rose pink

おろしたてのダークグレーのスリーピース。
ルームミラーできっちりと櫛を通した髪を確認して、ロイは車のエンジンを止めた。
洗車したての車、貢ぎ物はジャケットの隠しに。
完璧なデートの装備を整えた彼は、駆け寄って来る待ち人の姿を見つけ、相好を崩した。
「待った? ロイさん」
「いや、私も今来たばかりだよ」
芝居がかった口調で車から降り、彼は後部座席の扉を彼女の為に開いてやる。
「さて、今日はどんなデートにしよう?」
女はスマートにさっと彼のエスコート従い、車に乗り込んだ。
女は優雅に長い足を組み、バックシートで艶然と微笑む。
「ロイさんと一緒なら、どんなデートでも構わないわ」
「嬉しいことを言ってくれるね」
ロイはよそゆきの笑顔で車の扉を閉めると、自分も運転席へと身を沈める。
そんなロイに向かって女は背後から、甘えた声で話しかけてくる。
「ねぇ、その前に少しお話をしない? ロイさん」
「良いね」
そう言って、ロイは後部座席を振り向き、女の顔を見て笑った。
「今日はどんな話を聞かせてくれるか楽しみだよ、マデリーン」
ニッコリと意味深長に微笑み返す夜の女は、彼が手帳を取り出すのを待ちながら、ファーの襟巻きをクルリと回してみせた。

ロイの情報源の一つである、夜の女たちとのデートもまた、彼の重要な職務外の仕事であった。
軍の高官の中には、意外なほど馬鹿も多い。水商売の女が馬鹿ばかりだと思っている程度の馬鹿が。
おかげでロイは養母の協力もあり、面白いほど簡単に様々な情報を手に入れている。
今日も彼は義母の店で働くマデリーンから、現金という名の『貢ぎ物』と等価交換に玉石混淆の顧客情報を買う為の『デート』に来ているのだ。

「でね、ハクロって人は店の女の子たちが引いちゃうくらい、人の悪口ばかり言ってた。だから、接待してたドルトムントって人も困ってたわ」
「ドルムントか……。そいつの他に、そこにいた面子の名前は分かるかな?」
「昨日は来てたのは、全部で五人ね。さっきの二人とレイモンドって人、あとウィンストンって人もいたわ。後の一人は、ごめんなさい。分からなかったわ」
「レイブン中将は?」
「あの人はグループが違うみたい。ドルムントって人と、レイブン中将が同じ日にお店に来たことはない筈よ」
「そうか、ありがとう」
「ハクロって人の話は内容のない悪口ばかりだったから、特に情報はないわ。つまんない男よね。ああいうのに限って人の足引っ張ることばっかり考えて、自分は何にもしないのよね」
「手厳しいね」
「あら。当然よ、ロイさん。あたし達、男を見る目は肥えているもの。良いカモはしっかり掴まえておかなきゃならないし。どうしようもない男に、貴重な時間を割くわけにはいかないもの」
「まさに、金言だね」
ロイはそう言いながら、懐の封筒を取り出した。
「今日も素敵な話を聞かせてくれて、嬉しいよ。マデリーン」
『貢ぎ物』に目を輝かせてマデリーンは、躊躇無く彼の手からそれを受け取った。
「私も嬉しいわ、ロイさん。ちょうど、レミス工房の新作リングが欲しかったの」
「君の良いカモになれて光栄だよ」
「あら、カモだなんて。ロイさんは別格よ。お店に来てくれたら、いつでもサービスしちゃうわ」
封筒の中のお金を数えながら、にっこり微笑むマデリーンにロイは笑った。
それは、したたかで貪欲な策士の笑顔だった。
「そうだね、いずれお邪魔するよ。マダムにもよろしく言っておいてくれるかな」
「もちろんよ」
手元のバッグに封筒をしまい、マデリーンはいつも通り車を降りようとした。

「ああ、ちょっと待ってくれ。マデリーン」
そう言ってマデリーンを引き留めるロイは、少し躊躇するような顔をする。
「なぁに、ロイさん。もうお話しすることは無いの、ごめんなさい」
「違うよ、マデリーン。私が欲しいのは別の情報なんだ。こっちはポケットマネーからなんだがね」
ロイは懐の財布を取り出すと、幾ばくかの札を取り出した。
さっきとは打って変わった歯切れの悪い口調で、ロイはぼそりと言った。
「今年の春の化粧品は、どんなものが流行か教えてくれるかな」
マデリーンは少し驚いた顔をして、それから彼をからかうような笑みを浮かべた。
「また、エリザベスちゃん? もう、妬けちゃうわ」
ロイは笑って答えない。
マデリーンは指先でスイッとロイの手から札を抜き取ると、コートのポケットにその手を入れた。
そして、少し宙に視線を彷徨わせてから、口を開いた。
「今年はパステルカラーが流行よ。アイシャドウもチークも軽い色を抑えておけば、間違いないと思うわ」
「あまり凝ったメイクはしない方なのでね。口紅はどうだろう?」
「ピンクベージュやオレンジベージュが良いんじゃないかしら? 色の白い人ならローズピンクとか」
マデリーンの言葉に、ロイはふっと遠い目をした。
「ローズピンク、か。可憐な名だな」
そんなロイに、マデリーンは肩を竦めてみせる。
「ああ、もう。当てられちゃうわ」
「すまない。だが、助かるよ」
マデリーンは少し拗ねた口調で、言い足した。
「今度、イーストシティの駅の南口にセントラルで流行っているウィスタリアってお店がオープンするわ。そこのお化粧品、とっても人気があるから、きっとエリザベスちゃんも喜ぶんじゃないかしら?」
そう言った彼女は、さっともう一度彼に向かって手を出した。
ロイは苦笑して追加情報の料金を払うと、さっきとは違う種類の笑みを浮かべた。
それは彼の私人としての、とても優しい笑顔だった。
「今日も助かったよ、ありがとう」
「じゃあ、また誘ってね。待ってるわ、ロイさん」
「ああ、私も楽しみにしているよ」

すっと車を降りたマデリーンが見送る前で、ロイの車はゆっくりと走り去っていく。
きっとこれからあの男は、『エリザベス』の為にわざわざ女で溢れる店へと一本の口紅を買いに行くのだろう。
お小遣いを稼ぐだけの相手だけれど、良い男が自分の前で他の女の事しか考えていないのは、流石に癪だった。
「もうちょっと、ふっかけてやれば良かったわ」
そう言って笑いながら、マデリーンは鞄をクルリと回すとお目当てのリングを買う為に歩きだしたのだった。

Fin.

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