08.足枷【01.In Ishval】

自由を奪う枷がある だからこそ私は強くなる
 
           *
 
空には満天の星が、血生臭い地上を見下ろしていた。
砂漠地帯であるイシュヴァールは、昼夜の温度差が激しい。
野営の焚き火の傍らで、兵士たちは温もりと暫しの休息を貪っていた。
ロイはその輪には加わらず、一人テントの中で簡易ベッドに仰向けになり、空を見つめていた。
軍服からこぼれた砂が、ベッドの上に散らばっている。
 
不意にロイが跳ね起き、それとほぼ同じにテントの入口が開けられる。
一瞬身構えたロイの肩から力が抜け、彼は再びベッドに勢いをつけて転がった。
「なんだ、ヒューズか」
天井を見つめたまま、ロイは独り言のように言う。
開いたテントの入口には、ひび割れた眼鏡を律儀にかけ続ける彼の僚友の姿があった。
 
「なんだはねぇだろう。折角、人が酒持って来てやったのに」
ウィスキーのボトルを掲げるヒューズに、ロイは上半身を起こして気のない視線を送る。
「また、何処から調達して来たんだ?そんなもの」
蛇の道は蛇、って言うだろ。堅いこと言うな」
笑いながら入ってきたヒューズは、テントに充満するアルコールの臭いに気付き眉をしかめた。
 
「って、お前どんだけ飲んだ?」
答えの代わりに、ベッドに転がった尻ポケットに丁度入るサイズの錫のフラスコを降ってみせるロイに、疑わし気な視線を寄せながらもヒューズはそれ以上は何も問おうとはしなかった。
戦闘の合間に酒に逃げる事など、誰でもやっている。
それで使い物にならなくなって死ぬなら、それまでの人間だというだけだ。
そこまで心配する必要のない酒量なら、目くじらを立てることもあるまい。
この前の死んだ魚のような目をしていた時に比べれば、酒を飲もうという気になるだけ随分マシと思ってしまうのは、自分もどこかが麻痺している証拠か。
胸の内で苦笑しながらヒューズは黙って傍らの机の上にあったステンレスのカップを取り上げ、ロイに向かって放って寄越す。
面倒くさそうにそれを受けとるロイに、ヒューズはロイの隣に座って酒瓶を差し出した。
 
「なんだかんだ言って、飲むのか」
「誰も要らないとは言ってない」
そんな会話と共に、ヒューズは安いウィスキーをロイのカップに注ぎ入れる。
そして、自分のカップにも酒を注ぐと、カップを目の高さまで持ち上げ乾杯の仕草をする。
「麗しのグレイシアに」
のろけるな」
「羨ましいか」
勢いよく色気のないカップを乾杯の形にぶつけると、2人はろくに味わいもせず、アルコールを胃の腑へと流し込んだ。
 
           *
  
「明日は?」
「ダリハ地区だ」
「追い込み、かかってきたな」
「ああ」
淡々と酒を酌み交わし、二人はぽつぽつと断片的な会話を交わす。
管轄が違うが故の情報交換は、二人の日課のようになっていた。
 
「終わるか」
「おそらく、数日中には」
内乱の終わりが近いことは、誰の目にも明らかだった。
異常とも思えるせん滅作戦は大地を大量の血で染めあげ、ようやくその終局を迎えようとしていた。
「帰れるな」
「まだ少しかかるがな」
そうロイが答えると、途端にヒューズの相好が崩れた。
 
「あ〜!やっと愛しのグレイシアに会える。ロイ、その内お前にも会わせてやるよ。美人で気立てが良くて、笑顔が最高なんだ。あ、惚れるなよ。無駄だ」
「そこまで野暮じゃない」
苦笑するロイの返答もろくに聞かず、ヒューズは話し続ける。
「結婚式には呼んでやるから来いよな。花婿の介添え、やらせてやろうか?」
「先走り過ぎだ、断られたらどうする気だ?」
「お前なぁ、不吉な事言うヤツに飲ませる酒はねぇぞ」
そう言うが早いか、ヒューズはロイのカップを取り上げると、一気に中身を飲み干した。
「お前なぁ、子供じゃないんだから」
「うるせぇ」
ヒューズは空になったロイのカップを放り出すと、自分に新たな一杯を用意する。
ロイは苦笑いで自分のカップを拾うと、手酌で酒を注ぐ。
そんなロイを見ながら、ヒューズはおもむろに生真面目な表情を作って言った。
 
「ところで、ロイ。お前、鷹の目嬢とどういう関係なんだ?」
あまりに静かないきなりの問い掛けに、ロイの動きが止まった。
答えたくない、あるいは、答えられないのか。
手の内のぬるい酒が仄かな香りを漂わせ、静かな沈黙を見守っている。
 
先日、命を救われた狙撃手の少女とロイの間に浅からぬ因縁がある事は、誰の目にも明らかだった。
しかも、その日以降、彼女に絡んだ紅蓮の錬金術師との1件を始め、時々2人でいる場面をヒューズは見かけている。
そんな時のロイは、苦渋に歪んだ表情と愛おしさの混じった複雑な表情をしていることにヒューズは気付く。
同時に鷹の目嬢が、苦しみ、そして泣き出しそうな色合いの瞳でロイを見つめている事にも。
自分は2人の間に入ることは出来ないが、抱え込むよりは話して楽になることもあるだろう。
お人好しの自分に呆れながらも、ヒューズはロイに答えを促す。
 
「別に」
いかにも困った顔で、目を合わせず答えるロイの相変わらずの青さが、ヒューズには可笑しくもあり、微笑ましくもあった。
「別にって、お前なぁ。今のお前の表情(かお)見て、信じる莫迦がどこにいるんだよ」
更に困った顔になる親友を見て、ヒューズは笑う。
カップの中身を見つめながら、ほんの少しの沈黙をおいて、ロイはポツリと答えた。
 
「師匠の娘さんだ」
 
俯き加減に苦しげに返答する親友の横顔に、ヒューズは内心驚きながらもいつもの表情を崩さなかった。
ロイが士官学校に入る以前、錬金術を学んでいたのは知っていた。
だが、その当時を語るロイの思い出話に、師匠に娘がいたという話を聞いた覚えはなかった。
彼女と出会った時のロイの様子からも、彼女を忘れていたとは考えられない。敢えて口に出さなかったのだ。
それはつまり、それだけ鷹の目嬢がロイにとって特別な存在であるという事だろう。
 
何だこの訳ありな展開は。
全くロイのヤツ、何を背負い込んできてるんだ?浮いた話どころの事情じゃねーな。
そう思いながら、何かにつけ手のかかる僚友に半ば呆れつつ、あえて冗談めかしてヒューズは探りを入れる。
「へぇ、師匠って錬金術のか?じゃぁ、あの娘(こ)も錬金術師なのか!?」
「違う。錬金術師では、無い」
錬金術師『では』無い、か。意味深だな」
「深読みしすぎだ」
「はいはい。ところでお前、師匠の娘さんと修行の合間の甘〜いロマンス、なんてのは無いのか」
と、あえてふざけた言葉で直球勝負に出てみれば、苦笑を伴った予想外の静かな返事が返ってきた。
「あのなぁ、今士官学校生なんだぞ。当時彼女が幾つだと思ってるんだ」
そう言って、ロイは錬成陣を施した手袋を見つめる。
「しかし、よりに寄って訓練生として戦場で再会するとは思っても見なかった」
独り言のようにつぶやくロイの表情には、苦いものが満ちていた。
 
「軍人には、なって欲しくなかったか」
「ああ、人殺しは我々だけで十分だ」
「“美しい未来”には、汚れ無きままでいて欲しかったか」
「彼女とは、そんな関係じゃない。でも、そうだな」
「血で汚れた自分を見られたくなかったか」
「……」
畳み込む様な問いに、ロイは力なく黙り込む。
 
「彼女なら,お前の血塗れの手でも受け入れてくれそうな気はするぜ」
「それは、ない。寧ろ憎まれているだろう。彼女と彼女の父親に託された錬金術で、私は人を殺している」
ヒューズのペースに巻き込まれ、心情を吐き出している事にロイは気付いていない。
「真面目すぎるんだよ,お前ら2人とも」
「言ってくれるなぁ」
ほろ苦く、笑いにすらならない情けない顔のロイに、ヒューズは静かに問う。
 
「好きだったんだろ?」
「まぁな」
ロイはきまり悪げな顔で答える。
ようやっと答えたか、ヒューズは思う。
「今でもか?」
「分からん」
「自分のことなのにか」
「色々あり過ぎた」
ヒューズは黙って、ロイのカップに酒を足す。
そして、自分にも新たな1杯を注ごうとして、瓶が空なのに気付くと小さく舌打ちをした。
「考えすぎるなよ、お前の悪いクセだ」
まぁ、そんなお前も悪くないが。
そう思っても口には出さず、空になった瓶を投げ出して、ヒューズは続けた。
 
「鷹の目嬢とお前の間に何があったか、俺は知らん。でもな」
痛みをこらえる様なロイの表情を見ないふりをして、ヒューズは話す。
「紅蓮の錬金術師の野郎との一件で、彼女の事であれだけムキになったんだ。彼女の事をお前が大事に思ってる事くらい、見りゃあ分かる。」
「そう見えるか」
「ああ」
思わず絶句するロイに,ヒューズは畳み掛ける。
彼の言葉は、ロイの痛い所を的確に突いてくる。
 
「惚れてんだろ?」
「だから、俺は彼女から託されたもので人を殺している!この国の民を守る為の力で!彼女を裏切った!」
「そう思うなら、償え」
「どうやって!彼女は、錬金術は多くの人を幸せにするものだと信じ、願っていた。壊してしまったそれを償うなんて、私には無理だ」
「もっと卑近で良いじゃねえか?守ってやれよ、紅蓮のに噛み付いたみたいに」
「あんなこと」
「あんなヤバいヤツに噛み付いといて、良く言うぜ」
「じゃあ、どうしろと?」
「そんなもん、自分で考えろ!」
そういったん突き放しておきながら、ヒューズは酔った頭で考える。
 
「そうだな、俺は国の為には死ねねぇ、だが、グレイシアを守る為なら死ねる」
「惚気か」
茶々を入れられても、ヒューズは構わず言葉を続ける。
「でも同時にな、待っている彼女を泣かさない為には死ねねぇ、とも思うんだ。分かるか?」
「漠然となら」
「ところで、さっきからお前は鷹の目嬢の話をしているに、国だ民だと語っている。いったい、何が大事なんだ?」
「比べられるもんじゃないだろう」
いい加減、アルコールの回った2人の会話は飛躍し、取り留めもなくなっていく。
「じゃぁ、お前は部下の為に死ねるのか? イシュヴァール人の為に生きなければと思うか? 違うだろう?」
「飛躍し過ぎだ、極論だぞ」
呆れたように反論するロイを見つめ、ヒューズは静かに言った。
 
「お前みたいに一般論で話すヤツは、結局何も掴んじゃいない。お前は命を賭して、人生を懸けて守り抜きたいものはあるのか? 国家なんて言うなよ、笑っちまう。この国の民、そんな漠然とした答えなら、いらねぇぜ」
言葉に詰まるロイを、挑発するようにヒューズの言葉は徐々に熱を持つ。
「生きる事にも死ぬ事にも、自分以外の人間を枷に背負う覚悟はあるか?ロイ」
「枷……」
「そうだ。もっと卑小になれ。俺たちは小さな存在だ。たった一人の人間の存在さえ背負えなくて、天下国家を語るなんざチャンチャラおかしいぜ」
ロイが自分の言葉に沈思するのを確認し,ヒューズは不意に話を戻す。
 
「背負ってやれよ、守ってやれよ。そのために、強くなれ」
「無理だ。この血に塗れた手でリザを汚したくない」
そんなロイの答えに、ヒューズはにやりとする。
「ほら、やっぱり惚れてんじゃねぇか」
完全にヒューズのペースに乗せられた事に、ようやくロイは気付いた。
「くそっ、ヒューズ! お前!」
「いいじゃねぇか、すっきりしただろ?」
そう言ってヒューズは笑い、ロイは頭を抱え込んだ。
 
「まぁ、お前の生き方だ。俺にとやかく言う権利はねぇ。だがな、ロイ」
俯いてしまったロイの頭を,ヒューズはポンポンと叩く。
「どんな一方的な想いでも,お前が想えば、たった一人の人間が生きる力も死ぬ力も与えてくれることはある、と俺は思うぜ」
言いたいことを言うと,ヒューズは立ち上がった。
「ま,こないだのお前の言葉への俺なりの答えだ」
ベッドサイドのテーブルにカップを置くと,ヒューズはロイに背を向けた。
「お前の言葉で,俺も考えた。お前も考えてみろや」
そう言い残すと,ヒューズはロイの返事も待たずに去って行った。
「考えろ。。。か」
ロイは再びベッドに転がり、ヒューズの言葉を反芻し,酔った頭で考え続ける。
 
しかし、その時のロイは夢想だにしなかった。
その数日後、自分がリザへの償いの為に彼女の背を焼かねばならなくなる事を。
 
 
 
To be Continued...
 
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【後書きの様なもの】
完全改訂。
なんと申しますか、分解と再構築。
 
この話は、実は『02.集中豪雨』と繋がってたりしています。
続きは、足枷【02.At Central】にて。