煙が目にしみる

扉を開けると、紫煙と酒精で飽和した空気が溢れ出る。
ドッと笑い声の上がる酒場の喧騒の中に、ロイは頭一つ飛び出た部下の金髪を見つけ、不機嫌な顔で歩み寄っていく。
 
「大佐ぁ、すんません」
目敏く(めざとく)上官の姿を見つけ小さく敬礼するハボックを片手で制し、ロイは露骨に面倒そうな口調で問うた。
「何があった?この私を呼び出すからには相当の、、、」
不機嫌なロイの言葉を遮って、明るい声がロイとハボックの間に割り込んできた。
「大佐、書類は全部片付けていらっしゃいましたか?」
 
パッと大輪の花が開くような艶やかな笑顔が、ロイの視界に溢れる。
「終わってらっしゃらなくても結構ですわ、ご一緒に如何ですか?」
ワイングラスを手に、蒼白になっているフュリーの向かいでリザが機嫌良く微笑んでいる。
普段なら絶対に有り得ないリザの科白に、ロイの顔から血の気が引いた。
 
「ああ、少しハボックと仕事の話があるから、後でもらおう」
リザに向かって笑顔を作りながら、ロイはぼそりと傍らのハボックに聞く。
「、、、ハボック。“あれ”は今日どれほど飲んだんだ?」
上官の変化に気付いたハボックは、直立不動の姿勢で同じく小声で答える。
「まず手始めにマティーニを1杯、それからビールを3パイント、ジンをロックでボトル1本、白ワインを半ガロン、赤ワインを、、、」
「、、、よく分かった。もういい」
げんなりした顔でロイは、空(くう)を見つめて指をおるハボックの報告を止めた。
普通に考えてガロンなんて、飲んだ酒量を数える単位ではない。
しかも、それだけ飲んだというのにリザは顔色一つ変えず、平気な顔でアルコールを摂取し続けている。
1日の疲れが倍になった気がして、ロイはハボックの胸ポケットをトントンと叩く。
 
「寄越せ」
「は?」
「煙草だ、煙草」
弾かれたようにハボックは、ポケットから煙草の箱を取り出した。
ロイは飛び出た1本を抜き取ると、ハボックが差し出したライターから火をつけ、ため息の代わりに盛大に紫煙を吐き出した。
余程ストレスフルな状況にならない限り、ロイは煙草を吸わない。
ハボックは自分たちが並々ならぬ危機的状況に在ることを悟ったようだ。
 
「ハボック、私を呼んだのは賢明な判断だったな」
「thank you,sir」
煙草を吸いながら、二人はぽそぽそ話す。
眼前では、にこやかにリザがフュリーを追い詰めている。
溢れんばかりに注がれたワインを泣き笑いの表情で見つめるフュリーは、既に目の焦点があっていない。
 
「まずは、経過を報告しろ」
「yes,sir.2200頃より食事を採りながら飲み始めまして、その時は通常の中尉でいらしたのですが、ジンを飲まれてから様子が変わられまして」
「あれはジンが好きだからな。しかし、箍(たが)を外す事は滅多にないのだが」
「何でも修道院で作られた、ハーブがふんだんに入った珍しいリキュールだったそうで」
「ふん、どうせアルコール度数が凄まじく高かったのだろう」
「40度ッス」
ロイは苦虫を噛み潰したような顔で、眉間を押さえる。
  
「で、被害状況は」
「ファルマンが2300頃からそこで机に突っ伏して動きが止まったままッス。ブレダは20分程前に口を抑えて便所に駆け込んだまま戻ってきません」
ハボックの視線の先にはぴくりとも動かぬファルマンが、顔面から机に倒れ込んでいる。
「で、現時点を持ちまして」
「フュリーが撃沈、か」
二人の目の前で、フュリーが椅子からずり落ちていく。
断末魔の如く差し出された右手が宙を泳ぎ、眼鏡が持ち主の後を追う。
 
そんなフュリーを見守っていたリザが、満面の笑みでロイとハボックの方へと視線を寄越す。
もう少し待つようにと、ロイは目線でリザに伝え、恐ろしく真剣な顔でハボックに通達した。
「事態は深刻だ。薄々感づいてはいるだろうが、あれは並みの酔っ払いではない。非常に危険な酔っ払いだ」
ハボックは黙って頷いた。
二人の視線の先では、運悪く席に戻ってきたブレダがリザにワインのボトルを突きつけられている。
 
「あれは普段から、多少負けず嫌いな所があるだろう」
「ええ、まぁ、、、」
「遠慮せずにはっきり言って構わんぞ」
「yes,sir.」
ロイは煙草の灰をトンと落とし、核心を語り始める。
 
「酔っている時のあれにとって、飲むことは勝負と同義らしい。一緒に飲んでいる相手を飲み負かすまで酒を勧め続ける。断ることは許されない」
身をもって体験した苦い思い出を、ロイは煙とともに吐き出した。
ダイニングテーブルから一歩も動けなくなるまでリザに飲まされたあの日のことは、出来れば思い出したくはなかった。
「見たまんまッスね。。。」
ハボックは、悲痛な面持ちでワインを飲み干すブレダを見ながら言う。

「ちなみに、彼女はザルだ。あのペースで朝まででも飲むだろう」
くわえていた煙草をポロリと口から落とし、ハボックは慌ててそれを踏み消した。
まぁ、誰でも驚くだろうと、ロイはそれを無視して話を続ける。
 
「そして、一番厄介なのが、彼女自身が酔いから醒めた時に、酔っていた間のことをまったく覚えていないということだ」
そう、あの日の翌朝、まるでロイが1人で酔い潰れたかのようにリザに叱られたあの理不尽さと来たら。
ロイはスパスパと煙草を吸い、悪夢を頭から追い払おうとした。
「マジっすか。。。質悪ぃッスね」
思わず本音をこぼしたハボックは、落とした煙草を拾い上げ頭を抱えた。
 
「とにかく、だ」
再びブレダが口を抑えてトイレに駆け込んで行くのを見送って、ロイはウェイターを呼ぶ。
「私はここの会計は済ませておくから、お前は中尉に疑われない程度に飲んで潰れたふりをしろ。その後は、私が適当に言いくるめて、あれを連れて帰る」
ハボックは新たな煙草を取り出し、ロイの話の続きに耳を傾けている。
「潰れた3人の始末は頼んだぞ」
「i,sir」
ビッと敬礼を決めたハボックは、自分を待ち受けるリザの方へと歩いていく。
どんな作戦に参加した時よりも強い緊張が、その背中に溢れている。
 
凄まじい数字の書かれた伝票にサインをしながら、ロイはハボックを前に鮮やかに微笑むリザを見た。
しゃっきりと背筋を伸ばして座り、顔色も仄かにバラ色になっている程度。
何処からどう見ても、酔っぱらいには見えない。まったく、困ったものだ。

「少尉、仕事の話は終わったの?」
「yes,mom」
リザは目を細めて、ハボックに向かいワインの瓶を差し出している。
「貴方は歯ごたえがありそうね」
その瞳はキラキラと好戦的に輝き、ボトルの先端がまるで銃口のごとくピタリとハボックに照準を合わせている。
ハボックは覚悟を決めたかのように、問答無用とばかりに注がれたワインのグラスに手を伸ばす。
 
「乾杯」
背中に2人がグラスを合わせる音を聞きながら、ロイは長い夜を思い、灰皿に煙草を押し付けたのだった。
 
       *
 
翌朝、ロイは遅刻ギリギリに出勤した。
どんよりした顔付きで司令部のドアを開けると、異臭が鼻をつく。
思わず鼻を押さえ中を見ると、いつものメンバーが二日酔いの者に特有の澱んだ酸っぱい臭気を放ちながら、土のような顔色で各々の机に突っ伏している。
一人ハボックのみがまともに仕事の準備に取りかかっているが、それとて常時の1/3の手際の良さもない。
 
「おはよーございッス」
ロイに気付いたハボックは、のろのろと振り向いた。
「昨夜は無事に皆帰りついたのか?」
「とりあえず俺の部屋に全員収容して、雑魚寝ッス。いやもう、お陰で部屋が臭いの何のって」
話しながらハボックは、まじまじとロイの顔を眺める。
「で、大佐はどうだったンスか?そっちも、タダじゃあ済まなかったみたいッスね」
ロイはぐっと拳を握り締めた。
その様子に、ハボックは地雷を踏んだことに気付く。
 
「ああ、イヤと言う程飲まされた。飲まされただけなら、まだしも、、、」
ロイは恨めしそうな顔で、中尉の席をきっとねめつけた。
ワインセラーの中を高い順に3本やられた」
「げ!まじッスか」
「12万センズの損害だ」
「ハァ、、、ご愁傷様ッス」
ガックリと肩を落とすロイを気の毒そうに眺め、ハボックは心から同情した。
 
「しかも、だ」
「まだあるんスか!?」
「今朝、自分が空けた3本のワインボトルを見た彼女が何と言ったと思う?」
「何と?」
ロイはリザの口調を真似る。
「『私が少尉達と飲みに行ってる間に、1人で良いワインを飲んでしまわれるなんて!大佐がそんな方だったとは失望しました』だぞ!全部自分で飲んでおいて、『失望しました』だぞ!?私は彼女に潰されて、一口も飲んでいないと言うのに!酔ってる間の事を覚えていないなら、安いワインで良いじゃないか!なんだ、この理不尽な仕打ちは!くそ〜!」
 
雄叫びをあげるロイに、傍らのフュリーが弱々しく手を挙げる。
「大佐、頭に響きますんで、もう少しボリュームを下げて頂けませんでしょうか?」
その時、扉が開いた。
 
「二日酔い?感心しないわね」
いつも通りの涼しい顔でリザが書類を抱えて入ってくる。
しゃっきり伸びた背筋と立ち居振る舞いは、昨日一番大量にアルコールを摂取した人間とは到底思えなかった。
「業務に支障が出る程飲むなんて、軍人としての心構えがなってないわよ」
誰のせいだ!と、皆、心の中で突っ込みながらも何も言わない。
藪をつついて蛇を出す気は、誰にも無かった。
リザはロイの方をチラリと見てから、これ見よがしにロイの机の上に書類の山をドンと置くと、サッサと出て行ってしまった。
 
リザの出て行った扉をジッと見つめ、ロイはハボックに向かって手を出す。
「ハボック」
「i,sir」
ハボックは間髪入れず、サッと煙草を差し出した。
次いで火を差し出すと、ロイは深々と煙草を吸い込む。
 
ロッカーに置いてある予備の煙草は、今日は全部大佐行きだな。
ぼんやりとそんな事を考えながら、ハボックはロイの口から吐き出された溜め息混じりの紫煙を見送ったのだった。
 
 
 
Fin.

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【後書きの様なもの】
深雛様のみ、お持ち帰りOKです。
 
いただきましたリクエストは、『酒に酔ってしまったリザに慌てふためくロイと東方司令部s』。慌てふためく以前に、潰されてますね(汗)中尉最強。
一応、うちのロイは煙草は吸えるけど、普段は吸わないという設定です。煙草お嫌いでしたら申し訳ありません。
少しでも気に入っていただければ、幸いです。リクエスト、どうもありがとうございました。
 
流石にこれには合う曲はありません(笑)ので、タイトルだけいただきました。
「煙が目にしみる」、ホントは切ない失恋の曲なんですけれど。(苦笑)
 
追記:1パイントは約500cc、1ガロンは4リットルくらいです。え〜っと、、、リザさん飲み過ぎです(笑)