した。
「彼女の父の錬金術を受け継いだ私が、間違った方向に行ったなら」
「それを糺す義務と権利が、鷹の目ちゃんにはあるってわけか」
ロイは頷く。
 
「勿論、大総統の椅子を狙っている事も、その訳も話してある。私の生殺与奪権は彼女の手の中だ」
「それがお前の償いか。惚れてんじゃなかったのかよ」
勿論それだけではないが、あの内乱の後リザの背を焼き、彼女の痛い程の懺悔の想いを聞いた事など話せる訳がない。
ロイは曖昧に微笑んだ。
「今でも惚れてるさ。でもな、彼女自身もイシュヴァールの傷に喘ぎ苦しみ、次世代の幸福の為に己が血の海を渡る覚悟でいる。そんな彼女を惚れたはれたで扱う方が失礼だろう?」
「ホンッと、似た者同士だな、お前ら」
ヒューズは呆れたように、溜め息混じりの揶揄を挟む。
 
「そして、もう一つ。ヒューズ、お前がネズミ算だって言ったあれ、覚えてるか?」
「アレだろ? 下の者が下の者を守り、ってヤツ」
「ああ。彼女はそのネズミ算の最初の庇護者だ。命に代えても、私は彼女を守る。私の信念の為にも、彼女への想いの為にも」
自分でも驚く程、正直に言葉が出てくる。
ロイは言葉にして口に出す事によって、改めて自分の気持ちを再確認していた。
命を預け、信念を預け、彼女の命を預かること。
それがロイの選んだ、ロイなりのリザへの誠意だった。
「屈折してんな〜、もっと素直になりゃ良いのに」
手に負えないといった風情で、ヒューズはグラスを口に運ぶ。
自分でもそう思うのだが、とロイは笑った。
 
バーテンダーを呼び、バーボンのお代わりを注文するロイに、ヒューズは諦めたように言う。
「お前がそこまでの覚悟で彼女を傍に置くなら、俺は何も言えねぇよ。でも、ロイ」
「何だ?」
「お前、一生自分の気持ちに蓋をしていく積もりなのか」
「ああ」
莫迦だなぁ、お前。ホント莫迦だ」
莫迦で結構」
ロイは満足げな顔を見ながら、ヒューズはロイのお代わりを持ってきたバーテンダーに自分も追加の注文をかける。
「あの時のお前の言葉への、私なりの答えだ」
昔と全く同じ言葉をヒューズに返し、ロイはグラスを手に取った。
2人は新たな杯を掲げ、再度の乾杯をする。
 
「素直になれない莫迦に」
「女房自慢の莫迦に」
 
「どっちも死ななきゃ治らんだろうな」
そう言って笑いながら、男達はそれぞれの“枷”に想いを馳せた。
 
 
 
 
 
 
 
To be Continued...
 
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【後書きの様なもの】
ロイアイの日に間に合いませんでした。orz
最近、本誌ネタバレを避けるのが大変です。
 
増田とリザさんのあくまでも上司部下の関係にある理由、そんなものを考えてみました。
ストイックなのも、この2人の魅力かと。
 
続きは、足枷【03.At EastCity】にて。次回はリザさん登場予定です。