Gold【Side R】

マスタングが師匠の家を出ようと玄関の扉を開くと、気の早い秋の陽はすでに傾き始めていた。
まだ習い始めたばかりの錬金術マスタングにとって全てが新鮮で面白く、師匠の話を聞いていると1日があっという間に過ぎ去ってしまう。
心地良い風に乗って何処からか金木犀の香りが鼻先をかすめ、彼は今日習った事を頭の中で反芻しながら、秋の気配を胸いっぱいに吸い込んだ。
 
手に持った子供には重過ぎる荷物を抱え直し、家路につこうとしたマスタングは、ふと師匠の家の側に小さな女の子がしゃがみ込んでいるのに気付いた。
金の髪を夕陽に染め、じっと地面を見つめる少女は、確か最初に来た時に師匠の娘だと紹介された覚えがあった。
師匠の後ろにモジモジと隠れていた、この子の名は何といったっけ。
マスタングは一生懸命考えたが、幼い脳細胞は錬金術のことでいっぱいになっていて、どうしても彼女の名前が思い出せなかった。
 
マスタングはまじまじと少女を見つめる。
おそらく、まだ学校にはあがっていないだろう、彼より3つ4つ年下らしい女の子は、大きな鳶色の瞳をこぼれそうに見開き、じっと一点を見ていた。
時々姿を見かけても、マスタングに気付くとこの女の子は直ぐに何処かに隠れてしまうので、 まともに顔を合わせた事がなかったが、こうやって見ると師匠にちょっと似ている気がした。
 
マスタングは彼女が何を見ているか気になって、思い切って後ろから彼女の視線の先を覗き込む。
すると其処には、小さなヤモリが死んでいた。
猫にでもやられたのだろうか。
白い腹を見せて転がる死骸は、キレイに真っ二つに千切れていた。
 
無惨な死骸を見て、マスタングは女の子がいつも庭の生物と遊んでいた事を思い出す。
それぞれの生き物に風変わりな名前をつけ、手のひらに乗せて呼びかける姿は、師匠の書斎の窓から毎日見られる光景だった。
きっとこのヤモリも、この女の子の遊び仲間だったに違いない。
 
自分が師匠を独り占めしているせいで、この子は構ってくれる人がいなくて可哀想だと思っても、錬金術に夢中になっている時の小さなマスタングには他人を思いやる余裕がなかった。
マスタングは、女の子に申し訳ない想いでいっぱいになり、彼女に何かしてやりたいと考える。
とにかく、このままにしておくと日が暮れるまで女の子はヤモリを見つめていそうだった。
埋めてやるのが一番かな。
マスタングは鞄を置くとその傍にしゃがみ込んで、千切れたヤモリを丁寧に拾って自分の手のひらに乗せた。
 
急に現れたマスタングにびっくりして振り返った女の子は、唇を真一文字に引き結んでいて、きっと泣くのをこらえているのだろうとマスタングは考えた。
何か言わなくてはと思うものの、名前も思い出せない女の子になんと話しかけてよいものか分からず、マスタングは黙ったまま彼女の手を取った。
逃げられるかと思ったが、女の子はじっとマスタングの手のひらのヤモリに視線を注いだまま、ぎゅっと彼の手を握り返してくる。
マスタングはホッとして、彼女の手を引くと、師匠の家の庭に生えたアーモンドの樹に向かって歩いていく。
彼女は黙ってトコトコと、ヒヨコのように彼の後ろをついて来た。
 
目的の場所にたどり着いたマスタングは小さな手を離してからヤモリをまた丁寧に地面に置くと、両手で樹の根元に小さな穴を掘り始める。
小さな穴は直ぐに出来上がり、ヤモリを埋めてやったマスタングは、少し離れた土の上に習ったばかりの錬成陣を必死に思い出しながら描き始める。
描いては消し、考えて自分なりのアレンジを加えては描き、マスタングは拙い手つきながらも夢中で錬成陣を描いていた。
マスタングの傍でヤモリを埋めた地面をじっと見ていた少女は、しばらくするとふいと姿を消してしまう。
それでも、マスタングは気にせず錬成陣を描き続ける。
 
どのくらい時間が経っただろうか。
漸く完成した錬成陣の中心に手頃な石くれを置いたマスタングは、どきどきしながら両手を円の縁に触れた。
ぴかりと眩しい光が瞳を焼き、錬成陣の中央には彼が思い描いたものよりは多少歪で小さな墓碑が完成していた。
 
墓碑の表面には、これまた歪な字で【ヤモ子】と刻まれていて、マスタングは自分の仕事の出来映えに不満ながらも、ひとまずの錬金術の成功にホッと安心する。
女の子に寂しい想いをさせてまで習っている錬金術が何の役にも立たなかったら、それこそ申し訳なさ過ぎる。
多分、墓碑名も間違いない筈だ。たまたま通りすがりに耳にする生き物たちの名はあまりにインパクトがあり過ぎて、女の子の名を忘れても、そっちの方は忘れられなかった。
しかし、【ヤモ子】。あんまりだ。
庭のアマガエルの【アカダマグリーンピース】よりはマシだけど。
 
マスタングがそんな事を考えていると、急に金木犀の香が強く香った。
顔を上げると両の手のひらいっぱいにオレンジ色の小さな花を持って、女の子が戻ってきていた。
相変わらず泣きそうな顔のまま、小さな墓の前に立ち尽くす女の子は無造作に墓の上に花を散らす。
マスタングは地面に描いた錬成陣を消して墓碑を拾い上げると、目の前の墓にそれを置いてやった。
マスタングの隣でぼんやり立っている女の子は、それが何か分からないようだった。
 
マスタングは、じっと彼女の様子を見守る。
女の子はゆっくりと、小さな石碑に刻まれたアルファベットを1文字ずつ目で追っていった。
最後の文字に目がいった瞬間、不意に彼女の引き結ばれた唇が歪む。
 
あっという間に大きな両の瞳に涙が溢れた。
 
そして驚くほど大きな声を上げて、女の子は堰を切ったかのようにわんわん泣き出した。
マスタングはびっくりして女の子を見たが、やはりどうして良いか分からなくて困ってしまい、とりあえずさっきと同じように、自分の手を差し出して彼女の手を取った。
すると、女の子はやっぱりさっきと同じように、ぎゅっとマスタングの手を握り締めて、ますます盛大に泣き始める。
小さなマスタングはますます困ってしまったが、今この手を絶対に離してはいけないという事だけは何故か本能的に分かったので、泣き続ける女の子と並んでヤモリの墓の前にただ黙って立っていた。
 
傾いていた陽は、今や没しようとしてる。
二人の頭上で黄金色に染まる秋空を仰ぎながら、マスタングはようやくこの子の名前がリザであることを思い出した。
 
 
Fin.
 
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【後書きの様なもの】
某好きサイト様で先月のガンガンのネタバレをうっかり踏んでしまい、今更悶えています。(苦笑)で、そちら様で小さいロイと小さいリザのお話を拝見して、ちびっ子ネタがムクムクと湧いてきました。
一応ロイ10歳くらい、リザ5歳くらいの設定です。テーマは『誰も喋らないSS』です。(笑)
【Side R】ですので、次回は勿論。
 
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