switch-over

switch-over: 【名】 切り替え、転換、変更
 
     *
 
「中佐、お待ち下さい! 中佐」
足早に司令部の廊下をズンズン歩いていくロイを、リザは追い掛ける。
怒り狂っているロイは歩調を緩めるどころか、リザの声さえ耳に入っていないらしい。
山のような資料を抱えたままで、全速力で歩く男に追いつける訳がなく、2人の間の距離は開いていくばかりだった。
 
止めなくては。
あそこまで頭に血が上っている中佐は、久しぶりに見た。
止めなくては。
 
そんなリザの懸命の思いも虚しく、ロイは目的地に辿り着く。そして、なおざりなノックと共に乱暴にドアを開いた。
 
「なんだね、マスタング君。会議中だぞ?」
一人の佐官が苛立たし気に、ロイに目を向けた。
会議室には十名程のロイの上官達が、四角いテーブルを囲んで座っていた。
ようやく追いついたリザは、ロイの後ろに控え、様子を伺う。
「はっ、申し訳ありません」
悪いとは欠片も思っていないクセに、口先だけでも謝意を表したロイに、リザは胸を撫で下ろす。
 
「で、何用だね。大事な作戦会議を中断させたからには、それ相応の理由があるのだろうね?」
ロイは上官達の視線を一身に集めながらも、臆する様子もなく口を開く。
「現在ご討議中の南部での暴動の件で報告が入りました」
「ほう、我々より先に君の所に報告が行くとは、流石にイシュヴァールの英雄殿は違うな」
「失礼しました。ですが、私を名指しで内通してきた者に関わる事でしたので」
「有名人は大変だな」
「名ばかりで、お恥ずかしい限りです」
慇懃無礼に佐官たちの嫌みをかわし、ロイは構わず先を続ける。
ロイの後ろに黙って控えるしかないリザは、ハラハラしながら成り行きを見守る。
歯痒い思いで、直立不動の姿勢を保つリザの前で、話は核心に入っていく。
「作戦本部への質問をお許し頂けますでしょうか」
「手短に頼むよ」
「ありがとうございます」
ロイは大きく息を吸い込むと、淡々と彼の怒りの原因をぶちまけた。
「私の本部帰還と入れ違いに、かの内通者を射殺したと言う報告が入ったのでありますが、これは何かの間違いでしょうか」
 
感情を殺し、無表情に問うロイに、すぐさま与えられた回答は簡潔なものだった。
「間違いではない。我々が指示した」
当然の事のように答える上官を見据えるロイの目が、感情を隠すかの如く細められた。
しかし、握り締めた拳は正直に当人の意志を反映し、小刻みに震えている。
若い台頭者を出し抜いた満足感からだろう。密やかな笑いと囁き声とが、立ち尽くすロイを包囲する。
リザは目の端にそれを捉えながら、ロイの忍耐がどこまで保つか危ぶんだ。
 
しかし、リザの心配は全くの杞憂だった。
「後学の為、射殺の理由をお聞かせ頂けますでしょうか?」
あくまでも下手に出るロイに、上官達は優越感を持ったようだった。
「裏切り者は、何時また裏切るか分からないからな」
「それに、我々軍人は内通などといった姑息な手を使うべきではない。堂々と戦い、武勲をあげるのが在るべき姿ではないのかね」
口々に前時代的な訓戒を垂れる面々に、ロイは諦めの表情を浮かべた。
「ご教示、ありがとうございました。大切なお時間を頂き感謝します。乱入のご無礼をお許し下さい」
表面的には難癖のつけようがない言葉を並べ立てて一礼すると、ロイは会議室を出ようとした。
その時、ロイの背に明らかな敵意と笑いを含んだ声が、投げかけられた。
「それから、後で辞令が行くと思うが、今日付で君にはこの作戦から外れてもらうことになっている。以後、此処への立ち入りは遠慮してもらうよ」
「承りました」
一瞬動作を止めた後、静かに返事をすると、ロイはゆっくりと会議室の扉を閉めた。
 
廊下へ出たロイは、猛然と歩きだした。
「中佐、お待ち下さい! 中佐」
先ほどより更にスピードアップしたロイをリザは必死で追いかけたが、実のところロイを引き止めてもどうして良いものか彼女には分からなかった。
 
東方司令部の管轄内の最南端の街で、暴動が起こったのは先月末のことだ。
小競り合いばかりが続き、何の進展もないまま、いたずらに死者ばかりが増える現場。
その状況に業を煮やし、なるべく血を流さず、早期に事を解決しようとロイは策を練り、苦労して内通者を見つけだしたのだった。
 
そんなロイの目論見が馬鹿な上司の下らぬ嫉妬に潰された悔しさを、ロイの苦心の工作の一部始終を知っているリザは自分のことのように強く感じ憤った。端で見ていた自分がこうなのだ、当の本人の心中は如何ばかりのものだろう。
だからこそ尚更、言うべき言葉すら見つからない。
無力さを感じながら、リザは彼の後を追う。
 
廊下を曲がった先、回廊の外れでロイは立ち止まった。
「中佐」
「構うな!」
鋭い針のような拒絶にロイの怒りと失望の深さを感じ、結局は何も出来ない自分にリザは歯噛みする。
どんな慰めも、気休めにしかならない。戦いが終わらない以上、流血は続くのだから。
軍という枠組みの中で、妬みや利権やコネクションや様々なものに、本来の仕事を阻まれる事の何と多いことか。
今回もそうだ。早く暴動が収束してしまっては、武勲が立てられない。誰かの肩章の星の数を増やす為に、多くの命が喪われるのだ。
 
ガツッ
俯くリザの耳に、異様な音が響いた。
ハッとして顔を上げると、ロイは壁面に己の拳を打ちつけていた。
「中佐! お止め下さい!」
「構うな!」
「お止め下さい! ご自身を傷つけても、何も変わりません」
「構うな!」
リザに顔さえ向けず、ロイは再び己の怒りを拳に込めて壁を殴る。
「中佐!」
リザはたまらず、血の滲んだその拳に手を伸ばした。勢いでリザの手から大量の書類が滑り落ち、周囲に舞い散った。
リザは構わず両手でロイの拳を包み込み、ひたとロイと目を合わす。
 
邪魔をされた苛立ちに、リザを睨み付けたロイだったが、彼女は動じず見つめ返す。
言葉にすると逃げてしまうことが、瞳の中に映し出される。
こんな時は、特にそうだ。
 
やがて爪が食い込む程に握り締められたロイの手から、スルリと力が抜けた。
「すまない」
ロイの手が力無く開き、ゆるりとリザの手を掴む。
「分かっている、すまない」
リザは何も言わず、首を振った。
ロイが謝ることは、何も無いのだ。
「私もまだまだ青いな。中佐の地位ではまだまだ出来ることが限られているのは百も承知のはずだったのにな」
苦く笑いながら、ロイはリザの手を離した。
その瞳は先ほどまでの怒りに燃えた暗さから解放され、締念を帯びた明るさに満たされつつあった。
 
「早くもっと力を持ちたいものだな、せめて自分の作戦を潰されない程度には」
自嘲気味に独りごちるロイに、リザは答える。
「どうぞ、もっと高みを」
「言われなくても、そのつもりだ」
ニヤリと笑ったロイは、足下に散らばる書類に目をやった。
「すまない、また仕事を増やしてしまったな」
そう言いながら、ロイは手近な書類を拾い始めた。
「いつものことです」
そう答えて、リザも床の書類に手を伸ばす。
  
書類をかき集めるロイの手が、ふと止まった。
ホークアイ少尉、気分転換にリゼンブールにでも行ってみないか?」
「?」
リゼンブールといえば羊毛の産地という以外は、特に何もない田舎町だったはずだ。
不審に思うリザの前に、ロイはたった今拾い上げたばかりの書類を広げてみせる。
錬金術師の勧誘だよ」
書類には、エドワード・エルリックアルフォンス・エルリックという2つの名が記されていた。
「ちょうど作戦本部も外されて、時間もあることだからな。私は血が流れぬ方法で出世の努力をするとしよう」
そう言うと、ロイは集め終わった書類をリザに渡すと立ち上がった。
「手配を頼む」
「イエス、サー」
条件反射で敬礼をしようとして、リザは自分の掌に残る血痕に気付く。
ロイの拳から滲んだ血は、既に彼女の掌の中で乾いて皮膚に染み付いていた
 
リザは視線で掌をなぞる。
二度とこんな血は流させたくない。
そう思うと、リザは無意識に拳を握りしめた。
 
血の刻印を掌中に収め、リザはロイの後ろに続く。
今度は、ゆっくりと歩く速度でも、ロイを見失う心配は無かった。
 
 
 
  
Fin.
 
  ************************
【後書きの様なもの】
この後、エルリック兄弟勧誘にリゼンブールに行って、書類不備が見つかる、と。(6巻P99辺り)
ちょっと不完全燃焼で、中途半端なのですが、これはこれで。
 
「私が好きなロイアイ像」といえば「共闘する2人」。
愛し合う二人である以前に、共闘する二人であり続けること。
そんな、ちょっとストイックな感じが好きなんだと、改めて思います。