Milktea

夜の静けさが、落ち着いたライトに照らされた部屋を満たしている。
ロイは部屋の片隅のカウチに陣取り、取り寄せた論文に目を通していた。
肘掛けにゆったりと頬杖をつき、パラリパラリとペーパーをめくるロイの隣りでは、リザが同じように雑誌に目を走らせている。
ロイの肩に背をもたせかけた彼女は、腰の後ろにクッションを敷いて靴を脱いだ両足をカウチの上に乗せていた。
すっかり寛いだリザの重みを心地良く肩に感じながら、ロイは眼鏡の鼻当てを押し上げ、論文を読み続ける。
 
珍しく二人揃って定時から一時間ほどで仕事を上がることが出来たこの日、彼らはロイの部屋で夕食を共にとった。
他愛もない会話を交わしながら食べる夕食は、例えそれが作り置きのミネストローネと角のデリカテッセンで適当に見繕ってきたサラダと言った簡素な食事であったとしても、一人で味気なく食べる食事の数倍も美味に感じられる。
温かなスープの一口。小さな会話の一言。彼女の口元に浮かぶ微笑みの一片。彼好みに淹れられた珈琲の一杯。
それら全てがロイの疲れた心に、じんわりと染み渡った。
そんな幸福な食事の時間が終わり、リザが食器を洗い始めると、手持ち無沙汰になったロイはカウチにかけて論文を読み始めた。
彼女の用事が終わるまで。
ロイはそう思っていたのだが、後片付けを終えたリザは、いそいそと数冊の雑誌を抱えてロイの隣りにやって来た。
そして、パタパタと靴を脱ぎ捨てロイをクッション代わりにすると、静かに本の表紙を開いたのだった。
ロイは何か言おうかと思ったが、柔らかな読書灯に照らされた部屋の空気の心地よさに、結局一言も発さず口を閉じた。
こうして、二人の穏やかな夜は更けていく。
 
各々が趣味の世界に没頭しながらも、互いの温もりが傍にある安心感は、なんとも言えない幸福だった。
興味深い新しい論文の内容に夢中になりながらも、ロイは彼女を支える左腕が極力動かないよう注意してペーパーをめくる。
寛ぐリザの背もたれ役に徹するロイの隣りで、彼女はすっかり安心しきって彼に身を預けているようだった。
ロイの方から彼女の表情を見ることは出来ないが、もし彼女が猫だったなら今頃喉を鳴らしている位にはご機嫌であろうという自信が彼にはあった。
少し悪戯心を出してロイが僅かに左に頭を傾ければ、そこにはリザの後頭部が触れる。
柔らかな髪にそっと頬ずりをすれば、読書の邪魔をするなとばかりに彼女の片手がロイの顎をクイと持ち上げる。
口元だけで微笑んで元の体勢に戻り、彼がパラリと手元のペーパーをめくれば、リザの方でもパラリとページをめくる音がする。
そして今度はリザの方が、ウンと伸びをしてロイの肩に頭を乗せてくる。
ロイが右手をペーパーから離し、わしわしと彼女の頭を撫でてやると、気まぐれな子猫のように彼女はさっさと読書の体勢に戻ってしまう。
 
まったく、何をやっているのだろう。
ロイは一人、胸の内で笑う。
互いの存在を確認しあいながら別々のことをしている二人は、時間と空間を共有するだけで十分に幸せだという事か。
ロイは少し顔を左に傾けて、リザに向かって問いかけた。
「何を読んでいるのかね?」
「月刊ガン・テクノロジーです」
間髪入れぬ彼女らしい返事の内容に、ロイは忍び笑いを漏らす。
まぁ、確かに彼女がファッション雑誌に現を抜かしている姿の方が想像出来ないのだが、それにしてもストレート過ぎる。
「面白いかね」
「はい、とても」
「何か興味深い記事でもあるのか?」
「ええ、7.5口径のライフル弾の薬莢に詰める火薬の配合比と弾頭の飛距離の関係性についての記事なんですが」
「……」
自分から聞いておきながら、己の守備範囲外のリザの返答に、ロイは答えようがなく黙り込む。
そんなロイの反応をクスクスと笑って、リザは彼に問い返す。
「大佐は何をお読みですか?」
錬金術の論文だ」
「一応、お伺いしておきましょうか? どんな論文ですか?」
「一応、答えておこうか。『生体内における微量元素の体内分布と治癒系錬金術の発動に関与するその喪失率の因果関係の証明について』というタイトルなのだがね」
「……面白いですか?」
「ああ、とても興味深い」
「あ、説明は結構ですので」
「分かっているさ。蘊蓄をたれて自分から君に嫌われるほど、私も物好きじゃない」
ロイがそう返せば、リザは仔鳩のようにクルクルと喉の奥で笑って淡い金の髪をかき上げ、彼の左腕に頬を押し付けた。
 
ああ、なんと自分には勿体無い程、幸せなひと時なのだろう。
そう考えてロイは眼鏡を外し、目頭を押さえる。
抱き合ってキスを交わさずとも、確認出来る愛情の存在。愛する人が自分の傍で安らいでくれている、この平穏。
目眩がするほど愛おしいこの時間は、束の間だからこそ余計に痛いほどの多幸感をもたらすのだろう。
ロイは論文を傍らに置くと、読書灯に照らされてミルクティの色に輝くリザの髪に柔らかな口付けを落とした。
そして、それを合図に彼の方を見上げたリザの唇を優しく啄(ついば)み、彼女の存在そのものへの感謝を伝えるべく、ゆっくりと時間をかけて彼女への愛情をその身体へと注ぎ込んだ。
 
Fin.
 
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【後書きのようなもの】
静かな優しい夜シリーズ、第三弾。
何でもない日常が当たり前のように存在することの幸福。
 
お気に召しましたなら。

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