Sunset sky

彼女が彼を見つけたのは、本当に偶然のことだった。

この日、ようやく休日を取れたリザは、イーストシティへの引っ越しの準備に追われていた。
イーストシティからセントラルに来た時のままに荷解きされなかった段ボール箱を積み上げ直し、僅かな暇を見つけては片付けた荷物をまた詰め直す不毛な作業に疲れたリザは、夕暮れの町にひとり、夕食の食材の買い出しにぶらりと出かけたのだった。
家路を急ぐ帰宅者の群に紛れ、ぶらぶらとセントラルの街を歩きながら、リザは今頃まだ忙しく立ち働いているであろう自分の上官のことを考えていた。
「約束の日」の後始末に一段落がつき、ようやく軍内部の体制を整える段階に入った時、ロイに下されたのは准将という地位と、東方司令部司令官の椅子とであった。
勿論それは、ロイ自身が今回の一件の報償として欲したものであり、同時に彼はイシュヴァール政策の立案と承認も新しい軍上層部の面々に取り付けていた。
彼が視力を回復した際のドクター・マルコーとの会話を聞かされてた時から、リザも覚悟はしていた。
だが、こうして実際にその時が迫ると不思議と胸の内は春の草原のように平穏なのであった。
償いの時がやっとくるのだ。
そう思うとピッと身が引き締まる思いがし、リザは見納めのようにゆっくりとセントラルの街を歩いていた。

再建の始まった中央司令部の建物を眺めながら、リザがパン屋に向かおうと角を曲がった時、彼女は不意に立ち止まった。
見間違うはずのない男の後ろ姿を、視界の端に見つけたからだ。
リザは呆れ顔で抱えた荷物を持ち直し、片手を腰に当てる。
また、私がいないとすぐにサボるのだから、本当に困った男だ。
そう思いながら、黒いコートの後ろ姿に向かって歩み寄ろうとしたリザは、不意に彼が今どこに立っているかに思い至り、ハッとして足を止め建物の陰に身を隠した。
雑踏から少し外れた場所で、少し肩を落としたように見えるロイの前には、何の変哲もない電話ボックスが建っていた。
今ではすっかり清掃され、事件の面影を欠片も残さぬその電話ボックスは、だが確かに、ロイの人生の一つの分岐点であった。
リザは言葉を無くして、ヒューズの殺害現場に佇むロイの後ろ姿を見つめた。
ここしばらくのロイの勤務状況を考えれば、ヒューズ准将の墓前に参る余裕すらなかったことは、リザが一番よく知っている。
その彼が今仕事を抜け出し、親友の墓の前ではなく、何故わざわざ彼の殺害現場に来ているのか。
リザはその疑問の答えが自分にある気がして、ぎゅっと胸を締め付けられる思いがした。

本来なら、ロイは胸を張って友の墓前に「お前の仇は私が討った」と報告することが出来たはずなのだ。
しかし、民主政を目指す公人としてのロイの立場をおもんぱかり、リザは虐殺にも似たロイの怒り任せのエンヴィーの私刑を阻止した。
彼女自身、今振り返っても、その行為自体が間違っていたとは思わない。
彼が同じ事を繰り返せば、リザは何度だって彼の行為を阻止するだろう。
殺人犯は公正な裁判の場で裁かれねば、ロイは自分で自分の理想を汚すことになるからだ。
それにロイもリザの言葉を納得したからこそ、あの時エンヴィーへの私刑を思い止まってくれたことは確かだった
しかし、彼の中に感情面で収まらぬわだかまりが残ったであろうことは、間違いないとリザは思う。
彼が親友を失った哀しみと喪失感は、リザには想像もつかぬほど大きなものであったであろうし、感情を完全に理性でコントロールできる人間など、存在するわけがない。
親友の仇討ちをする力を持ちながら、それを為し得なかったロイの心中はいかばかりのものだろう。
リザは何とも言えぬ複雑な思いでロイの後ろ姿を見つめ、雑踏の中にひとり佇む。

『ヒューズ准将も、きっと納得して下さいます』などと、彼女には口が裂けても言えない。
なぜなら、彼女は哀しみの当事者ではないのだから。
またロイを説得した彼女自身が『仕方がなかったのです』などと言えば、保身の為の弁明のように聞こえるだろう。
彼の親友のことに関して、自分の中には彼に掛ける言葉がないことを、リザは痛感する。
ロイの中に自分が踏み込むことの出来ぬ領域が存在することを、彼女は知っている。
そして、その最たるものがヒューズ准将に関わる全てであった。
「約束の日」、軍人である彼らの公人としての務めの為とは言え、彼女はその領域に土足で踏みいるような真似をした。
だから、彼女にはここにいる資格はないのだ。

リザはそんな考えを胸に寂しげにも見えるロイの背中をしばらく見つめ、結局そのまま踵を返そうとした。
だがしかし。
「隠れていないで、出てきてはどうかね? ホークアイ中尉」
彼に背中を向けようとしたその瞬間、どこでどう彼女の存在を感じ取ったのか、ロイの声が彼女を呼び止めた。
驚いて立ちすくむリザに向かい、ふざけた男の声が再び呼びかける。
「まさか、非番の君にサボリの現場を押さえられるとはな。悪いことは出来ないものだ」
そう言って屈託なく笑っている様子のロイを前に、姿を隠したままでいることも出来ず、リザは躊躇いながら彼の前に姿を現した。

青い軍服に黒のコートを羽織ったいつも通りの姿のロイは、両手をコートのポケットに突っ込み、風に吹かれて立っていた。
ひらひらと風に翻るコートの裾が、まるで生き物のように彼の足下にまとわりついている。
黒くこごった血液が地面から手を伸ばしたかのように。
リザはふるりとイヤな幻想をふるい落とすと、黙ってロイに向かって敬礼をした。
男は軽く彼女に向かって答礼すると、ゆっくりと彼女に向かって歩み寄ってきた。
「やはり、殺人現場になった場所というのは、人が寄りつかぬものだな」
答えようがなく黙って彼を見つめるリザに、ロイは微かな笑みを浮かべ問う。
「何故、私がここにいると分かった?」
「偶然です」
「本当に?」
「はい。グリュックス・シュヴァインに行くには、私の部屋からはこの道を通るのが一番近いので」
セントラルで有名なパン屋の名を上げるリザの説明に、ロイは納得した顔でうなずくと苦笑と共に溜め息を吐き出した。
「まいったな、流行のパン屋までは流石に私の守備範囲外だ」
そう言って肩をすくめるロイは、私服のリザを珍しいもの見るように眺める。
「もう荷造りは終わったのかね」
「はい、概ね」
「そうか。私はまだ、何もかもが手つかずだ」
そう言って電話ボックスの方を振り向くロイの言葉が、単純に引っ越しの荷造りのことだけを指しているのではないことくらい、流石にリザにも分かった。
リザは再び答える言葉を失い、上官と並んでまだ明るい夕暮れの光に照らされる電話ボックスを眺める。
 
血の色にも似た夕陽の朱に染め上げられていく電話ボックスを見つめ、ロイはぽつりと独り言のように言った。
「どうも奴の墓の前に顔を出せる気がしなくてね」
先程の自分の考えは間違っていなかったのだ。
そう思いビクリと微かに頬を強ばらせるリザに気付かず、ロイは他人事のような暢気さで言葉を続けた。
「生前のヒューズが軍法会議所に在籍していたことは、君も知っているな?」
予想外のロイの話の展開に、リザは小首を傾げて傍らに立つ男の横顔を見上げた。
「はい」
何を改めて。
そう思うリザにロイは遙か遠くを見る眼差しで、朱い夕陽を見つめた。
「罪人を法で裁くことを生業としていた男を殺した犯人を、私は法で裁くことなく殺そうとした。法の番人としてこの国中を飛び回っていたあいつが、果たしてそれを喜んだだろうか?」
夕陽に照らされる男は眩しそうに目を細めたまま、不意打ちに視線を彼女の方へとスライドさせた。
「あいつが力を尽くそうとした道を汚すような真似を、私はしてしまうところだった。それと同時に私の民主化の夢をも支えると言ったあの男の尽力も、無駄にするところだったんだ」

少し情けない顔で彼女を見つめるまっすぐなロイの視線を受け止めながら、リザは自分が思い違いをしていたことに気付かされる。
ロイの脳裏からは、とっくにヒューズの復讐への執念は消し去られていたのだ。
彼女の諫めを受けてくれた男は、きちんと自分自身を見つめ直し、復讐よりもその先をしっかりと見ていた。
自分が考えるよりも、この男は一歩も二歩も先を歩んでいるのだ。
相槌を打つことも忘れロイを見つめる彼女に、男は語り続ける。
「あの時、君に諫められなければ、私は単純な復讐鬼としてあのホムンクルスを私刑に処していたことだろう。いや……」
そう言いさして不意に言葉を濁したロイは、恥じるような苦い笑みを浮かべた。
「あの時の私は奴を殺す為にではなく、奴を苛み苦しめることだけを考え、今考えれば恐ろしい程に残虐になることが出来た。そんな自分に怖気が立って、とても奴に合わせる顔がないと思えてね」
リザは夕陽よりも眩しいものを見る思いで、再び電話ボックスに視線を戻したロイの凛とした横顔を見つめた。

彼女の知らぬ間に、勝手に先に進んでいってしまう男が眩しくてならなかった。
彼に追い付くために、彼と共に歩むために、自分ももっともっと先を見ていかなければ。
彼を補佐するのが自分の役割なのだから。
そう考え、リザは彼を見つめ返す視線にぐっと力を込め、彼に向かって言った。
「でしたら、私がご一緒いたしましょうか?」
思いもかけなかったであろうリザの申し出に、ロイは面食らった表情を浮かべる。
リザは血の色に似た夕陽の朱の強さに負けぬよう、穏やかな笑みを浮かべてみせた。
「仕事をおサボリになった事は不問に致します。その代わりに、今からヒューズ准将に事の顛末をご報告にいらしてください。叱られるのでしたら、私も一緒に叱られてさしあげますから」
思いきって言った彼女の言葉に、ロイはまじまじとリザの顔を見つめていたが、やがてふっと表情を和らげた。
「全く、君には敵わんな」
リザは答えずに、ただ微笑んだ。
敵わないのは、本当は自分の方なのだ。
でも、口惜しいから、絶対に彼にはそんなことは教えてやらない。
そう思いながらリザは踵を返した。

「日が暮れる前に参りましょうか」
「善は急げ、か。確かに、我々がここを離れるまで、もうあまり時間もないことだしな」
背中に当たるロイの声と夕陽の温度を感じながら、リザは自分はヒューズの墓前に何を報告するのかを考える。
きっとそれは彼の墓前に着いたら、自然に自分の中に浮かんで来るだろうとリザは感じていた。
きっとそれがイシュヴァール政策への第一歩を踏み出す彼らの背中を押す行為になることを、リザは確信していた。
一つずつ過去を消化して、彼らは未来へと進んでいくのだから。
これからも、二人で。


Fin.
 
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【後書きのような物】
 オフ本「アマイメマイ」を書いたおかげで、普通のロイアイ熱が高まってます。ちょっとだけ未来の話とか、原作最終巻の隙間をちょこちょこ埋めるネタが書きたいです。
 執事をお待ち下さってる皆様、すみません。でも、何度も言ってますがパラレルは基本苦手なので、時々原作添いの話を書かないと行き詰まってしまうのです。次はきっと!

お気に召しましたなら。

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