SSS集 13

  Cat in the Box



シュレーディンガーの猫、というものを知っているかね? 要は観測者が居て初めて事象は存在する、ということなのだが」
「何のお話ですか?」
「要は愛だとか罪だとか、我々が名前を付けるからそう言ったものは発生するんだ」
 ロイの言葉にリザは呆れたように溜息をついた。
「また難しい例えで、私を黙らせようとお考えですか」
 ロイは彼女の言葉に首をかしげてみせる。
「物事を難しく考えすぎているのは、君の方だと思うがね」
「何のことでしょう」
「君がいて、私がいて、二人の間に一つの感情が生まれた。後はこれに、名前を付ければいいだけの事だと思うのだが」
 リザは苦笑する。
「それが一番難しいから、私たちはもうこうやって何年も、同じような事を繰り返しているのではありませんか」
 リザの答えに、今度はロイが苦笑した。
「確かに。これは一本取られたな」
 確かにそうなのだ。彼らが出逢った時には、すでにその感情には名前が付いていた。幼い頃から心の中でずっとそれを暖め続けているというのに、彼らは未だに猫の入った箱を開けることが出来ずにいる。そう、口に出してしまうと壊れてしまいそうな、互いへの想いを。

(140字SSSにしようとして失敗。『シュレーディンガーの猫』で11文字ある時点で無理と気付け、という話。その後リベンジしました。<負けず嫌い(笑))

  L'Ultima Cena



「最期の晩餐か」
 何がきっかけでそんな話題になったのかは、覚えていない。ただ夜の長さを持てあました夕食後の穏やかな時間に出る話題にはしては少し剣呑だ、という思いがリザの心をよぎる。彼女は努めて平気な顔で、男の顔を見た。
「君は?」
「咄嗟には、なかなか思いつかないものですね」
「そうか」
「大佐は如何ですか?」
 問われたら、流れで問い返すしかない。リザの言葉にロイは微かに小首を傾げると、悪戯な薄い笑顔を浮かべた。
「君、かな」
 また、この男は。リザは仏頂面を作って、ロイを睨み付ける。気障でいつだって彼女を困らせることの得意な男は、こうして彼女をからかう事を止めない。
「食べてしまったら、私はいなくなってしまいますよ? 良いんですか?」
 あえて男の意図をはぐらかす巫山戯た返事を返せば、ロイはふっと目元を緩めて少し黙ると笑顔の質を変えた。
「構わない。だって、最期の晩餐なのだろう?」
「?」
 ロイの言葉の意味を図りかね、今度はリザが小首を傾げた。そんな彼女を見て、ロイはあくまでも巫山戯た明るい口調で言葉を続けた。
「どうせ、逝く時は一緒だろう? 私がいなくなって哀しむ君を、一秒だって後に残して逝きたくないからね」
 どうしたって、この人は私を困らせる事を止めてくれないのだ。リザは小さく震える唇を噛み締め、男から表情を隠す為、睫毛を伏せた。

(リハビリ。これが精一杯か)

  Black Dress



「あ」
 引っ越しの荷物をまとめていたリザは、自分の迂闊さに小さな声を上げた。
「どうしたね?」
「いえ、大したことではありません。失礼しました」
 ロイの問いに対してリザは曖昧にそう答えを返すと、虫に食われて穴が開いてしまった小さな黒いワンピースを彼の眼からそっと隠した。
 それは父の葬儀の日にリザが着た喪服であった。成長した今の彼女には着る事の出来ないその服を、彼女にとってのこの人生の出発点となった日の一つの標として 彼女は未だに捨てる事が出来ないでいたのだ。
 ロイは何も見ていないふりで、ただそっと呟くように言う。
「まぁ、大事なものを失って落胆する気持ちは分かるがね」
 リザは答えずにそっと手元を見つめる。ロイは構わず言葉を続けた。
「だが、墓に持って行けるのは自分の記憶だけだ。そう考えれば、少し気が楽にならないかね」
 リザは思いもかけぬロイの発想に、顔を上げロイを見た。微かな笑みを浮かべるロイの顔は、准将となった今もあの時と変わらぬ想いに満ちている。確かにものに頼らずとも、彼との思い出はリザの中にしっかりと刻まれている。それは、これからも今まで同様、死ぬまで彼らの間に積み重ねられていくのだろう。
 リザはそっと頷くと、手の中の喪服を手放し、荷物の蓋をぱたりと閉じた。
 新しい明日に向かう為に。

(SCC無配ポストカード用)

  One more kiss



「珍しいな、君の方から」
 そう言いかけたロイの唇を、リザは無言で自分の唇で塞いだ。そして、ねだるように舌先でゆっくりと彼の唇の輪郭をなぞり、フイと唇を離すと彼女はじっと男の顔を見上げた。
 珍しい、と言うよりは天変地異の前触れではないかと思われるほど希有なリザの行為に、男はその黒い瞳に微かな戸惑いを浮かべている。彼女は鷹の目とあだ名される強い視線を逸らすことなくじっと彼を見つめ、男に答えを与えることなくスッと瞳を閉じた。ロイは僅かな間を掴みあぐね、諦めたように今度は彼女の顎を掴まえると柔らかな口付けで彼女を貪った。同時に、いつものように彼女の肉体をなぞり始める大きな掌を拒み、リザはただ無心に繰り返す口付けに心を委ねた。
 時として朧になる自分の輪郭を確認するように、粘膜の感触と男の熱を受け止め、リザはロイの唇を求める。肉体を交わすという本能の求める行為ではなく、抱かれるという男の欲求を満たす行為ではなく、敬愛だとか欲望だとか友愛だとか様々なものを封じ彼の前にいる自分を確認する為に、彼女は彼の唇をねだる。
 男にその行為の意味が通じるか、彼女には分からない。それでも辛抱強く、彼女の要望に応えてくれる男が愛おしく、リザは小さな舌をロイの内へとねじ込んだ。

(まぁ、これもリハビリ。)

  Collar



 彼女に首飾りを贈るといった男は、まるで自分の言葉を忘れたかのようにリザのブラウスの一番上のボタンを開けると、普段は隠された柔らかな皮膚の上に甘い口付けを一つ落とした。ふっと息を飲むと、続けてもう一つ二つと鎖骨を辿るような口付けがリザの表面に刻まれた。首筋をなぞるロイの唇に吐息を強要され、リザは半ば呆れながら絡む指を引き剥がし真正面から彼の顔を見つめる。
「どうしたね?」
「さっきのお言葉をお忘れですか?」
 別にネックレスが欲しいわけではない。だいたい彼がリザに与えようとするものは、彼女にとっては華美に過ぎて使い難いのが常なのだから。ただいつも彼のペースで翻弄されることが口惜しくて、少しばかりの抵抗をする口実を彼女は欲した。
「せっかちだな、君も」
 ロイは笑って、彼女の言葉を無視するようにまた彼女の首筋に唇を寄せる。濡れた肌の感触にぞわりと皮膚が泡立ち、リザは思わず身震いする。ロイは構わずまたチュとわざとらしい音を立てて、彼女を揺さぶりに掛かる。ボタンがまた一つ外された。また一つ口付けの痕が残される。
「とりあえず、今はこれで我慢しておいてくれ」
 そう言ったロイは吐息で笑うと、彼女の首筋に自分が残した紅い印を指でなぞる。ぐるりと円を描くロイの指先の意味に気付いたリザが何か言うよりも早く、男の唇が彼女のそれを塞ぎ、ロイは己の口付けの痕で作った首輪をはめた女をそっと自分の支配下に置いたのだった。

(長いSSにしても良かったかも? リベンジするかも? 別館、もう何年書いてないだろう……。)