愛で死ぬなら キスで殺して

表に車が停まった音がした。
男の来訪を思い、リザは急いで窓辺に立ち車種を確認する。
 
違う。
 
誰が見ている訳でもないが自分が惨めなるような気がして、リザは背筋を伸ばして落胆した様子を表に出すまいと努め、ダイニングテーブルに戻る。
約束があるわけではないのだ。
それ以前に、2人の関係がどういうものかすら分からないというのに。
目の前の分解した銃の手入れを続けようと、リザの手がのろのろと動く。
開けたままになったカーテンの隙間から、月光が意外な程の明るさで差し込んでいた。
 
士官学校を卒業し、軍属になってからのリザの毎日は、表面上は大した変化もなく過ぎていた。
毎朝決まった時間に出勤し、仕事をこなし、射撃訓練をして帰宅。
時々事件に駆り出され、危険な任務につく事もあるが、そんな事は稀だ。
気さくな同僚たち、やりがいのある仕事、判で押したような穏やかな日々。
しかし、リザの心は嵐の中の小舟のように、頼りなくたゆたい続けている。
 
たった一人の男の為に。
 
銃を組み立てるリザの手が、止まった。
一度途切れた集中力はなかなか元には戻ってくれず、気付けば窓の外の気配に耳をそばだてている自分がいる。
彼女は作業を続ける事を諦めて、熱い紅茶を淹れるため立ち上がった。
 
一体、我々の間柄は何と表現すれば良いのだろう。キッチンで薬缶を火にかけ、リザは自問する。
弟子と師匠の娘、焔の錬金術の後継者と伝授者、上司と部下、それから?
 
男が父親の弟子としてリザの家に通っていた頃、二人の間には確かに淡い想いがあったとリザは思っていた。
だからこそ、背中の秘伝をあの男に託した日、リザは男に身を任せたのだ。
まだ幼かった身体に無理をしても、男の思い出を刻みたかった。
それだけが男との絆になると頑に信じて。恋と呼ぶには、余りに幼く真剣過ぎた想い。
しかし、男にはリザ自身よりもその背中の秘伝が大切だったらしい。
絶望に近い、深い失望。
そして、その別れ以降、リザは全てに期待する事を止めた。
 
期待するから、裏切られたと感じるのだ。
ならば、始めから期待しなければ良い。
 
運命じみたイシュヴァールでの再会で生まれた背中の瑕。
副官として、あの男を守って生きていく決意。
全てはリザの自己満足だ。
例え裏切られようともリザの中でくすぶり続ける、幼い頃に抱いた頑なな想いを全うする為の手段。
あの男には、何も求めてはいけない。
ありもしない幻想を求めて、また傷付くのはごめんだった。
 
そう思いながらも、リザは男の身体を受け入れる。
自分でも理由は分からない。
ただ、あの男に求められた時に、拒む術をリザは知らなかった。
 
イシュヴァールでの殲滅戦以降一度も会うことすら無かった男は、副官に任官されたその夜に甘い睦言と共にリザを抱いた。
以来、男は毎日のようにリザの元を訪れる。
そうして、愛しているだとか、常に傍に居ろだとか、甘い言葉を並べ立てるのだ。
  
リザは自分に言い聞かせる。
よく考えろ、あの男は自分を抱く度に丹念に丹念に背中を愛撫するではないか。
あの男が抱いているのは、自分ではない。この背中の秘伝なのだ。
昔から、何も変わっていないのだ。
また期待して、バカを見る気なのか、と。
 
そうしてリザは、男の甘い言葉を笑い飛ばす。
笑いながらも、その言葉に縋ろうとする自分がいることに気付かない振りをして。

肌を重ねる毎に大きくなっていく相反する2つの想いに、リザの心は揺れる。
その揺れはリザの中に大きな亀裂を生み、危ういバランスを何とか保っているに過ぎなかった。
 
シュンシュンと音をたてて、薬缶が騒がしくお湯が沸いたことを知らせた。
リザは、ハッとして目の前の現実に意識を戻す。
 
良いではないか、仕事の上の上司と部下が身体の関係を持つ事くらい、どこの職場でもある事だ。
特別に考える必要などない、ただの肉体だけの関係なのだから。
ティーポットにお茶を注ぎながら、リザはまとわりつく想いを振り払う。
 
熱いお茶を手にリザは、再びダイニングテーブルに向かう。
そして、先刻とは打って変わった素早い手付きで銃を組み上げていった。
今日もまた、来ない男を待ち続ける長い夜を持て余しながら。
 
         *
 
男は夜半過ぎに降り始めた雨とともに、ふらりとやって来た。
濡れたコートを受け取り、タオルを渡すと男はタオルごとリザの手を取った。
雨で冷えた手はそのままリザを抱き寄せ、裏腹に熱い唇がリザの上に柔らかな軌跡を描く。
 
「待ったか?」
「いえ」
唇を離した男は、リザに問う。
何故、分かり切った事を問うのだろう?
机の上に手入れの終わった銃が何丁も並んでいるのに、男が気付いていないわけはないのに。
そう考えると、リザは無性に腹が立って来た。
 
何も気付かぬ風を装い、男は愛おし気にリザの背を撫でる。
その指が、部屋着の襟首から覗く蛇の尾を追っている事にリザは気付いた。
まただ、また背中だ。
愛撫を与えられた火蜥蜴は喜びの熱を発し、リザは身震いする。
 
この背の秘伝は、リザから何もかも奪っていく。
父親も、普通の暮らしも、愛した男を信じる心も。
男との初めての一夜の思い出すら、苦い楔(くさび)に変えてしまった。
いや、過去に於いてのみではない。たった今、この瞬間もだ。
忌まわしい火蜥蜴め。
 
私が死ねば、この火蜥蜴も死ぬ。
机の上に並んだ銃に目をやり、リザは考える。
抑えに抑えこんできた、行き場のない想いが歪(いびつ)に弾けた。
 
リザは、男からゆっくりと身を引いた。
「少尉?」
訝しげな男に硬い表情を向けたまま、リザは銃をとる。
「少尉!?」
男の顔色が変わる。
そんなに秘伝が惜しいのかと、歪んだリザの心が叫ぶ。
 
「リザ!」
 
鋭く彼女の名を呼ぶ男を冷ややかに眺め、リザは躊躇なく自分のこめかみに銃口を押し当てた。
引き金に指をかけ、正にトリガーを引こうとした瞬間、男の掌が銃口とリザの間に割って入った。
 
危うい所でリザは引き金を引くことを止め、眼前の男をまじまじと見つめる。
「君が何を消したがっているのか、私にははっきり見定める事が出来ない。だが、もしそれが君が君自身を傷付ける行為に繋がるなら、私はそれを見過ごすことは出来ん」
銃口を握り締め、男は強い瞳でリザを見る。
その眼光に、リザは猛烈な反抗心を覚える。
 
「そんなに秘伝が大切ですか」
冷たい氷のような返答に、男は呆れた口調で答える。
「まだ、そんな事を言っているのか」
「それならば何故、いつもこの背中を!」
「君の意識過剰だ。君自身がその背中に縛られているだけだ。私は解いた秘伝に、今更何の興味もない」
そうして男は、リザの発した言葉よりも更に冷たく容赦の無い言葉を投げつける。
「君の背中は、焼けてもう何の意味も持たない。タダの屑同然だ」
「!」
 
あまりに酷い男の言葉に、リザは腹立ちのあまり言葉をなくす。
「いつまで、そんなものに縛られている! 私の副官として歩く道を選んだ時に、否、イシュヴァールで私にその背を焼かせ、君はリザ・ホークアイ個人になったのではなかったのか!」
先ほどまでの甘い包容が嘘のような男の辛辣な科白に、リザの思考は混乱する。
 
「昔、君は私が師匠の秘伝にしか興味がないと思い込んだ。その時の私の態度に非が有った事は認めよう」
男は銃口を握ったまま、リザの手から銃をもぎ取った。
「だから、師匠の葬儀の後、君とは分かりあえず別れるしかなかった。しかし、今また同じ轍を踏む気は私にはさらさらない」
苦い思い出、リザのトラウマ。
 
「今もまだ、あの日の気持ちが残っているから、私に抱かれるのだろう、リザ」
「そんなことは!」
「また逃げるのか! 自己満足で、一人で心の環を閉じるのは止せ」
「逃げていません!」
「この嘘つきめ。私が気付かぬとでも思っているのか」
「何をですか!」
「『秘伝を持った師匠の娘』のまま、私の傍に居ながら一人で生きていこうとしてるのだろう」
 
思わぬ男の言葉に、毒気を抜かれてリザは黙り込む。
「そんな事は許さんぞ、リザ。私の副官になるのなら、私と共に生きろ」
激しい男の言葉に、リザは翻弄される。
「君を副官に選んだ事、それが私の新たな答えだ。君の実力と固い意志、そして何より愛しているからこそ、私は君を側に置きたいと望む。例え、それが血の海だろうが何だろうが、私は君を連れて行く」
 
何だろう、この男は何を言っているのだろう。
昔、リザを拒んだその唇がリザを求める言葉を吐き出し続ける。
リザは目眩を覚え、思わずテーブルに手をついた。
傍の男の手が、リザの手首を掴む。
 
「何回でも何百回でも、君が信じるまで私は言おう『愛している』と」
リザの頭上から、真摯な甘い言葉が降り注ぐ。
「伝えるべき言葉が足りず、若い頃の私は間違った。黙っていても通じあうまでには、我々は言葉を尽くさねばならんのだ」
驚くほど饒舌な男は、リザを再び抱き寄せた。
「だから、毎日私は君に言葉を尽くして来た。これからも、だ。君が好きだ、愛している」
 
熱い口付けがリザの上に落とされた。
あまりに強いロイの言葉に、口づけに、眼差しに、リザの心に、身体に火がついた。
灰になるような思いがし、リザは心に慈悲を願う。
 
「幸せにする、などとは言うまい。だが、血にまみれた茨の道であろうが、私は死ぬまで君とともある」
 
ロイは直近からリザの瞳を覗き込み、逸らす事を許さぬ強さでそう言い切った。
その時、ロイの言葉は突然リザの隅々にまで浸透した。
まるで、乾いた大地に水が染み込むように。
 
遂にリザは封印し続けて来た涙を止める事が出来なくなってしまう。
リザは言葉もなく、ただロイの胸に頬を寄せた。
 
 
 
 
Fin.

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【後書きの様なもの】
naruse様のみ、お持ち帰りOKです。
 
いただきましたリクエストは、『大佐の愛を信じきれない切ない中尉のお話』。
えと、中佐少尉時代のお話で、『花一輪』のサイドストーリー的なものになりました。
この手のお話は書いてる方も辛くて、いやはや。
しかし、増田がはずかしげもなくクサい台詞を吐きまくりです。けろけろ
お好みに合いましたら、幸せに思います。リクエスト、どうもありがとうございました。
 
テーマ曲はAngela Akiの「KISS FROM A ROSE」。
シングル「This Love」のカップリング曲で、私の中のNo.1ロイアイ・ソングです。