Black

ホークアイの表情が驚きに歪んでいる事を目の端で捉えながら、彼は満足げに黒に近い水色(すいしょく)をたたえたカップを口に運ぶ。
紅茶は予想通り、かぐわしい芳香と共に彼好みの温度と濃度で彼の口を楽しませた。
彼女は彼の妻の次に紅茶を淹れるのが上手いようだ、あの男もこうやって彼女の淹れた紅茶を飲んでいたのだろうか。
 
「うむ、美味い」
 
そう言いながら、キング・ブラッドレイは、自分と正反対でありながら似通った境遇に墜ちてくるあの男、ロイ・マスタングの事を考えて少し笑った。
 
     *
 
最初にあの若者が彼の記憶に刻み込まれたのは、イシュヴァール内戦が終わった時の事だった。
虚空を睨み付ける誰より強い視線が、彼の興味をそそった。
 
それとなく目をつけていれば、焔の錬金術師と彼らが二つ名を与えた男は様々なチャンスをものにして、異例の速さで出世を重ねていた。
彼らが国家錬金術師という美味しい地位を軍内部に用意したのは勿論人柱を探すためであったが、マスタングはその候補としても申し分ない実力を持っていた。聞くところに寄ると、師匠が残したという暗号を独学で解き、焔の錬金術を手に入れたのだという。
東方では司令官に気に入られ、少数ながらも有能な部下を手元に選び、様々な要因が重なったとはいえセントラル勤務という出世街道をひた走っている。
そう、全てを自分の手で掴み取って。
 
そして気付けば、マスタングエルリック兄弟と共に彼の正体を暴き、上の存在に肉迫し、予定調和で過ごしてきた彼の本来の“仕事”をかき回している。
ラストを倒されたのは想定外だったが、おかげでホークアイを人質にとる口実が出来た。
これであの男に、上の言うところの“真理の扉”を開けさせる事が出来るであろう。
 
他にも人柱候補は幾人もいる中で、なぜ自分がこれほどマスタングという男に拘るのか。
ブラッドレイは自問する。
その答えは非常に簡単なことだった。
あの若者が自分とは正反対の生き方をしているからだ。
全てを己の力で手に入れながら、一番大切なものにだけは手を伸ばさない、、、そんな生き方を。
 
ブラッドレイは自嘲の思いで、さっき自分がホークアイに言った言葉を反芻する。
 
「息子だけではない『大総統の座』も『部下』も『力』も全て与えられた。いわば権力者ごっこだ」
 
そう、確かに自分は全てを持っている。
が、実際は何も有してはいないと同じだった。
常人離れした能力、大総統の地位、友人、息子。全てが上から与えられたもので、彼自身が掴み取ったものなど何もない。
それどころか今、自分の中にいるこの“キング・ブラッドレイ”という人格すら本来の自分ではない可能性が高いのだ。
全てを生まれながらに仕組まれたレールの上で、時々彼は全てを空疎に感じていた。
不満がある訳ではなかったが、充足感がないことは確かだった。
 
そんな中で、唯一彼が自ら欲し、与えられる前に選び取ったのが妻だった。
妻を娶って以降、彼の人生は変わった。
妻さえ傍らにいれば、後の全てがどうであろうと常に心に一片の灯りが存在した。
上から子供を作ることを禁じられ、人質をとるも同然に妻の側にプライドが居座り、もとより選択肢のない彼の人生は更に窮屈なものとなった。
しかし、彼は後悔しなかった。
どれだけの負の項目が増えようと、妻の存在が全てが帳消しにしてくれた。
ホムンクルスである彼が人として生きる事を許してくれたのは、妻の存在だけだったのだから。
 
それに引き換え、あの男はどうだ。
それこそ不完全であるにしても、あの男は全てを持っている。
大佐という地位、命をかけて助けたいと思う部下、その死に涙する友人、研究の果てに得た錬金術という力。
持って生まれた才能と凄まじい努力と人生の偶然をもってして、手に入れたであろうものばかりだ。
 
ならば何故、愛する者をその手に抱かぬのか。
あの男はホークアイを副官として常に傍らに置きながら、女としては扱わない。
そのくせ、その存在に安心しきっているのだ。
全てを自力で手に入れてきた若者の傲慢が、彼には反吐が出るほど腹立たしかった。
彼が『家族ごっこ』をしているとするなら、マスタングは『上司部下ごっこ』をしているに過ぎない。
全くバカバカしい話だった。
 
ブラッドレイは現在、己の補佐官として働くホークアイを見た。
きびきびと働く彼女は素晴らしく有能な軍人であると同時に、マスタングに対する最強の手札だった。
彼は、マスタングとラストが戦った現場で見た、ホークアイの怒りと涙を思い出す。
 
『上司部下ごっこ』に現を抜かしているうちに、大切なものを失って後悔しても遅いのだ。
彼の妻がプライドの手の内にあるように、ホークアイは今彼の手の内にいる。
生殺与奪も全て彼次第、と言っても過言ではない。
なればこそ、焔の錬金術師は人柱となる道を選ぶしかなくなるだろう。
自分が最も大切にするべき女を、単なる部下として扱ってきた代償として。
 
望まずしてあの扉を開け真理を手にした時、あの男はどんな顔をするのだろうか。
キング・ブラッドレイは穏やかな微笑を浮かべ、手にした杯の中身をゆっくりと飲み干した。
 
 
 
Fin.
 
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【後書きのようなもの】
20巻萌えPart2です。64ページからの妄想。
あの大総統の『妻だけは自分で選んだ』は、たまらなく格好良くて参りました。
大総統とロイは、ある意味コインの裏表のようなものだと思います。
きっと大総統はそれを自覚していて、ロイに嫉妬に近い憎しみを持っていたら面白いなと。
 
あと、原作大胆未来予想。
ブラッドレイはリザの命を楯に、ロイに真理の扉を開けさせるでしょう。錬成させるのは、きっとヒューズ。エリシアちゃんという魂の情報が生きてますからね。そしてロイは代償に片目を失うのではないでしょうか。アニメのロイが片目を失ったのと同じように。。。な〜んてね。
ちょっと書いてみたかっただけです。