ご褒美

「で、エリザベスちゃんは元気なのかい?」
「ああ、おかげさまで」
ロイは手に馴染む重厚なグラスを傾けてチロリとバーボンを舐めると、にっこりとよそ行きの“良いお顔”を作ってマダムの問いに答えてみせる。
彼の養母は細い紙巻き煙草をくゆらせながら、ロイの言葉に疑わしげな顔をした。
「出張も終わったって言うのに、あんたがこうしてこの店で遊んでいる間も、あの子は一所懸命働いてるんだろ?」
スーツの内ポケットから銀時計を取り出し時間を確認したロイは、そうかもしれないねと答える。
「まぁ、あんたが居ない方が彼女もサボり魔の尻を叩く余計な仕事が減って、ちょうど良いのかもしれないがね」
「酷いな」
ロイはクツクツと喉の奥で笑うと、またチロリと舌を出し猫のようにバーボンを舐めた。
スモーキーなオークの香りと年輪を重ねた芳醇な味わいを口の中で転がして楽しむ彼に、マダム・クリスマスは仕方ないといった顔をすると、思いついたようにこう言った。
「甲斐性のある男なら、こう言う時に手土産の一つでも買っていってやったらどうだい?」
 
ロイは面食らった顔をすると、コトリとグラスを置いてマダムを見た。
ロイの隣に座っていたヴァネッサが、すかさずロイのグラスにバーボンを注ぎ足しながら、楽しそうに口を挟む。
「あら、お留守番のご褒美! それって凄く嬉しいかもしれないわ」
「ヴァネッサ、でも、私と彼女はそんな関係じゃないんだ」
少し困った顔をするロイを困らせるかのように、ヴァネッサは言葉をついだ
「じゃぁ、どんな関係でいらっしゃるの?」
更に困った顔になるロイを笑い、マダムは唇の端にくわえた煙草を指に取ると、ふうっと細い煙を吐き出し助け舟を出した。
「まぁ、どんな関係だろうとプレゼントを貰って喜ばない女はいないさ」
「さて、それはどうだろうね。彼女はその……少し、難しいんだ」
実際、今まで彼が軽い気持ちでした贈り物は、『お気持ちだけありがたく頂戴致します』という彼女の言葉と共に幾度も彼の元に突き返されていた。
一度だけ、彼女が狙撃班における活躍で軍から功労賞だか何だかを受章した時に贈ったピアスだけは何とか受け取ってもらえたが、着けている所はついぞ見たことがない。
彼女の欲しいもの、果たして一体それは何だろう?
 
考え込むロイを他所に店のお女の子たちは、きゃあきゃあとこの話題で盛り上がり始める。
「やっぱり、バッグかしら? この前あそこのブランドの新作が出たばかりなのよね」
「レミス工房のリングも捨てがたいわ。5カラットのダイヤが素敵だったんですもの」
「リングだとちょっと意味深過ぎるわよ。ネックレスくらいが妥当じゃないかしら?」
かしましい彼女らの声に、ロイは苦笑する。
「おいおい、君たち。それって君たちが欲しいものじゃないのかね」
「あら、だってロイさんなら、そのくらい何でもない出費でしょ?」
「なんたって国軍大佐でいらっしゃるんだもの」
「もう一本、ボトルキープ入れて下さっても結構よ?」
「全く、勘弁してくれ」
ロイは遊び慣れた男の顔で視線を巡らせ、ふと見慣れぬ顔がその輪の外にあることに気付く。
「マダム、彼女は?」
マダム・クリスマスはロイの視線の先に目を向けると、麦わら色の髪を短く切りそろえた若い女を呼んだ。
「サラ、マスタング大佐がお呼びだよ」
「はい!」
いかにも田舎から出てきたばかりと言った風情の女は、店の先輩たちに囲まれて萎縮しながらロイの傍にやってきた。
「君ならお土産に何を貰ったら嬉しい?」
幼い頃のリザを彷彿とさせるような朴訥な娘は、しばらくモジモジとしていたが、ちょっと上目遣いにロイを見ると消え入りそうな声で言った。
「あの、無事に帰ってきて下さるのが、一番、嬉しいです」
あまりに無欲な答えに、ロイは面食らった。
店の女たちは一瞬声を失い、その後、何よこの子可愛過ぎるじゃないとサラをぎゅうぎゅうと抱きしめ、またキャアキャアと騒ぎ出す。
 
女たちの喧噪を横目に、ロイはふと懐かしい台詞を思い出す。
『死なないで下さいね』
あまりにストレートな彼女の言葉に、当時のロイは『不吉な事言うなぁ』と冷や汗をかいたものだった。
今、こうして海千山千の商売女たちに囲まれて美辞麗句を聞くようになっても、あの時の彼女の言葉程シンプルで彼の身を気遣う言葉はないと思える。
あの頃から彼女は言葉すら飾る事を知らない女だった。
ロイは過去を懐かしみ、そして自分が彼女に本当に贈らねばならぬものに、改めて気付く。
 
「仕方ない、帰ってもう一仕事するか」
ロイはカウンターに立つマダムに、仕草でチェックを頼む。

「おや、もう帰るのかい?」
「ああ、エリザベスが待っているからね」
そう、暗い執務室で彼が帰ってくるまでに可能な限りの事務仕事を片付けようと、躍起になっている彼女の姿がロイの脳裏に浮かぶ。
「あら。ロイさん、もう帰っちゃうの?」
「ああ、素敵なお留守番のご褒美を思いついたからね」
「まぁ、それはなぁに?」
「勿論、私自身さ」
「まぁ!」
気障なロイの台詞に,店中の女が色めき立つ。
その言葉の裏に隠された意味は、きっとマダムだけが知っている事だろう。
 
ロイは勘定を済ませると、さっさと店のドアを出た。
急げばイーストシティ行きの最終の汽車には、まだ間に合う時間だ。
深夜に執務室に戻れば、彼女はどんな顔で彼を迎えるだろう?
そんな事を考えながら、ロイは時間があれば駅で手土産を買って行こうかと半ば本気で悩みつつ、北風に吹かれてセントラルの駅へと向かった。
 
Fin.
 
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