歪な彼女の分岐点

【Cautinon!】下ネタ注意

コツコツ。
暗い部屋にノックの音が響く。
ハボックは夢うつつの中で眉間に皺を寄せ、ボリボリと腹を掻きながら寝返りを打った。
前夜、長々と食らったお説教と、早々に提出を強要された報告書の作成のおかげで溜まった疲労は消えてはいない。
ハボックは薄目を開けて、壁の時計を見上げる。
時刻は〇七四五。
始業にはまだまだ間に合う……というか既にここが職場だし、向かいのベッドに眠る黒髪の上官も頭から毛布を被ったまんまだ。
まだ、大丈夫。
ハボックは、もそもそと重い仮眠室の毛布の中に再び潜り込んだ。
 
そもそも、彼がこの仮眠室に泊まり込む羽目になった原因は、同室でのんきに眠っているこの上官、ロイ・マスタング大佐のせいなのだ。
『イシュヴァールの英雄』なんて大層なあだ名を持つ彼の上官は、いつだって若い女性からテロリストまで、いろんな人間にモテモテだ。
前者なら指をくわえて悪態をついて眺めていればいいだけなのだが、後者だとそうはいかない。
そして昨日はその後者の典型的なパターンが、運悪くハボックの目の前で繰り広げられたのだ。
ハボックが運転手を務めた査察の帰り道、佐官をターゲットとした誘拐を繰り返すテロリスト・グループと遭遇した大佐は、喜々としてハボックを道連れに旧イーストシティステーションの倉庫街に敵を引きずり込み、交戦状態に入った。
大体が指揮官のくせに現場に出てくるのが大好きで、いつも副官である中尉に叱られているくせに、毎度毎度性懲りもなく大佐は最前線に飛び出していく。
遅れてはならじと一緒に突っ走るハボックは、いつだって中尉のお小言のとばっちりを受ける羽目になるのだ。
昨日だって犯人逮捕のお褒めの言葉と、大佐を止めなかったお叱りとを同時にくらい、釈然とせぬままハボックは大佐とともに事件の報告書とそれに伴う市街地破壊の始末書を書き上げた。
ある種罰ゲームのような大量の書類を仕上げた彼らは、明け方近く空きのない仮眠室に無理矢理むさい男二人でなだれ込み、現在に至るというわけだ。
 
コツコツ。
再び響くノックの音に、ハボックはグルグルと毛布を体に巻き付け、大きな身体を縮こまらせる。
すんません、もうちょっと寝かして下さい。
今朝寝たの三時っすよ?
寝不足は判断力の低下と、なんだっけ、いろいろ招いて危険なんスから。
ぶつぶつと口の中で抗議の言葉を並べながら、丸まった彼の耳にみたびのノックの音が聞こえる。
 
コツコツコツ。
心なしか先ほどより強くなった気がするノックの音に、ハボックの頭の中の危険信号が点る。
あ、なんかやべー気がする。
また怒られそうな気がする、主に中尉に。
でも、まだ八時前だし、遅刻はしようがないし、上官だってまだ寝てるし、眠いしー。
  
ウダウダとハボックが毛布の中でのたうつうち、ついに仮眠室の扉のガチャリと開けられた。
「二人とも、いい加減に起きたらどうですか」
聞きなれた勤勉で有能な上官、リザ・ホークアイ中尉の呆れた声音が、二人の頭上から降り注ぐ。
昨夜の残業の分の執行猶予がついているらしく、まだその声には怒りの成分は含まれていない。
シャッとカーテンを開く音と共に差し込む朝陽に、一気にハボックの視界は白く反転する。
「もうすぐ〇八〇〇ですよ。寝癖だらけの髭面のまま勤務に就く訳にはいかないでしょう?」
総務課で仮眠室の割り当てを確認して、わざわざ起こしにきてくれるのはありがたいが、男の朝の準備なんか五分もあれば一丁あがりなのだ。
ハボックは理不尽な文句を胸の内でたれながら、眼に痛い朝の光を避けようと壁に向かって寝返りを打った。
「まったく。仕方ないわね」
そんな言葉と共にカツカツと響く足音が近づいてきたかと思うと、突然ハボックの視界が回転した。
「うえぁおっ!?」
奇声を発して転がったハボックの目の前に、彼からはぎ取った毛布を手ににっこりと微笑む無情な女神が立っている。
 
「ヒドいッスよ、中尉〜」
「何言ってるの。わざわざ起こしに来てあげたんだから、感謝こそされても恨み言を言われる筋合いはないわ」
軍隊格闘にも秀でた彼女にかかれば、大の男をひっくり返して毛布を奪うことなど朝飯前なのだ。
ハボックは寝ぼけ眼を抱えたまま、ボリボリと裸の腹を掻きつつ立ち上がる。
そういえば、昨夜は軍服をその辺に脱ぎ捨てて、眠ってしまったのだったっけ。
「あなた、そんな格好で寝ていて、よく風邪引かないわね」
「鍛えてますから」
ぼんやりとそう答えて欠伸をするハボックに、呆れた中尉の声が返事をする。
「いい心掛けだけど、誉められた格好じゃないわね。さっさと何か着てちょうだい。見苦しいわよ」
「見苦しいって、ちょ、ヒドいッスよ、中尉」
あまりの言われように流石に抗議の声を上げるハボックに向かい、彼女はしれっととんでもないことを言ってのけた。
「だって、あなた、勃ってるわよ」
「……へ?」
ハボックは己の耳を疑った。
律儀で美しい彼の上官はまっすぐに彼を見つめ、今日の会議の予定を告げるのと同じ口調で、もう一度詳細に彼に言った。
「だから、パンツ一丁で勃ってる姿は流石に見苦しいわよ?」
「うげぇっ!!」
一瞬で眠気も何もかも吹っ飛んだハボックは、驚愕に見開いた眼を恐る恐る己の股間へと向ける。
確かにそこには、軍支給のトランクスの中で彼の息子がアメストリス国軍の紋章をしっかりと盛り上げ、立派なテントを張ってそびえ立っていた。
ハボックは、股間を押さえて飛び上がった。
「ち、中尉っ、見ないで下さいっ!!」
「何を今更」
両手で元気な己が息子を押さえ込み、慌てふためくハボックを横目に、中尉は淡々と毛布を畳みながら、事も無げに言葉を続けた。
「あのね、軍人になって男にまみれて前線にも行って、野戦のテント暮らしを経験してるのよ、私も。そんなもの、生で見えてるならともかくも」
「生って、中尉……あんたって人は綺麗な顔して、何を男前な発言を」
「あら、おべんちゃら言っても何も出ないわよ?」
「違ーう! 違うッス! そうじゃなくって!」
彼の使ったベッドのシーツと枕カバーを外し、さっさと片づけた中尉は、時計を見上げた。
「それに、朝なんだから生理現象でしょ。気にすることないわ」
「そういう問題じゃないんス〜」
「はい、泣かない! さっさと着替える!」
「……I,mam」
ハボックはのろのろと中尉に背を向け、自分が放り投げた靴下を手に取った。
 
確かに今までも中尉は天然さんだとは思っていたが、これはあまりにもヒドい。
軍に所属する女性は男勝りな人間が多いから、ハボックだって幻想は抱いてはいなかったが、せめてこう、きゃあと叫ぶとか頬を赤らめるとか、もっと普通の反応があるだろうに。
とんでもないところを見られた上に、あの無関心な反応のコンボで俺の男心はズタズタだ。
うがぁ〜っ!!
 
ハボックはとりあえず靴下を履いて、脱ぎ散らかしたズボンを手に取った、その時。
絹を引き裂く女の悲鳴が、仮眠室に響きわたった。
「きゃぁぁ!」
何事かとハボックが振り向けば、そこには顔を手で覆った中尉の姿と、彼と同じように中尉に毛布を取り上げられた寝癖だらけの大佐の姿があった。
寝起きで訳が分からない様子の大佐は、片肌脱ぎになったワイシャツから素肌をさらし、チャック全開のズボンから黒のボクサーパンツをのぞかせて、ぼやんとベッドの上に座り込んでいる。
「どうした? 中尉」
「どうしたも、こうしたも! なんですかその破廉恥な格好は!」
破廉恥!? 半裸で破廉恥!? 股間が平常状態でも!?
衝撃にハボックは目を見開く。
大佐は不機嫌な顔で目をこすり、視線を落として己の姿を確認してから、中尉の後ろに立つパンツ一丁靴下履きのまま固まっているハボックの姿に目をやり、憮然と言った。
「あっちの方が、余程ヒドいと思うのだが」
「何をおっしゃってるんですか! 大佐の方がよっぽど卑猥です!」
聞いているハボックの顎がカクンと落ちた。
 
はい? ほぼ全裸と半裸未満っすよ!? 中尉。
つか、半裸のがエロいんスか、中尉。
半脱ぎ萌えっすか? 腹チラっすか? 中尉。
普通は勃ってる方が卑猥じゃないんスか? 中尉。
臨戦状態と非武装状態で、何でッスか? 中尉。
それって、俺には異性としての意識ゼロってことッスか? 中尉。
俺のムスコの存在意義はゼロってことッスか? 中尉。
中尉、中尉〜!
 
支離滅裂なハボックの心の叫びをよそに、中尉は頬を赤らめ、大佐から視線を逸らした。
「卑猥って、君、ヒドいな」
ボリボリと頭を掻く大佐はそう言うと、ワイシャツの肩口を掴んでそれを着直すとベッドから立ち上がった。
ゆっくりと中尉の方へと歩み寄る大佐のその行動に、はっとしたように彼女はじりじりと後ずさる。
そして、
「遅れないで下さいね!」
と、捨て台詞のように言い残し、ばっと仮眠室を飛び出していってしまったのだった。
 
後に残された男二人は、呆然と顔を見合わせた。
しばしの沈黙の後、大佐がぼそりと言った。
「なんだったんだ? 今のは」
ハボックは悄然として、力なくうなだれる己の息子をズボンの中に収納しながら答える。
「要は、俺は畑のカボチャってことッス」
「なんのことだ? 訳が分からんぞ、ハボック」
ハボックは恨めしげな瞳で上官をじっと見ると、Tシャツを頭からズボリと被った。
「いいんス、大佐。俺、がんばるッス」
すっかり拗ねきっている彼を、大佐は不思議そうな目で眺めている。
そんな副官からテロリストにまでモテモテの上官に背を向けて、打ちひしがれた哀れな飼い犬はトボトボと仮眠室を後にしたのだった。
 
Fin.
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【後書きのようなもの】
 お待たせいたしました!
 ひびき様よりいただきましたリクエスト『天然リザたんが招く大騒動な仮眠室』でした。あんまり大騒動でないうえに、下ネタで本当に本当に申し訳ありません。
 王道ネタ(大佐のいる仮眠室のベッドにうっかりリザが潜り込んで「私は気にしませんから大丈夫です」「私が気にする!」な大佐生殺し展開)ご希望いただいてる気もするんですが、ソレはあまりにありきたりでツマらないので。おかげさまで、大変楽しく書かせていただきました。ほんと、すみません。
 リクエストいただき、どうもありがとうございました。少しでも楽しんでいただけましたなら、ありがたく思います。
お気に召しましたなら。

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