OliveDrab

大佐のオーダーは至ってシンプルなものだった。
 
「死ぬな」
絶対に。
 
「殺すな」
可能な限り。
 
バカバカしいほど甘い、しかし彼の信念のこもったオーダーを、我々は苦笑とともに拝命した。
 
出世街道をひた走り四十の声を聞く前には将軍職に腰を据えていたであろう彼が、今はクーデターの首謀者として大総統夫人誘拐の計画を練っているのだから、人生というものは先が分からないものだ。
まぁ、自分の生まれ育った国が、まさか人外の者達の理由の分からない目的の為に建国されたなどという、普通なら信じられないような背景がそこにあるのだから、それも致し方なしという所なのか。
とにかく躊躇している暇はない。
大総統一家のスケジュールを把握している私が大まかな計画を立て、大総統夫人誘拐は決行されることとなった。
あの意志が強く善良な夫人に対して、この様なことをしたくはなかった。
が、夫人の身柄の確保はブラッドレイ大総統に対する最強の手駒と成り得ると同時に、ホムンクルス達から彼女を守るには必要なことだと言うのが、我々の共通の見解だった。
 
バタバタと慌ただしく計画の準備がなされる中、私は久しぶりに間近に見る大佐の背に安堵の心を隠せなかった。
彼の傍にいられぬ日々は、恐ろしいほどの苦痛と不安と焦燥を私にもたらした。
大佐の存在自体が彼らの計画に必要であるらしいことから、彼の命の心配はする必要がないとは言うものの、あの女のホムンクルスの一件もある。
いつ何時例外の事態が起こらないとも限らない。
その時、自分が彼を守れる距離にいられない現実は、私の心を苛んだ。
彼の副官になって以降、これだけ長い間彼と離れていた事はなかった。
短期の作戦で別行動をとったり、出張や出向や様々な理由はあれど、彼に属さぬ自分をこれほど不安に思った日々はなかったのだ。
私は自分の居場所を再び与えられた事を、彼の広い背中に感謝する。
 
と、私の視線に気付いたのだろうか。
くるりと彼が私の方を振り向いた。
何を語るでもなく、なくしたジグソーパズルのピースを見つけたような思いで、我々は互いの存在をそこに確認する。
少し歯を見せて、彼が笑った。
気付けば気を聞かせた二人の部下達は、その場から姿を消していた。
私服のスーツ姿の大佐は優男然とした空気を纏ったまま、私の方へと近づいてくる。
私は何も言わず、彼が口を開くのを待った。
 
少し困ったような微笑みとともに大佐は言う。
「離れてみて判ったのだがね。どうやら私は君が居てくれないと、仕事がどうにも捗らない身体になってしまったようだ」
「それは困りましたね」
私は跳ねる心を抑え、あえて厳しい顔で素っ気なく答える。
私の返答に、彼はニヤリと不敵に笑った。
「大総統補佐と言う立派な仕事を放り出させてしまって悪いのだが、また私の副官に戻ってきてくれはしないだろうか」
わざとらしい彼の科白に、私は少し笑った。
本当に後がない崖っぷちに立った我々の現状を言葉遊びという迷彩に隠し、彼は私を求めてくれる。
「その為に、私はここにおります」
「昇進どころか現在の地位すら危ない上官だぞ?」
「存じ上げております」
「後もないぞ?」
分かっているくせに同じ言葉を繰り返す大佐に、私は笑顔をもって彼の茶番に付き合って言ってやる。
「大総統は出来たお方ですから、放っておいてもきちんと職務は果たして下さいます。どうやら私にはサボリ癖のある上官の世話を焼いている方が性分に合っているようですので」
私のイヤミに大佐は心底おかしそうに笑って、私の頬に手を伸ばす。
触れた指先の冷たさに、私はこれから始まる戦いの厳しさを思い、それでも最期まで彼に付き従おうという想いを新たにする。
もう二度と彼の傍を離れたくはなかった。
 
目の前で、彼の唇が小さく言葉を刻む。
「お帰り、私の副官殿」
お帰り。
その言葉は、彼が私の存在を待っていてくれた証。
「ただいま戻りました、大佐」
小さな幸福に私はそう答え、瞳を閉じると戦いの前の僅かな安らぎに心を預けて、彼の口付けを受け入れた。
 
Fin.
 
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【後書きのようなもの】
21巻p145とp147の隙間補完SSS。
22巻はロイアイ萌えと言うより、マスタング単体萌えなのでこっちを書いてみました。
21巻出た時になぜ書いてないかと言うと、去年の12月は狂ったように「国家錬金術師」を書いていたという罠。今もオフ原稿中の自分的山場(その1)なので、短くてごめんなさい。今はこれが精一杯です。
 
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